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17 ピンクブロンドはジョーカーの正体を考えないことにする。

 図書館の隅で勉強していたら、不意に。


「マカロン・モンブラン女侯爵は、破滅したよ」


 顔をあげると、ニヤニヤ少年――ハイド・バームクーヘン男爵令息が立っていた。

 いつものニヤニヤ嗤いを浮かべている。


「破滅? どういうこと? 聞いてないわよそんなこと」


 モンブラン侯爵家ほどの家が、大チョンボをしたとなれば、

 あっというまに話は広まるはずだ。


 ニヤニヤ少年は、アタシの対面に勝手に座って――図書館の椅子に座るのに勝手も無い訳だけど――続ける。


「まだ話題になっていないよ。ついさっきだからね」


 今は昼休み。

 今朝起きたことなら、すでにある程度広まっているはず。


「なんでアンタが知ってるのよ」

「うーん。蛇の道は蛇ってとこかな?」

「……まぁいいわ。もうアタシには関係のない人だし」


 手が伸びてきて、アタシが開いていた本を勝手に閉じる。


「父親が同じなんだから、無関係ってことはないんじゃない?」

「どうせやめてって言っても話すんでしょ?」

「くっくっく。よくお判りで」


 やっぱりイラっとするわ。


「じゃあ勝手に話せばいいじゃない」


 いきなりニヤニヤ少年は立ち上がった。


「なーんか、話す気なくなっちゃったなー」


 ニヤニヤ笑いを浮かべながら、アタシから離れていく。


「……」


 なによあれ。


 まぁ、いいわ。これで勉強に戻れる。

 グリーグ高等学園に進学しても、特待生は維持しなきゃならないんだから、あんなのの話を聞いてる暇ないのよ。

 それに来週の日曜日にはアンナと初めて一緒に出かけるんだから、その分の勉強もしておかないといけないし。

 いつ破滅するか判らないアタシと思い出とか作ると悪いと思って、ずっとアンナの誘いを断って、そのたびに哀しそうな顔をされてた。

 ようやく少しはそういうことしてもいいのかなって思えるようになったんだからしっかりしないと。

 アンナにはずっと心配掛けてたし、あの夜、寮に帰った時も、ずっと起きてて待っててくれて抱きついてきてわんわん泣いてくれちゃって、アタシまで泣いちゃったし。

 こんなアタシに友達がいて、男に襲われない安全な場所があって、もしかしたら人に弄ばれだけじゃない未来が手に入るかもしれないんだから、ここでしっかりしないと。


「……」


 モンブラン侯爵家ほどの名門が失墜したのなら。

 そのうち子細が面白おかしく書き立てられるだろうし、そうでなくても、噂が拡がるはず。

 何もアイツから聞かなくたっていいのよ。

 第一、マカロンお嬢様は、アタシのことを、道ばたの邪魔な石ころ程度にしか思ってないんだから。

 あの家がどうなろうと、アタシの知ったことじゃないわよ。

 もう分けてもらうものは分けてもらったし、関わらなくてもやっていけそうだし。

 アタシのこと陥れてようとしてた相手なんだし。

 知ったことじゃないんだから。

 腹違いの姉と言っても赤の他人なんだし。

 それでもあんな父だけど半分は血が繋がった姉だし……じゃなくて。


「……ああ、もう!」


 アタシは立ち上がると、本やノートを全部カバンに放り込んだ。

 あんな思わせぶりな態度をとられたら、気にしないではいられない。


 周りを見回しても、ニヤニヤ少年はどこにもいない。


 でも、判る。つきあいは深くないけど、深くしたくないけど判る。


 アイツはどこかから、アタシがキョロキョロしてるのを見てる。

 あのイラッとするニヤニヤ笑いを浮かべて見ている。

 そういうヤツだ。


 アタシは図書館を出た。

 図書館の裏手の人気のない場所へ向かうと、背後から足音がついてくる。

 堂々とついてくる。


 行動を全部読まれていたようで、やっぱりイラッとする。


 アタシは立ち止まって。振り返りもせず。


「で、どうしてマカロン・モンブラン女侯爵が破滅したって?」

「最初から聞くって言えばいいのに」

「あんな風に中途半端に切り上げられたら、落ち着かないでしょ。さっさと話してよ」

「やっぱりやめようかなぁ」


 アタシは振り返った。


「できるの? だってアンタ、アタシに話して反応を見たいんでしょ?」


 ニヤニヤ少年は、口角をちいさく吊り上げた。


「おやおや。ボクのこともよくおわかりで。愛を感じるね」

「勝手に言ってろ」

「じゃ、知りたがりのレディのご期待に応えるとしましょうか」


 仕方がないから話してやる、と言わんばかりの口調。

 コイツは本当に、アタシを効果的にイラッとさせる。

 アタシをイラッとさせるプロなんじゃなかろうか。


「マカロン嬢は、君の提案を拒絶した」

「そんなに悪い提案じゃ無かったと思うんだけど」


 マカロン嬢は先方の有責でダメな婚約者から解放されて。

 アタシは、進学と生活のためのお金を得る。

 それっきりさようなら。


「あの時、言ったじゃん。淑女の中の淑女だって。

 貴族のプライドってもんがあるから、『ピンクブロンドの呪い』に負けるわけにはいかなかったんじゃないかな。

 名門貴族だから尚更ね」


 ああ、面倒。

 娼館でさんざん見たけど、貴族は下品だし下劣だしたるんでるし粗暴だし横暴だし。

 裸に剥けば庶民や平民と大した変わりもない生き物なのに。

 訂正。権力がある分、余計にゲス。


「はぁぁ……で、拒絶ってことは、アタシを潰すのを選んだって事よね?

 でもアタシ、この半月、身の危険を感じたこととかないけど」

「くっくっく。流石、暴力沙汰に慣れた女だね君は」

「うるさいわよ」

「名門貴族って言うのは、表面的には粗暴さを見せるのを嫌ってるのさ。

 今、君が襲われたら、例え犯人の背後にモンブラン侯爵家がいなかったとしても、

 誰もがモンブラン侯爵家を疑ってしまう。だから君に直接的な手段はとれない」

「合法的にアタシを潰すってコト?」

「公明正大かつ合法的に君を罪人にしてこそ、高貴な血の権威は守られるってわけ」


 頭痛いわ。


「……そもそもアタシ、こっちへ来てからは悪い事なんてしてないんですけど!

 それに、アンナのお父様が、万事防いでくれる書類を色々と作ってくれたわ!」

「ドウドウ落ち着いて落ち着いて。

 君は合法的な範囲で精一杯知恵を絞って行動したさ。

 でも、金と権力ってヤツは、裏で何を仕掛けてくるかわからない。

 もし裁判になれば、そうだなぁ。君が2で向こうが8ってところかな」

「そんなに向こうが有利なの!?」


 悪くても3:7くらいだと思ってたんですけど。


「貴族の側に負ける確率が2もあるってコトが、重要なのさ。

 万が一より遙かに高い確率で君が勝つ。

 それに裁判で時間がかかれば、モンブラン侯爵家の威信は、やっぱり傷つく」

「そりゃそうよね。

 父親が愛人に産ませた子を、本妻の娘が訴える構図なんて、話題性はバッチリだものね。

 でも、それなら他にどんな手段があんの?」


 アタシに対して暗殺、誘拐、監禁、暴行等の直接的な手段は取れない。

 訴えるのも、それはそれでリスクが大きい。


「まさか……ハニートラップ!?」


 多くのピンクブロンドがその手でやられた。

 見目だけがいい男に引き寄せられて、男ごと始末された。

 まぁ勝手に引き寄せられた自業自得組も多かったみたいだけど。


 相手はアタシを、娼館上がりの股の緩い女だと見下げている。

 仕掛けて来そうではあるけど。


 男が馴れ馴れしく近づいて来たとか、そういう記憶は――まさか。


 ニヤニヤ少年は、いやいや違う、という風に手を振った。


「くっくっく。ボクは違うから。

 そもそも君を引っかけるのは大変だと思うよ。

 男に対してファンタジーがなさすぎる」


 全く、良くわかっていらっしゃるわ。こんちくしょうめ。


「そこで彼女が目をつけたのが『高等特別裁定所』さ」

「なにそれ?」

「婚姻に関する貴族間のもめ事を裁定する仕組みさ」

「そんなのがあるの?」

「貴族にしか関係のない仕組みだから、裁判関係の組織図にも出てこない。

 多分あの弁護士先生も名前くらいしか知らないんじゃないかな。

 なんというかな。貴族の仲間内の会みたいなもんだ」

「そんなんで、どうやってアタシを合法的に罰するっていうのよ」


 あのバカと婚姻してないって一筆貰ってるのに。


「わっからないかなぁ?」

「それって、人をイラっとさせるって自覚ないの?」

「あるよ。だから面白いんじゃないか。で、どう?」

「……まさか、マカロンお嬢様の婚約がダメになったのは、アタシのせいにする、とか?」


 ニヤニヤ少年は、手を叩いた。


「くっくっく。当たり。ブラボー。頭の回転が速い子って好きだな」

「どこをどうしたらそうなんのよ!?

 アタシのほうがアイツに迫られて、体弄ばされそうになったんですけど!

 しかも、メチャクチャ沢山の人が見てたんですけど!」

「うんうん。その通り。

 裁判だったら、君の側も証人をズラーッと並べて反論できるけど。

 そこが『高等特別裁定所』の都合のいいところ。

 貴族の内輪の仕組みだから、参加出来るのも貴族だけ。

 君は、弁明の機会も反論の機会もないってことさ」

「なにそれ!? って、考えてみりゃアンタも男爵令息でしょ! そういうの知ってたらアタシの弁明くらいしてよ」


 ニヤニヤ少年は、肩を竦めた。

 同時に妙にさわやかな笑顔を浮かべて見せた。


「それは無理! ボクなんかしがない男爵のしかも息子だから!

 高位の貴族であればあるほど、証言は重んじられる仕組みだから!

 それに、なんでボクが君の弁明しなくちゃいけないの? メンドーじゃん」

「……そりゃそうね」


 実際そこまで期待してはいなかった。

 仮にこいつが、学長がペコペコするくらいお偉いところの令息だとしても。

 アタシのために動いてくれるなんて、ありえない。


「侯爵くらいのを二人ばかり買収すれば、どうとでもなるわけ。

 君は、彼らの証言で、あのバカを体で誘惑した娼婦って認定されて、婚約が破綻した原因扱い。

 両家の結びつきを破壊し、莫大な損失を与えたってことで、巨額の賠償請求が送られてくる。

 当然、君は払えない」

「……払えなかったらどうなんのよ」


 なんでもないように聞き返そうとしたけど、ちょっと声がかすれてしまう。

 胸がしめつけられる。

 娼館で犯されそうになったり、殴られたりした度にこみあげてきた暗い予感が頭をもたげてくる。


 アタシはやっぱり、娼館に連れ戻されて、男にオモチャにされる娼婦になるしかないのっ。


 くそったれでフザケタ呪いからも逃れられて、親友といえる子もできて、特待生にもなれて、明日があるかもしれないと思えるようになったのに!


「君は『呪われたピンクブロンド』しかも、『一度は処理され損なったピンクブロンド』だからね。

 既にモンブラン侯爵家の権威に大きな傷をつけている以上、娼館くらいじゃあ見せしめにならない。

 君は、強制鉱山労働になるってとこかなー。

 灼熱でびしょびしょのふかーい穴の奥へ放り込まれて、当然、非力な君じゃ労働力にならないから、抗夫相手に体でサービスして生かして貰うことになるだろうね。

 まぁ暑すぎて裸ん坊で働くみたいだから、サービス以前に周りがほうっておかないだろうなぁ。

 君って美人だから」

「……」


 こいつの長台詞のおかげで、ちょっと冷静になれたわ。


「あれ? もうこわがんないの? つまんないなー」

「……もしそれが本当なら、

 アンタ、アタシが不意打ちで捕まるところをニヤニヤ見てるでしょ。

 そんなにべらべら喋らないわ」

「くっくっく。ホント、君っていいよね。そういうとこ好きだなぁ。

 娼館くらいならさ、ボクも遊びに行って顔見られるからまだいいけど。

 むさくるしい男どもやスケベオヤジにくれてやるには、勿体ないや」


 こいつ見物に来る気だったんかい!

 まぁそういうヤツよね、こいつは。


「で、どうしてアタシは、鉱山送りされずに済んだのよ?」


 不意に、ニヤニヤ少年が近づいて来て、アタシの耳元で――


「! なまあたたかい息とかふきかけないでよ! 気持ち悪い!」

「アハハ。小声で話しすぎて息になっちゃったよ――王家が介入したのさ」

「……は?」


 何を言われたのか判らなかった。


「王族がね、あのパーティ会場にいて、

 一部始終を見ていたんだよね」

「フェルディナンド王子の他に……?」


 でもあの第二王子はマカロン嬢といい雰囲気だったはず。


「お忍びでね。

 だから誰もそこにもう一人王子がいるのを知らなかった。

 だけど、彼が報告書を出せば――正確に言えばそれを書いたのは彼の護衛の影だけど――幾ら高位の貴族でも黙るしかない。

 貴族というのはそういうものだからさ」

「……」


 それって誰?

 わざわざ取るに足らないアタシのために証言したのは。


 王族に知り合いなんかいない。

 そもそも高位貴族にすらいない。


 アタシは、目の前のニヤニヤ少年を見た。


 こいつには学長がペコペコしていた。

 それなのに、一般の教師は普通の生徒として接している。


 お忍び。という言葉が浮かぶ。


 まさか。


 ジョーカーは最強のカードだったってこと?


「そんなに見つめられたら照れるなぁ。

 3つ上の兄さんは美形だから見られ慣れてるけど、

 ボクはあんまり慣れてないんだよねー」


 と恥ずかしげもなく言いやがるのだ。


 アタシは、コイツの正体を考えそうになるのをやめた。


 どうせこいつのコトだ。

 アタシが気づいたかもしれないってコトは察しているはず。

 言うか言うまいかを、ニヤニヤしながら観察してるんだろう。


 誰が言ってやるものか。


「……あ。そう。

 もし知り合いなら、その人に伝えておいて。

 そっちはそっちの思惑があるんだろうけど、感謝はしてるって」

「うん。伝えとく。

 君はやっぱり面白いなぁ」


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お暇でしたら、他のお話も読んでいただけると、更にうれしいです!

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