そこはかとなく
続くんだなぁこれが
衝撃の邂逅を果たしてしまった。人違いというオチで言えば笑撃と言えるかもしれないが、私はそれどころではない。頭脳をはみ出して、思考を司るはずのない
食道から足先までがその疑問に満たされた。
何故だ。貴女は三浦さんではないというのか。
瓜二つではないか。まるで、生き別れの双子の
姉妹のような…!
「…すみません。人違い……かもです……」
「どうしたの?大丈夫?お話聞きましょうか…?」
あぁ、なんてことだ。声までそっくりだ。しかし、
心配そうに見つめる彼女を前に、三浦さんかどうか
半信半疑に思えてきた。
叶うことならば今、「ドッキリ大成功!」とかいって、どこからともなく三浦さんが現れ、二人が姉妹であることを認め、何らかの言葉をかけてほしい。
が、現実は残酷だ。小さな一人間に過ぎない私の儚い心情など、現実は赤子の手をひねるが如く、いとも簡単に
打ち砕いてしまう。
思慮する間の数秒の沈黙。重たい口を何とかしてこじ
開けた。
「懐かしい人に…似ていたもので…」
「そうなの…ごめんなさい。嫌な思いをさせて…」
「いえ…大丈夫です…」
祇園精舎のなんとやら、諸行無常のどうとやら。
800年前から、人々が語り継いできた作品の、読者に
訴えかけんとするものの賞味期限は、常識のそれが
短い現代社会においても有効であるらしい。
それを象徴せんとばかりに、私の心に空いている部分にあったはずの何か。
わからないそれはあの日以来消え去り続けている。
あたかも風の前の塵に同じ様に。
齧られた くだもの はいつしか再生と修復の時が来るのだろうか。
★
三浦さんを想いつつ、見つけられないまま、
時は流れて冬休みに。その時間は少ないながらに
皆工夫して遊びに行く計画などを立てる、いわば休みの
ようで休みでない時間だ。
その中で、皆の大きな弊害となるのが冬季課題だ。
遊びを取るか、課題を取るか。
前者を取った場合、始業式の前日…つまり夏期で言う
なれば、8月31日問題が発生しうることになり、後者を
取るなら、課題をゆうゆうと終わらせられる一方で、
友人と疎遠になるかもしれないといった、死活問題と
なる可能性がある。
そこで、折衷案を思いついた。何も複雑怪奇なこと
ではない、図書館で勉強のために調べ物をする、
単純明快な案だ。
まさしく中庸である。
アリストテレスが「メソテース」でそう言っていた
通りの。
ともあれ、調べたいことの多い私にとっては
なにかと好都合である。とりあえず、当日までに遊びの
ない日を駆使して課題をほぼ終わらせておく
ことにした。
話は変わるが、パノプティコンをご存知だろうか?
かつて、イギリスの哲学者が設計した刑務所の
建築様式だ。
監視者は、円の中心点から、360度に存在する独房を
見渡せるといった仕組みになっている。
私の学校の図書館も、建物自体は三角柱の形をしているが、その中心にエレベーターと、それを軸とするような
螺旋階段が設置されている。そしてその軸を中心点○と
した時のごとく、三角形状に本棚が配置されており、
それが3列ほどあるのだから、迷路とさえ思えてしまうのだ。
当日。私含めいつものメンバー5人で学校前に集合し、
一路図書館を目指す。
冬休み冒頭とは言えど、いずくか見ゆる、幼顔の、
小学生の名残を残した1年生の図書委員数名が、慌ただ
しく働いている中、受付を済ませ、階段入り口の案内板に「歴史」と記載のあ る3階を目指し、トットットッ... とローファーとカーペットタイル、その接触音を不規則に響かせ、音を一定数鳴らせば、3階にたどり着いた。
数冊、前々から目をつけていた本を手に取り、
席の端っこに置くと、みんなと同じ様に課題を、
さも無尽蔵であるかのように実態は、ほんの数ページで終わらせられる量を大げさに「あぁ忙しい忙しい」などと言わんばかりの様子で解いていった。
しかし、時間を稼ぐことは思うより難しく、
気づけば予定よりも早く課題を終わらせてしまった。
それを見た…というより察知した北条が言を発したのを
きっかけに、皆の課題を閉館時刻寸前まで手伝うはめに
なったのだが。
冬休みと重なる12月。鎌倉の冬は雪こそしんしんと降らないまでも、観光客数が二番目に少ない今月は、
特別な月間である。
それは地元民にとって、開放的で、移動も楽な月間であるのにもかかわらず、私は、先日の図書館に出かけた
以外、部屋にこもっている。
冒頭の日、自室でなんとか図書館から借りてきた本を読んでいると、ノックの音がした。
入室を許可をすると、
酒瓶と、するめいかを持った父が
アルコールの匂いを身にまとっているとすら思えるほどの匂いを漂わせながら、入室してきた。
「失礼するよ。何を読んでるんだ?」
「鎌倉期の本」
「最近よく読んでるなぁ…」
なにか含みがちな余韻を残しながら、音源が遠ざかる。
「しかしなぁ…」
そう言って父は部屋をぐるりと一通り見て回りつつ、
話をふる。
「もうちょっと女の子らしいものをだなぁ…」
この小言のような発言の原因は、明らかに部屋の
インテリアにある。
その様はというと、もし私の部屋と私のワンショットが
撮られ、道行く人々に、一切の説明もなくそれを見せ、 「この女の子の趣味を答えよ」という問題を出せば、
おそらく、100人中93人は「読書」と答える
だろう程で。
ちなみに、余談だが、残りの7人は私の家族と親しい
友人達である想定だ。
ちなみに、本棚を見ると同年代が読んでそうな小説が
多くても3冊ほどで、 他は全て最近購入した刀剣月報や、鎌倉時代関連の本ばかりが計20冊ほど。
これらが全体の幾ばくかを占める。
他は全てもともとこの部屋を書斎として使っていた
祖父のものである。故に壁一面が本棚でかつ、
本が敷き詰められている。それも圧を感じるほどの数と
内容で見るものを威圧する程に。
それらのいくつかを段ボール箱に仕舞い、本棚の上に収納した分の空きスペースに、私の本が詰められたのである。
その他、机ベッドも祖父のお下がりで、ちょっと古めかしいのである。とあれ、小言の原因の元はこの部屋に入ると決めた昔の私のせいでもあるのだが。
「女の子らしいって、なんだろうね」
「おっと、弁証法かね?」
「別に。哲学を人よりやっていた人にそんなことはしないよ。」
思えばこの半年弱、三浦さんや相州伝を足がかりに
して、歴史が好きになった。特に、 鎌倉幕府政治抗争史に興味を持つが、まだ初学者の身。宗教史はまだまだ未達で、 法制史は始めたばっかりであるも、早くも荘園制
理解の難しさで狼狽え、 軍政史はお硬い研究書か武具防具しか扱ったものしかなく、さて残るは...というところで目に止まったのが政治抗争史であった。
現在で考えられない、混沌とした諸行とその顛末に得も
言われぬ感情を抱いた。
それは、あの相州伝を見たときとは似て異なるものだったが、根底は同じように思う。
未知との遭遇と言ってしまえばいいのだろうか。
いろいろあって、歴史の点数だけは日本全国の教育者が眼を見張り、分析したくなるであろうほどの右肩上がりを遂げた。
そのせいか、良いか悪いか、歴史の先生にも目をつけられてしまったのは言うまでもないが。
そんなことを思い出していると、ふと、
祖父のところに行きたくなった。昔に刀がどうこうと
言っていた思い出が突然蘇ったからだ。
そして哲学談義など到底したくないというのもあるが、
ともかく、誰がどう見ても取ってつけたようだと
思う程、急にその話を切り出す。
「あ、そうだ。お父さん。次いつお仕事?」
「うーん..10日後だったはず」
「了解〜それまでにおじいちゃんのところ行かない?」
「母さんと相談しておこうかな」
★
葉山の、御用邸近くの一軒家に祖父は住んでいる。
女中さんに導かれ、個室のドアを開くと、祖父は椅子に座って、 祖母とお茶を飲んでいた。
「おお、紗希じゃないか。久しぶりだな。
元気しとったか?」
「紗希ちゃん、久しぶりねぇ〜」
「うん! 久しぶり!」
「お久しぶりです。お義父さん」
祖父母が大好きな私と、かしこまる父。
血が繋がっているかいないか、立場の違いというものだろうか。おそらくどこの家庭でもみられる光景を表し
つつ、少々の世間話をしていると。
「おぉ、本を読んでいるのか。なんの本だ?」
「最近気になり始めたもので...」
何かしらで刀に関わっていた人にそれを見せるのは
変ではないだろうかと思い、父に目をやった。
「恥ずかしがり屋さんだなぁ?」
「ええ、最近は何かと。年頃ですかな。紗希、
お渡しなさい。」
「はっはっはっ... さて、どんな本かな」
「どーぞ!」
笑顔のまま祖父が受け取り、題名が目についたであろう瞬間にふと、妙な感覚がした。 なにかが重い。 微妙な空気に一面が支配されたかのようだ。
「ほぉ…」
妙な声音がした。同じ人間から発せられたとは思えないほどのものである。
「懐かしい。相州じゃないか。」
顔を上げた祖父の目は大きく開かれ、ミシミシと眼力が 宿り、年齢にそぐわぬ活気に満ちあふれていた。
今までの優しく、細めの日とは全くの正反対な目である。まるで、八幡神が顕現したかのような....
一瞬であたりが凍りつき、この個室だけ、気温が絶対零度であるかのようだ。…いや、私だけだろうか?
「知ってるの…?」
「あぁ〜ちょっと昔になぁ」
優しい声色に誘われて視線を戻す。するとそこにはいつもの優しい顔つきの祖父がいて、雰囲気も戻っていた。
戻ってきた。とでも言うべきだろうか。
それにしても何だったのだろうか。
あたかも、八幡神が顕現したかのような、あれは。
その後、学校での出来事や、三浦さんのことを話した。
しかし、別人かのような祖父は現れなかった。
その後、父は祖父と話があると言って、先に部屋を出るように促された。さすがに中学生なので、実を結ぶはずのない少々の抵抗だけをして退出した。
★
30分後、祖父母の見送りで、祖父母宅をあとにした。
帰り道、渡した本を見ると、あの光景が脳裏にうかんでくる。ついに耐えきれなくなって帰りの車の中で、父にそれとなしに聞いた。
「相州伝のとき、おじいちゃんが一瞬別人のように感じたんだけど、気のせいかな」
「... あの後、お義父さんと話したのは、それに関してなんだよ」
「というと?」
「昔のおじいちゃんの話だよ。まぁなんてことはないんだけど、話すか話さないかの判断つかなかったらしい。
もうこの年頃なら、話していいってさ」
どうやら高度なことであるらしい。
さて、なんだろうか。
一回まばたきする間に思いついたのは、
腹違いの孫がいるとか、余命幾ばくもないとか、
何故か価値観などが変わりそうなものばかりで
少し身構えたが変に怯えず少しだけ強がる方を選んだ。
「え〜気になる〜」
ちょっぴり、全身がぴりぴりする。
お父さんが一言目の音を発した時、緊張が最高潮に
達した。
「あの人は昔、上海の陸戦隊にいたんだ。」
斜め上の回答に何と言っていいか、気が抜けたのは確かなのだが、文字通り鳩が豆鉄砲食らったように口を開けたまま、私は頭では理解しながらも、口を動かすことはできなかった。
私はこのあと、狭い車内で素っ頓狂な声を上げること
になる。
はてさてこの始末。次回はどうなることやら…。