18 ブレンの憂鬱
なかなか衝撃的なことを聞いてしまったとブレンは思った。教会では絶対に教えてくれないことである。同時に自分がのっぴきならない立場に追い込まれてしまったようにも感じた。今まで自分が無邪気に信じていた唯一神が、まさか他の神々を迫害して天界から地上に追いやり、あまつさえ敵対する場合は消滅させていたなどとは思ってもいなかったのだった。
「僕、ここから出られるんですか」
「無理だろうな」
ブレンは渡されたビールを一口すすっただけで真っ赤になってしまった。本来ならこのビールも教会の信徒は飲んではならない。つまり彼はここで初めて罪人となったのであった。
「事情を知りすぎてるから人界に戻ったとたん教会に殺されるぞ。魔王に協力したかどでな」
「僕のせいですかそれ」
「知るか」
ウリエルは自分の分を空け、もう一缶棚から取り出した。ブレンの身柄を引き取る代金としてグランデが置いていった缶ビールである。空き缶は金属クズとしてルーセット達が回収し、クズ屋に売って小遣いにしていた。よくしたもので上等な金属だったのでいい値段になった。
「そのゼラフって人がセラフィムさんなんですか」
よく分からなかったのでブレンはそう質問した。そうだ、とウリエルが答える。
「本名がセラフィムでジジイがつけた名前がゼラフらしい。本人に確認を取ってないから何とも言えないが」
「なんでそんなことしたんですか」
ウリエルはんん、という表情になった。そのことについて彼自身が今まで全く疑問を持たなかったからであった。
「そういやそうだな」
異端扱いだが自分もやはり御使いなのだな、とウリエルは思った。唯一神の言動に疑問を持たない、それは御使いにとって大事なことだ。同時にそれは唯一神のコントロールが充分に効いていることを意味する。でないと統率が取れないからだ。
「別名があるということは別の実体があるということを意味する。現に魔王には名前がない。魔王になった時に消された。実体を消し、呪殺を避けるためだ」
「そうなんですか」
また何かおかしな知識が増えてしまった、ブレンはそう思いながら話を聞いた。
「ゼラフには特に意味はない。響きがいいので本名をもじってつけたんだろう。セラフィムってのは天界古語で『最初のいかづち』って意味がある。かなり古い言葉だ。そもそもが雷神だったんだろう」
ここまで言ってウリエルははっとした。
「『最初のいかづち』だって?」
「え……どうしたんですか」
いにしえの物語をウリエルは思い出した。原初の、世界が始まった頃の物語だ。
(なんてこった)
世界のはじまりのいかづちには意思があったという。さらに遠くの時代から伝わったふるく強い存在がこの世界をかくあれかしと定義し、始めた。その存在は自ら望んで異質で強大なものから拡散し、卑近でこの世界に存在するものとなった。その意思が新しく美しい世界を望んだからだ。
「どうしたんですか」
黙ってしまった彼をブレンが心配そうに覗き込んだ。どうやって説明するべきか悩みながら、ウリエルは青ざめつつブレンの顔を見ていた。もはや彼の手に負える事態ではなかった。
ウリエルの右肩に戦火の模様が出たのはその二日後だった。ほどなくしてサーキュラーが煉獄にやってきた。端正な顔の左半分に荒れ狂う黒い呪が浮かんでいた。
「派手に出たな」
無言でサーキュラーはウリエルにタバコを差出した。ウリエルは門を出て、門前で一本もらって火をつけた。そこへ上空から大きな羽音が響いた。ラファエルだった。
「メタトロンが逃走しました」
そう言って降りてきたラファエルの胸元には、天衣に見え隠れして巨大な黒い火炎の模様があった。サーキュラーが言った。
「ガブリエルのおっさんじゃ抑え切れなかったか」
いえ、とラファエルはかぶりを振った。
「どうやらガブリエルが焚きつけたみたいです。このままだと断罪されると。もう……断罪できる者もいないんですが」
「本当か」
ウリエルは驚き、ラファエルを問い詰めた。はい、とラファエルが答える。
「せっかく魔王が落ち着いたというのにこれじゃどうにもなりません。つい先日にこちらでは魔界も魔王も、ゼラフさんももう手出しはしないと天軍の全体会議で決まったばっかりなのに」
「そうなのか」
そうです、とラファエルは言った。
「だから僕はついさっきまで和平交渉の文書を作成していたんですよ。これがそうです」
彼は握っていた巻紙を広げた。草稿なのでちゃんとした書式の用紙ではない。しかしそこに書かれている文章には停戦及び和平の文字があった。
「だからだな」
ウリエルがぼそっと言った。サーキュラーもそうか、と言った。
「それが締結されたらもう二度とゼラフは取り戻せない。ガブリエルのおっさん、感づいたんだな」
「感づいた?」
ラファエルが不思議そうな顔になる。対するサーキュラーは難しい顔をしていた。
「あいつの本当の名前はゼラフじゃない。セラフィムだ」
「そうなんですか?」
ウリエルが言うとラファエルはぽかんとした表情になった。サーキュラーはますます難しい顔になる。
「意味は……古語で『最初のいかづち』だ」
「え?」
しばらくラファエルはウリエルとサーキュラーの顔を見ていた。
「本当ですか! それって……」
「そうだ」
ウリエルが言った。サーキュラーはやっと腑に落ちたという顔になった。
「やっぱ地元の奴らに聞くのが一番だな。俺らじゃそこまで分からなかったわ」
「まあな」
そうウリエルは言った。
「これで昇ってきた時の様子も説明がつく。創世からずっと続いていた活動でエネルギーを使い果たして、創世神から地鎮の神へ変化した直後だろう。まだ何も分からない状態を見計らって唯一神はあいつを捕まえたんだ。本来ならどこか分からないが、地上に巨大な楽園ができるはずだった」
「大河のほとりだ」
サーキュラーが補足した。
「あの時に見えた。場所は分からないがものすごくでかい河だ。あいつはそこで生まれたんだ。季節ごとに洪水があって泥水が流れて大量の生き物が出てくる。魔界の森だってあんなに生き物はいねえ。俺がいた金蜘蛛の里はすげえ森の奥にあって魔界一生き物が濃い場所だと言われてるんだが、そこよりもさらに濃い場所だ」
それなら、とラファエルが言った。
「地鎮じゃないです。おそらく豊穣神でしょう。それで全部の説明がつきます」
一同を沈黙が支配した。ややあってウリエルが言った。
「やってくれたなジジイ。創世神のままじゃ手を出せないから豊穣神になったところを狙ったわけか」
「……禁忌もいいところです。道理で僕達に何も説明がなかったわけです」
創世神は神々の間でも存在を取り沙汰されていた。ただし存在した場合はすべての祖であるから触れることは許されない。いやそもそも触れることなどできないのだ。
その直系が豊穣神になる。こちらも半分は存在を疑われていたが、ありえない条件のもと繁栄する古代都市などでおそらく存在はするのだろうと推測はされていた。しかしどのような存在なのかは誰も分からなかったのだ。
「あの姿は創世神時代のやつか」
サーキュラーが質問した。たぶん、とウリエルが答えた。
「その前のだろう。旧世界者は異形だと伝わっている。それにあの形状は俺達よりお前達に近い。旧世界者のほとんどは魔界に降りたんだ」
「なるほどな」
そこへブレンが数人のルーセットとともに駆け込んできた。息を切らし三人の前に立つ。
「大変です! ウリエルさん!」
「なんだ」
タバコはとっくになくなっていた。彼は吸い殻を地面に落としサンダルを履いた足で踏み消した。
「地上から教会の軍隊がここに来ます! 曲刀を持った天使が先導しているそうです!」
「誰に聞いた」
あの、とブレンは言った。息が切れて言葉が続かなかったのだった。
「黒っぽい毛皮みたいのを着た男の子です。あと言われたんですが、なんかそっちの魔界の人? に至急戻ってくれと伝えて欲しいと言ってました。自分はここに来られないそうなので」
「ハエトリだ」
サーキュラーが言った。悪いな、とウリエルが続けた。
「立ち聞きされるといやなんで封じてた。しかし用心深いなクラヴァータ閣下。あの時の処分は芝居か」
「すまんな」
ちら、とサーキュラーはウリエルを横目で見た。
「戻れってことだし手伝えねえ。そこの坊ちゃんもすぐ戻ったほうがいいな。あらぬ疑いをかけられる」
「はい」
知らん顔してろ、とウリエルはラファエルに言った。サーキュラーも同意する。
「あとセラの話は秘密な。誰にも言うな」
「言えませんよ。では失礼します」
サーキュラーにそう答え、ラファエルは草稿を手に飛び上がった。続いてサーキュラーも飛行糸を繰り出す。
「頑張れよ」
「ちっ」
飛び去るサーキュラーの後姿をウリエルは眺め、それから門前に並べてある大きな草の実を確認するとブレンとともに門の中に入った。




