世界の異変
※2720字 本作の最長部です。
朧月夜。
空虚感に苛まれた大地の神は、根を張る暗い地中を、温かい海中を縫い進む。
土を僅かに掻いて外を覗こうとした途端、ぐうぜん触れてしまった鉛に腕が吹き飛んだ。
それだけではなく、瞬く間に地面が飛散し、破壊された。
人による攻撃は、人の身体やその一部分を削ぎ落とし、焼き続けた。
落ちた血潮や上がる悲鳴、嘆きが雨になる。
欠損した腕を押さえながらその場を退避し、辿り着いたのは、国境を越えた先に広がる廃れた街の地面だった。
根を潜り、激痛を癒すべく冷たい酸素を求めようと頭を突き出す。
気付けば重くなった鉄の頭に降り注いだのは、怒号や罵声だった。
殴打され、地面に擦りつけられた人間は痛みに叫ぶ。
滲み出る苦労と苦痛の涙が土の奥深くまで染み渡っては、大地という身体に吸収されていった。
人は、置き去りにされたままの罪や伝染病、欲求不満に歪む心に溺れ、通りすがりの人を襲った。
人を売り、買った。
形にならない希望や願い、善意が象った新たな負荷、声にしたところで無意味だと断念する心などを、大地は予てより直視し、受け止めてきた。
しかしそれにも耐えきれず、逃げる様に姿を眩ませた。
ぬるい空気に咽せながら腕を押さえ、辿り着いた大海を進み続けた。
じきに身を投じたのは別の大陸だ。
砂や海水を払い除けるよりも先ず、腕の再生を優先する。
掻き込む様に息を吸いながら、痛みを呑んで身体を起こした。
頭が酷く重い。
全身は影に揺れ、大気に馴染もうとする。
患部を押さえるもう片方の腕は、腐敗した根の様に変わり果てていた。
鼻や喉を流れる空気は温く、苦い。
異臭は酸によるものか。
首を持ち上げ、不愛想な夜空を仰ぐ。
赤く染るぼやけた視界に雨を捉えた。
いつからか鉛に変わり果てた頭を酸性雨が伝い、錆を促進させる。
漸く腕の再生が叶うものの、元のそれとはやはり違った。
不気味な影を揺らす悪魔の手だ。
歪な体型に変わりゆく中、全身を巡る激痛に唸りながら砂浜を踏みしめる。
そして、絡みつく漁網や合成樹脂、金属に木材、化学薬品を叩き落とした。
痒く、重く、痛く、腹立たしい。
悲しいほどに世界は何も美しくなく、楽しくもない。
我慢の限界に歯が鳴る。
こんな風に成り果てた己に、目を覆いたくなる。
とはいえ、その手を阻むのは鉛と化した頭だ。
重過ぎるそれに耐えながら不安定に歩幅を刻むと、振動で全身が痛む。
不味い空気に嗚咽し、吐いたのは黒ずんだ血だ。
血溜まりを見下ろした時、浜の見た目と踏み心地に違和感があった。
ここはよく上がる波打ち際ではないのかと辺りを見回した時、息が止まる。
徐に見上げたそこに聳え立つのは、自然に関心を持とうと建設された巨大な建造物だ。
人工海岸から広がるエリアは、商業、宿泊、スポーツやレジャーを目的としたものだ。
不意に襲いかかる圧迫感から逃れようと、再び逃げる様に海に姿を消す。
どこかもっと開放的な所へ。
もっと澄んだ空気を求めて。
もっと生きた土がある元へ。
それらを探す内に涙も乾いていた。
もう、在り処を忘れてしまっている。
元の美しさを取り戻そうとする努力は、共に自然として在り続けようと願う心は、悉く薙ぎ払われてしまった。
守り続けていても、守られる事はなかった。
寒さに震える様に、傷が疼く様に、ほんの小さく大地が揺れた。
計測不可のそれは、人が気付く事はない。
何処にいても至るところから声が聞こえる。
地面は人に置き換えるならば耳であり、肌だ。
もう随分な重量を支えてきた。
物理的なものから精神的、心理的なものも。
魂を繋ぐ根を張り巡らせてきたが、腕の震えが限界を示していた。
顔が燻んでしまった。
務めを全うしきれない焦燥に、眼は血の様に赤く光るばかりだ。
原動力である腹の光は彩りを失くし、苦痛しか上げない。
そんな変わり果てた姿に、とうとう笑いが込み上げる。
どこかで命が奪われる音が聞こえたならば安堵した。
1つ、また1つと穢れや苦痛が消えていくにつれ、自身の負荷が減少した。
しかし物足りない。
人は何十億もおり、そう易々と後を絶つ事はなかった。
それが歯痒く、再び海へ身を投げ出す。
毒々しい空気の臭いから、空や海の術も追いついていないと気付くと、灼熱の眼光が灯る。
消し飛ばすなど容易いが、ただそうするのでは気が治まらない。
穢れなき地球を取り戻すための犠牲を篤と味わわせようと、手を下した。
吸収した苦痛や己が抱く憎悪によって、大地の神コアは身を大きくさせると、サタンの笑みを浮かべる。
そして適当に飛び出した陸に、誰の目にも映らない己を晒すと、腐敗した木の根の様な両腕を広げた。
項垂れたまま、影が滾る腕から呪いの陽炎を放つ。
それは蛇の形と化すと、地面をどこまでも広く速やかに這い進んだ。
陽炎は横道に逸れ、芝生に踏み込んだ。
月が見下ろす中、誰も居ない公園の遊具の間を縫い、先に広がる森の遊歩道に向かう。
速さは目まぐるしく、もう、人が入り込む様な道からはすっかり外れていた。
そこで更に、僅かな月明かりを受けて光る銀の草原狼に姿を変える。
それを捉えた黄褐色をした別の草原狼は、威嚇しながら身を引いた。
銀の被毛をした仲間の口から滴るのは、銀の雫だ。
銀の草原狼は空腹による焦燥に駆られ、相手に襲いかかる。
灰色の眼が月光を受け、そのまま全身に鮮やかな銀の光の筋を走らせた。
肉付きを増した体格の差は圧倒的で、相手の草原狼は怯むと踵を返すのだが、遅かった。
走り出すまでに首に噛みつかれ、仕留められた――筈だが、激痛と猛烈な熱さが体内を巡り、悲鳴を上げながら同じ銀の被毛に豹変すると、反撃を始めた。
追い回す速さは風を切り、歪む2頭の残像は街にまで伸びてしまう。
「喰えばいい……喰って、広めればいい……血を変えてやりゃあいい……遺伝子を変えてやれ……お前達や仲間がされてきた様に……」
片や、別の方角へ向かう陽炎の蛇達は、夜の街中を這い進んでいた。
車や自転車、電車に難なく付着すると、回転する車輪に巻きついては、いとも容易く停めてやる。
人はサドルから激しく地面に叩きつけられ、すぐ傍で起きた自動車の玉突き事故に巻き込まれた。
鉄橋を走る電車は、原因不明の急停車によって車内事故を起こし、長時間の立ち往生が発生した。
救助隊が駆けつけても扉が速やかに開けられず、中の怪我人の救助は次々と遅れた。
「痛み、恐怖を味わわせてやればいい……当然の様に流れる幸せを……打ち消してやればいい……」
集まる騒ぎや悲鳴、涙の声が腹に集まる事で、コアは喜びに溢れた。
寄せられる人の苦しみが快適でならない。
このまま減少すれば、空も海も豊かさを取り戻せる。
姿を見せず留まる事もしなくなった風も、気が変わるかもしれない。
そんな未来を、真っ赤に熱した視界に見ては、狂気に呵い続けた。
代表作 第3弾(Vol.2/後編) シリーズ最終作
大海の冒険者~不死の伝説~
2025年 2月上旬 完結予定
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その他作品も含め 気が向きましたら是非