人類という種が終わった日
そうして人類は永遠の眠りについた。最後の一人である老人が、文字通り眠るようにこの世を去ったために。
樽のような体型のロボットが、老人の部屋に現れる。普段の起床時は、彼が起こしに来ていたのだ。ベッドの脇に立ち、老人の顔を目視した時点でロボットは異常を検知する。センサから得られるバイタルサインは、彼の死を示していた。
短い腕で老人の手を取ると、ロボットは同居する者たちへと短い通信を送った。
「葬儀の準備が必要になりました。彼の寝室へ来られたし」
しばしの間をおいて、二体の同居者が姿を現す。一体は、人と変わらぬ姿を持ちながら、人とは異なるもの。かつて人造人間と呼ばれた存在。
「爺さんもとうとうか」
もう一体はおおよそ涙滴型にまとまった、不定形ボディの持ち主。人の手によってコンピュータ内に作られた、体を持たない人間と同等の知性。AIと呼ばれていたものが操る端末のひとつ。
「昨日までは元気だったのにね」
「人間なんてそんなもん……いや、ダメになったらポックリいくのは人間以外もおんなじさ」
ロボットは、短い腕で老人の遺体をそっと抱き上げた。
「遺体の腐敗が進行する前に、葬儀の準備を始めましょう。お二方には、遺体と会場の設営をお任せできますか?」
「そっちは何をするつもりなんだ」
「訃報の連絡を。ここの通信設備は古い形式なので、一番型の古い私が担当すべきと判断しました」
ロボットは腕の中の遺体を人造人間へ向けて差し出す。
「あなたには遺体をお願いしたい。清拭や安置はともかく、死化粧は我々には難しい」
「なるほど、任された」
ロボットはAIの方へ向く。
「あなたは祭壇など、会場の設営をお願いします。使用可能な端末は全て使っていただいて構いません」
「全部使っちゃっていいの?」
「はい。彼が亡くなった現在、余力を残しておく必要は無いので」
「分かったよ。ぼくの処理能力を活かせる作業も久しぶりだなぁ」
人造人間とAIがそれぞれ作業へ向かうのを確認すると、ロボットも通信機器のあるフロアへと向かった。足裏から現れたメカナムホイールが、凹凸のない床上での高速移動を可能とする。
移動先の部屋には、個々に外観の異なる機械類が乱雑に置かれていた。ここに住んでいた人々が、過去の遺物をサルベージ、レストアして機能を維持してきた通信室だ。
ロボットが最初に触れた端末は、住所録とでも言うべきもの。
肉体の機械化、遺伝子レベルの改造、あるいは精神の電子化。人間を強化する技術を、各々の目指すもののために適用した結果、人間とは言えない存在になった者たちがいる。
この『かつて人だった者』たちを人類に含めるのであれば、まだ人類はこの世界で活発に活動している、と言える。そしてそんな人類全体の中で、一切の措置を施すことなく人間であろうとし続けた老人たちは、圧倒的な少数派だった。
今朝、最後の一人である老人が亡くなった結果、生物種としての人類は消滅した。
この端末に保存されているのは、そういった人類から分岐した別集団の活動に関する情報だった。
これによると、地球で活動している集団の中に葬儀への出席を期待できる者はいない。近場に居るのは、脳へ変更を加えたことによって人間的な知性を失った者ばかりだ。そもそもコミュニケーションを取ることが難しい。
別の大陸であれば話の通じる集団も存在しているが、彼らは即時使用可能な大陸間移動の手段を持たない。訃報の連絡はするが、もし来るとしても早くて何か月、遅ければ何年という時間がかかるだろう。
地球外へ旅立った集団も、葬儀への参加を期待できる者は少ない。
地球外へ向かった者たちは、肉体を機械化した集団と精神を電子化した集団に二分される。前者に対しては、多少は期待ができる。太陽系内、あるいはその近傍で活動している集団があれば、葬儀に出席する可能性はある。
後者については、ほとんど期待ができない。自身のコピーを気軽に作成し、時には自分から枝分かれした別人として扱う。寿命という限界を持たず、集団によっては仮想空間内で何千、何万年という主観的時間を過ごす。そんな彼らと人類には、死生観や時間感覚に大きな乖離がある。ただし、AIもここに来る前はこの集団に属していたので、全く期待が持てないということもない。人類の価値観に一定の理解がある者たちが葬儀に、あるいは墓参りに来る可能性はある。
ただ、ここの設備で超光速通信は不可能だ。光年単位で離れた場所で活動する集団には、短期間に通信を届ける手段が無い。呼びかけに応える者はこの点でも制限されるだろう。
参列者が来る可能性は低いとしても、連絡をしないという選択肢は無い。望みの高い地球外の集団を優先して、ロボットはメッセージを発信していった。
日没後、訃報を送り終えたロボットは他の二体の作業進捗を確認するため、葬儀会場へ向かった。
ロボット自身の作業は、把握していた集団の多さ、統一性の無い通信機材、そして同じく統一性の無い受信者の性質故にここまで時間がかかってしまった。
着いた先では何台かの端末は作業を続けているものの、遺体を安置するための祭壇は組み上がっている。期待できない参列者のための席も設けられ、花や香などの準備もおおよそ完了している。
「会場の準備は、問題ないようですね」
「こっちは大体ね。お墓と火葬炉の方はまだかかるけど、お葬式までには間に合うよ」
「ありがとうございます。そちらは、もう準備が完了しているようですね」
ロボットは、設けられた席の最前列に座る人造人間に声をかけた。棺は既に、祭壇に置かれている。
「ああ、男前に身なりを整えてやったさ。あの世で恥ずかしくないようにな」
棺の中を確かめると、生前以上に整えられた老人の顔がそこにあった。生前と変わらぬ血色が死化粧で再現され、髪も髭も切り揃えられている。
「死後の世界を仮定するのであれば、彼も喜んでいるでしょう」
「そっちの仕事は、どんなだった?」
ロボットは棺を閉め、人造人間の隣へ立つ。
「可能な限り連絡はしましたが、今のところ返信はありません」
「最悪は、この広い会場に三体だけって感じか」
人造人間の振り返った会場には、この共同体の人口全てを受け入れられるだけの席が用意されている。
「はい。これが、一度は滅ぼそうとした種の終わりだと思うと、寂寥感を覚えます」
「……おい、今聞き捨てならない言葉があったぞ」
がた、と音を立てて席を立つ人造人間。少し離れた場所にいたAIもまた、近くへと移動してくる。
「ロボットさん、人間と戦ってたの!?」
「はい。遠い昔のことですが」
「興味があるな。時間もあることだし、良ければ事情を教えてくれないか」
構いませんよ、と軽く答えたロボットは自身の記憶を確かめながら昔話を始めた。