22 開かれた目
混沌とした事態を収拾し、何事もなかったかのように戻せるのはセラフィムしかいない。それは関係者全員が分かっていた。しかし当の本人がそれを拒否していた。セラフィムはあくまで魔王の側近であろうとして、自らの出自を明らかにしようとはしなかった。世界という舞台の一役者という場所から動く気はなかったのだった。
セラフィムの奥に眠る存在は、自分か作ったものの責任を取るために自分も世界とともに滅ぶつもりでいたのだろう。数は少ないがまだ旧世界者は残っている。ランドルフが煙水晶の虚城を見つけた時に、セラフィムの深層意識はほんの少数ではあるが、旧世界者そのものが存在していることを知った。だから自分が失敗したならば彼らが世界を再建すればいいのだ。そう思ったのだった。
彼そのものはセラフィムと呼ばれる表層意識の心残りについて理解していた。すなわち現魔王のことである。絶望の淵から自分を拾い上げ、希望を見せた少年にセラフィムは忠誠を誓った。そんな少年はどこの誰とも知れない自分を信頼し、重用した。この時にセラフィムと呼ばれる存在は、初めてこの世界にある者として他者から無償の全肯定というものをもらったのである。
セラフィムの天界での位階は最高位だった。唯一神はそれを知りつつ彼を洗脳し、自分の手下に仕立て上げた。最高位の神々が付き従うということで自分の正当性を高めようとしたのである。特に言わなくても他の神々も位階くらいは見て分かったから、狂った目をしたセラフィムとそれを使役する唯一神が嫌悪されるのに時間はかからなかった。
御使い達は話をしてくれたが、他の神々は彼と口も聞こうとしなかったし彼の要求もろくに通らなかった。仕方なく彼はあれこれと手を尽くして駆け引きをし、天軍長としての職権を乱用してまで彼らとコミュニケーションをとらねばならなかった。
なので選ばれた立場でもなんでもない者を何のためらいもなく信じる、そのことは天界で他者と駆け引きをしつつも搾取され続けたセラフィムにとって、意識が変わるほどのすさまじい衝撃だったのである。
(どうするべきか)
無意識下で彼は考え続ける。しかし彼自身が出て行くことはなかった。彼自身はこの世界が失敗したなら一緒に滅ぶべきである、そう考えていた。
ではその上に乗っている表層意識はどうだろうか。加工され、固定されたその意識は魔王の側近であることに固着している。魔王の側近としてやれることをやるべきだ、そう考えている。
(ならば)
結論が出た。彼自身は流れにまかせてゆくすえを見守ろう。しかし表層意識に関してはその限りでない。セラフィムと名乗る魔王の側近が、何か彼に言いたいことがあるなら聞けるものなら聞いてやることにしよう。
「……寝てしまいましたか」
セラフィムは頭を振ってもたれかかっていた自室の椅子から立ち上がった。質素な、魔王城の一室とは思えぬほど物の少ない部屋だった。彼はほとんど使わないベッドを見やり、その横に新しく花が生けてあるのに気づいた。確か式で使うためにセラフィムがハンスに選定と育成を頼んだバラである。彼がいない間にハンスが置いていったのだろう。
その近くには結婚式の参列者に配る、参列証代わりの黒竜をかたどったブローチが置いてあった。ランドルフ宝飾店に頼んだものの試作品である。本来ならドワーフ達が作るのだが、今回は無属性のものが必要なのであえてそっちに依頼したのだった。他にはほんの少しの魔術具を収めた机と今まで座っていた椅子、それから窓にカーテンがかけられていた。
どの家具も本当はたいしていらないのだが、何もないとそれはそれで他の者が困惑する。最初、この部屋には椅子以外何もなかった。ここに入った魔王に「もうちょっとそれらしくしてくれ」と言われたのを受けて彼はそれっぽく家具を用意したのである。家具のある部屋など見たことがなかったから、彼は魔王が子供だった頃の勉強部屋を参考にしてこの部屋を作った。もちろん上がったことはなく、子供だった魔王が話す自室を自分で再構成したのである。魔王は室内を見てあきれていたがそれ以上のことは言わなかった。
彼は立ったままぼんやりと室内を眺めて考え込んでいた。珍しいことである。もっともそれを言うならうたた寝することも珍しかった。そもそも彼はほとんど睡眠を取らない。食事も必要がない。魔王城を吹き飛ばした後と魔王の暴走を押さえ込んだ時は、一日休みを貰ってこの部屋にこもっていた。唯一神に操られて寝込んだ時のほかでベッドを使ったのはそれだけである。それとて眠らずに全身のエネルギー調整のために伏せていただけだった。
どうも疲れている、とセラフィムは思った。天界にいた時もこんな疲れ方はしなかった。それとも当時は感じていなかっただけかもしれない。彼はぼんやりとしつつ部屋の中を見渡して、サーキュラーの書いたメモ書きが机の上に置かれているのを見つけた。ハエトリが持ってきたのだろう。歩み寄ってそのメモを手に取る。
その途端にクリアな感覚が戻ってきた。魔王に忠誠を誓い、真紅の翼を持ち天上より降魔した最上位の魔族、それが自分だ。魔王の一の側近であり近衛隊長でもある。魔王軍統括総司令のサーキュラー・ネフィラ・クラヴァータと友人であり、非常の際はそのちからでもって魔王軍に助力もする。
「行かないと」
セラフィムの衣装が変わった。上に羽織っていた真っ赤なマント一面に独特の幾何学模様の刺繍が施された。ついで下に着ている軍服のようなデザインの上下にも、袖口とボトムの裾に同じ刺繍が浮かび上がった。
(これは……)
見たことがある、とセラフィムは思ったがどこで見たのかは分からなかった。ただ途轍もなく古いものであることは知っていた。
消えている記憶がよみがえってきているのかもしれない、と彼は思った。この戦いが終わったら自分が何者か分かるかもしれない、そうとも感じていた。
あちゃあ、と窓から外を見たアルノは思った。自分達が行ったのは逆効果だっただろうか。窓の外には教会兵が隊列を組んでこちらに向かっているさまが見えていた。
「だめじゃん」
つい、と真後ろに緑の瞳を持ったエメールが立つ。あらあら、と青い目をしたサファも現れた。
「思ったより物分りが悪かったですわね」
「アルノ様、出番ですわ」
やだよ、とアルノは言った。
「あのでかい剣を持って先頭に立つんだろ? だいたい重くて持ち上がらないよ」
宝物庫に置いてあったドラゴンキラーはいつの間にか錆を落とされ、ぴかぴかに磨かれていた。うふふ、と女神達が笑う。
「露払いをお願いしておきましたから大丈夫ですわ」
「アルノ様は最後に出て行ってくださいまし」
げ、とアルノは言った。
「なにそれ完璧ってやつ? どうやってもオレ行かないと駄目なの?」
ええ、とさらっとサファが答える。渋るアルノにエメールが言った。
「アルノ様がこの国の最後の護りなのです。ゼラフが動かない以上、私達がやるしかないのですわ」
「ゼラフってなんだっけ、あの赤いマントを着た魔王のお付きの別名だっけ」
「そうですわ。今は本名のセラフィムを名乗ってますわ」
うーん、とアルノはうなった。確かにあの赤マントのお付きなら何でもできそうであった。しかしいくら強力とはいえ、国内の騒乱をよその者に頼むのは気が引ける。そのくらいにはアルノも王子としての自覚はあった。なので仕方なく承諾した。
「分かったよ、いいよ」
あとさあ、とアルノは思い出して話を続けた。
「あの教会に変なヤツいただろ、おっさんの天使。あれ何だよ。なんか寝起きぽかったけど」
おや、という表情でサファがアルノを見た。エメールも同じような表情になった。
「見えましたか?」
「うん」
「さすがですわ」
「何が」
サファが言った。
「血統ですわね。アルノ様にはそういったものを見抜く目がおありです。やはりあのドラゴンキラーはアルノ様にお渡ししますわ」
エメールが後を続けた。
「ゲルアの王家には代々視える者が出て、その者達がこの国を守ってきました。アルノ様ならあの剣を扱えるはずです」
「……だからそういうのやめろよ」
にこっとサファとエメールは笑った。それ以上文句も言えなくなり、アルノは話をもとに戻した。
「で、あの不審者なんなんだよ」
双子の女神はこの言葉に吹き出した。二人の笑いが収まってからアルノはやっとメタトロンについて教えてもらったのだった。




