20 結集
その時アルノ王子はひとりで自分の部屋にいた。ドアがノックされたので、彼は使用人の誰かだと思い入室の許可を出した。
「セラフィムさんからの連絡です」
入ってきたのはハエトリであった。真っ黒な着ぐるみ姿の、自分と同じくらいの年恰好をした魔王軍で伝令の仕事をしている魔族である。彼が確認をすると同時に双子の女神達が姿を現した。サファとエメールだ。
「私達に連絡ね」
「そうです」
ああもう、とアルノは二人とハエトリを見て言った。
「ここじゃなくてほかでやれよ。ここオレの部屋だぞ」
ハエトリはすみません、と言ったがサファとエメールは涼しい顔であった。
「だってアルノ様がいらっしゃらないと私達出てこられませんし」
「そうですわ。私達が頼まれたのはアルノ様の守護ですから」
うーん、と言いつつアルノは答えた。
「オレだけじゃないしー。王家も守護しないとだろ。ほかの部屋行っていいよ」
「王家とアルノ様は表裏一体ですわ」
こう言い返されてはぐうの音も出ない。仕方なくアルノはそこに積んである書物を手に取った。数日前に町の商人が最近の流行りだと言って持ってきたものである。本文に挟まれた大量の色刷りの挿絵が人気の、軽い感じの冒険小説だった。
「じゃ早く終わりにしてくれよ。これ読んでるから」
「分かりましたわ」
「すぐ終わりにしますわね」
双子の女神はアルノにちらっと笑顔を見せてハエトリと話し始めた。アルノは本を読みながら聞くともなしに聞いていたが、やがて読書に没頭していった。
煉獄を追い返されたメタトロンは地上の中央教会にいた。もう一つの目標である父王の城は目と鼻の先と言っていいほど近くである。しかし彼は考えあぐねていた。
(こざかしい女神どもめ)
父王の城は魔王の呪文と双子の女神の存在で守られていた。特に女神による守護は絶大であり、彼自身が入るのは不可能だったので彼は人をやって揺さぶりをかけ、動揺したところを攻め込もうとしたのである。
だが使者が戻ってこないのでどうにも手詰まりであった。押し込んでいくにもまだ時間が早い。今教会兵を動かそうとしたら「せっかちな」と言われてしまうであろう。明日まで待とう、彼はそう決めて教会の巨大な祭壇のてっぺんに陣取った。
(くそ)
もっともここ以外にいる場所もなかった。天界には結果を出さなくては戻れない。ガブリエルの口車に乗ってしまったのは軽率だったが、和平条約を結ばれてしまった後では彼が天界に君臨することもできなかった。まったくもってウリエルの言うとおりで、メタトロンは邪魔なセラフィムがいなくなった天界を、唯一神を操って自分が支配しようと思っていたのである。彼の言うことは他の御使いは聞かないが唯一神の言うことは聞く。ならばその唯一神を取り込めばよい。メタトロンはそう考えていたのだった。
(明日だ、明日)
メタトロンは教会の祭壇上で、無理やりに自分を納得させた。明日になれば物事が動き出して今よりましになるだろう。彼自身の正義も証明されるはずだ。
(寝なくては)
疲労がたまったら正しい判断ができなくなる。彼はそう思い姿を消して祭壇上の空中に横になった。眠る必要はないのだが、眠らなくても横になれば疲れが取れる。人間であった頃の名残だった。
その狡猾さを見抜いて罠にかけたのはガブリエルである。天界最長老の老獪さでもって、ガブリエルはメタトロンに和平交渉の進捗状況をリークした。和平条約が結ばれた後では地上にやたらと干渉もできない、それも伝えた。そしてメタトロンが焦って動き出すのを待ったのである。
(ガキどもめ。勝手な真似を)
ラファエル、ウリエル、サーキュラーの三名による非公式な不可侵条約が結ばれたのは知っていた。というよりこれもガブリエルに教えてもらったのだった。その上でガブリエルは唯一神を説得し、一時的にでも和平条約を結んだほうがいいと言ったのである。
ガブリエルの言い分はこうであった。
「現魔王がいるうちはゼラフを取り戻すのは難しい。ならば魔王が代替わりするまで待ったほうがよいでしょう。魔界の連中よりも我々のほうがはるかに寿命は長いのです。強引に攻め込むよりも現魔王とあのサーキュラーとやらがいなくなるまで待ちましょう。そうすればゼラフは我々のもとに戻ってくるはずです」
ラファエルに呪がかかっていると伝えたのも大きかった。以前の戦乱で、唯一神のところにはもう数えるほどしか有力な御使いは残っていない。これ以上の損害は避けたいところでもあった。
「一時休戦です。また、時期が来たら攻め込めばいいのです。ゼラフを取り返せれば我々の勝利となりましょう」
唯一神は説得に応じた。いまだセラフィムに執着してはいたものの実際に本人もかなり疲弊しており、後は頼むとガブリエルに言ったのだった。
「御意」
顔には出さなかったが、ガブリエルはほっとした気分で答えた。彼自身も天界と唯一神の崩壊を望んではいなかったからである。
ついでにガブリエルはメタトロンが天界を支配することも望んではいなかった。人間風情が唯一神に成り代わろうなどと思い違いも甚だしい、そう思っていた。なのでこっちは排除することに決めたのだった。
御使いにとって唯一神は絶対であり、基本的にそれ以外はよほど高位の存在でない限り命令を聞くことはない。彼らがセラフィムの指示に従っていたのは唯一神の命令である他に、セラフィム自身が最高位の神々だったということもある。恐怖で縛っていた部分もあったが、それでもメタトロンよりはセラフィムのほうが御使い達に支持されていた。
(人間ごときが何を勘違いしている)
本当のところ、最初からガブリエルはメタトロンをよく思っていなかった。確かに知恵者ではある。しかしその知恵は浅いように彼には感じられたし、どちらかといえば狡知、奸智に類するものが多いようにも思われた。セラフィムは神々なためある意味バカ正直でやりやすかったから、そこの部分でも御使いからのメタトロンの支持は薄かった。
「天は正しくなくてはならぬ」
ガブリエルの持論である。そう、天は神々によって正しく統治されなければならないのだ。そしてこれは天界の、最後に死守すべき共通認識でもあった。
メタトロンは教会の正面扉が開く音で起こされた。ぼんやりとそちらを見やると、そこには礼装に着替えたフーシャとアルノ王子の姿があった。メタトロンは飛び起き、そして歯軋りをした。
(やられた)
王子の後ろには双子の女神、サファとエメールの影も見える。フーシャとアルノは父王の代理として司祭と話をしていた。父王の城には魔王の手下どもが出張っているのであろう。
「……寝ていて起きない、と」
はい、とフーシャは答えた。
「どうも父が使者様にお酒を飲ませたようで……申し訳ありませんわ。起きましたらこちらで教会までお送り致します」
すみません、とアルノも言った。
「父上の悪い癖なんです。お客様が来ると飲ませてしまうので。果実酒は禁止ではなかったので嬉しかったのだと思います」
ううむ、と司祭はうなった。
「エバンは無事なのだな?」
エバンは使者の名前である。はい、と姉弟はうなずいた。
「よくお休みになっていらっしゃいますわ」
「廊下までいびきが聞こえましたからぐっすりです」
司祭はちら、とメタトロンのいるあたりを見た。姿を消しているから見えはしない。しかし気配を察したようであった。このまま二人の身柄を押さえてしまおうか、そう思ったのであろう。司祭の目には丸腰の子供が二人いるようにしか見えないからだ。
「では起きたら送ってもらいたい」
分かりました、とアルノが答えた。と同時にサファとエメールが王子の背後に現れた。司祭が息を飲む。
「よき判断ですわ、司祭様」
「あなた方のご協力を感謝します」
女神達はそう司祭に微笑み、声をかけた。司祭の顔が真っ青になる。
「あ……」
フーシャとアルノは知らんふりをしていた。まるで気づかない様子である。司祭は女神達が自分にしか見えていないと思い込んだ。そしてこの王家を敵に回すのは得策でないとも思った。
「ではごきげんよう」
「失礼します」
王家の姉弟は帰っていった。青ざめたまま司祭はそこにあった礼拝者用の長椅子に腰掛け、深いため息をついた。寿命が縮んだ気がしていた。




