15 メドウ山の岩場
メタトロンがまだエノクという名前だった頃のことである。彼には年若い、仲のいい友人がいた。その友人には恋人がいて、彼らはある日、メドウ山の切り立った岩場でおかしなものを発見した。そのすぐ近くには洞窟があったが魔物が出るという言い伝えがあり、村の者達はそこには入っていかなかった。
「何だろうな、これ」
友人の名は伝わっていない。彼は分からなかったので物知りのエノクを呼んだ。岩の間に埋まって挟まっているそれは明らかに異質な物質であり、もともとは巨大な生物の骨が石化したように思われた。
「でかいな」
「この前の地震で出てきたんだ」
その巨大な骨らしきものは岩場の崖を細長く走り、すぐ近くの洞窟まで続いていた。そこから推測すると、おそらく洞窟内部にはその骨の本体そのものが埋まっているのだろうと思われた。
「どれどれ」
エノクはしゃがみ込み、岩と骨らしきものの隙間を持っていた刀でつついた。ぽろっと骨らしきもののかけらが崩れて落ちてくる。友人の恋人はそのかけらを拾って二人に見せた。
「なんだか熱いわ」
彼女がそう言った直後にかけらは発火した。びっくりした友人の恋人はそれを取り落とし、かけらは石畳の上で青い炎を上げて燃えさかった。
「危ない!」
エノクの友人は彼女を自分の近くに引き戻した。エノクの目は燃えさかる炎に吸い付けられ、動かなくなった。
(もしかして)
彼は以前聞いた古伝承を思い出していた。この世界がまだ混沌としていた頃に、旧世界者と呼ばれる巨大な生物がこの世を支配していた。その生物はやがて滅んでしまったが、その体は現在の空気に触れると青く発火するのだと言う。
「皆に言わないと。ここは危ない」
年若い友人が言うのを聞いてエノクははっとした。走りだそうとするのを止める。
「なぜだ、エノク」
「これはもしかして……」
言いかけた時に誰かの声が聞こえたような気がした。
(よくぞ発見した)
エノクは声のした方向を探して空を見上げた。
「誰だ……」
全なる父の姿が青空に映っていたと、神々の書物は伝える。その神々しい姿は、信心深いエノクの信仰をさらに強固なものにするのに充分であった。
(そなたは神か)
(そうだ。信心深き者よ)
神と意思疎通ができたことにエノクは歓喜した。同時にこの神に自分のすべてを捧げようとその時の彼は思った。
「ここは危険だ。あの洞窟も塞がないと」
「そうね。早くしないと火事になるわ」
天からの声は言った。
(旧世界者の聖なる遺物をお前は発見した。その遺物を守り我に届けよ。誰にも知られずに守り届けられたならばお前の功績を称え、我は天に召還しよう)
「なんだって……」
邪魔者は排除せよと神は暗に言っていた。友人とその恋人は押し黙ってしまった彼のことをいぶかしんだ。
「どうした、エノク?」
天からの声はたたみかける。エノクは目の前の二人を見た。腰に帯びた曲刀を握り、その手触りを確かめる。
(功績により召還されるのは一人だけだ。我はお前を信じるぞ)
そして天に昇っていったのはエノク一人だけだった、と言う。
メタトロンは目の前にいる若い二人に向かって怒鳴り散らしていた。男のほうは青ざめている。彼が切り殺した若者も同じような服装をしていた。あの若者は恋人を泉に連れて行くために、普段は通らない切り立った岩場を通ったのだ。
女のほうは記憶にあるよりも気丈だった。彼を睨みすえ、全身に警戒の気配を漂わせている。記憶と同じ長い髪を持ち、可愛らしい雰囲気をまとっていた。それが全身の毛を逆立てた猫のように彼を威嚇し、警戒していた。
刀がないことに彼は歯軋りをし、掴みかかろうとして自分が動けないことに気づいた。全身に焼けつくような痛みが走る。全なる父に背いたせいだと思った。
「お前ら……殺してやる……」
彼の呪詛を正面から受け止めて女のほうが言った。男のほうは呆然として怒り狂う彼を眺めていた。
「分かった。そうやって殺したんだね」
不意に彼は自分が何をしたのか理解した。それとともに過去から現在へと引き戻され、自分が何者かを思い出した。
「……くそ、反逆者どもめ」
ついで全身が動かない理由も思い出し、目の前の若者達がなんだったかも思い出した。このクソ生意気な女の名前はサンダーと言い、自分が殺した女とは別物だったはずだった。
「思い出したんだ。理由も分かったよ」
「理由が分かった?」
サンダーはうなずいた。ブレンはその後ろで真っ青になっていた。
「自分でしゃべってたよ。記録は取ったからそのつもりで」
錯乱状態だった時に喚き散らしていたとサンダーは言った。まあいいけど、と言って彼女は続けた。
「質問続けて大丈夫? 無理ならサーキュラー様に言ってやめるけど」
「続けろ」
こう見えてこの娘は魔王軍の四大将軍なのだ。それに心配されている自分がふがいなかった。
二つ三つの質問をサンダーとブレンがしたのちにこの作業は終了となった。なぜならメタトロンが眠ってしまったからである。いくら声をかけても起きないので、サーキュラーとセラフィムは室内に入ってきて二人に業務の終了を告げた。
「ブレンさんを送ってきますね」
セラフィムはそう言うと彼を連れてその場からかき消えた。サーキュラーはサンダーから質問用紙を回収し、ハエトリに渡した。
「さっきのと一緒に魔王に届けてくれ」
「分かりました」
ハエトリもいなくなった。ついで医者と数名の看護人がやってきてベッドに横たわるメタトロンの容態を観察し、ベットごと室外に運び出した。残っているのはサンダーとサーキュラーだけである。
「大丈夫か」
サーキュラーが声をかけてきた。サンダーの顔色があまりよくなかったからだろう。
「大丈夫です」
サンダーはそう答えたものの、あまり大丈夫なようではなかった。そしてサーキュラーにこう質問してきた。
「魔王様はメタトロンが人を殺した理由を知ってたのですか」
「……確実じゃないが」
ここから先はサーキュラーの思ったことに過ぎない。彼はこう続けた。
「魔王も聖典くらいは読んでいるだろうよ。だからお前らに尋問させて状況を確認したんだろう。『旧世界者』のことに関わってくるからな」
「『旧世界者』ってそれほどのことですか」
サンダーにはピンとこなかった。以前、旧世界者の関わった事案に遭遇したことはある。その時は確かに、ほんの少しの粉末でしかなかった旧世界者の遺物が持つ威力に驚きはした。しかしたかが神話の中に出てくるだけの存在がそれほど重要なのかと思ったのも事実であった。
「セラに関係してくると言ったらどうする」
「それは……」
サーキュラーはサンダーに向き直った。
「お前、セラはいったい何だと思う」
「えっ」
サンダーはしばらく考えて正直に答えることにした。
「分かりません」
「だろ」
サーキュラーは言った。
「異形神という言葉はある。だがそれが何を意味するのかは誰も知らねえ」
ファイはあの姿を見てそう言った。サンダーはそれを聞いてそうなのかと思ったのだった。
「おそらく魔王も知らない。あいつは勉強家だったがどこの辞書にもその本当の意味は載ってない」
たぶん、とサーキュラーは続けた。
「セラは旧世界者の生き残りだ。もとが何なのかは分からない。唯一神が壊しちまったからな」
「そうなんですか」
そうだ、とサーキュラーは答えた。
「それで何も分からなくなった。双子のお嬢様達もおそらくセラの本当の正体は知らない。神々としてのセラはあいつらと同類だがそれ以前は違うんだ」
「……サーキュラー様」
サンダーは思い悩むサーキュラーに言った。
「セラフィムさんがここにいたいならそうすればいいと思います。あれだけのちからがあるなら嫌になったら出て行くでしょう。セラフィムさんが何なのかは関係ないんじゃないでしょうか」
サーキュラーはじっとサンダーを眺めた。
「……そうだな。そうだ」
そして頭をひとつ振った。
「やっぱ切り札なんだな、お前。くさってるみたいだが辞めないでくれよ。これは要請のあった物資だ。全部揃えてある」
かちゃ、という音とともにサンダーの手にカギがひとつ手渡された。
「総司令部のロッカーに入ってるから持って帰れ。量が多くて大変だったぞ」
「あ、ありがとうございます」
ふう、とサーキュラーはため息をついて部屋を出て行った。サンダーは手に残った鍵を見て、それから魔王城に跳んだ。




