16 ヒロインの敗北 ピンクブロンドの呪いの終わり(義姉視点)
本人不在のまま進められようとする審議。
ピンクブロンドに高貴なる鉄槌がくだるのか。
「最低ですわ……」
わたくしの口から、言葉がこぼれてしまいました。
誰にも聞こえはしなかったようですけど。
高貴なる血筋。高貴なる言葉。
『月下香の間』に集まっているわたくしを含めた4人の貴族。
このどこにそんなものがあるというのでしょう。
水面下の交渉で利権を与えればば、あっさりと嘘をつく高貴なる血筋。
嘘も高貴なのでしょうね。
中でも最低なのは、証人として出席しているワッフル侯爵家当主 マンネルハム・ワッフル。
あのパーティの主催者です。
美しく老いた五〇代の男。
大侯爵家の当主らしく、洗練され一部の隙もない物腰。
清潔感と洒脱さの絶妙のブレンドである身だしなみ。
会話の端々から滲み出す深い教養。卓抜した政治力。
中身は下劣かつ低劣の極みですわ。
この審理で証言して貰うためにワッフル侯爵邸に赴いた時。
わたくしは身をもって、その片鱗を教えられたのです。
普通なら、婚姻前の乙女が老いたとはいえ異性とふたりきりになるのは避けるべきでした。
ですが、この交渉には裏があったので、余人は交えられません。
それでもワッフル侯爵は紳士的で、それほど警戒は感じませんでした。
ですが、ふたりきりになった瞬間。すべてが変わりました。
なめ回してくる目。服の上からでも肌身の起伏の細部までをおしはかっている目。
鳥肌が立つほどのおぞましい感触。
しかも密談の場に置かれたテーブルは透明なガラス製で、卓の下のわたくしの下半身まで、同様に見てくるのです。
乳房や脚の付け根に注がれる粘ついた視線。
同列の侯爵家の女当主という権力に守られていなかったら、どういう目にあったか……。
もし伯爵家以下だったら、その場で否応なく純潔を踏みにじられていたかもしれません。
そう感じるほどのおぞましさでした。
わたくしは初めて理解しました。
フランボワーズが娼館でどんな風に見られ、どんな扱いをされていたか、その片鱗を。
なぜ貴族になんの憧れももたないかを。
なぜ暴力に慣れているかを。なぜ慣れざるを得なかったかを。
美しいピンクブロンドをゴワゴワに黒く染め、伊達メガネをかけ、着古した制服を着ているのは、身を守る鎧などだということを。
わたくしは、絡みつく不快さとおぞましさに耐えながら、交渉を行うしかありませんでした。
ワッフル侯爵は、こちらが提示した鉱山の経営権譲渡という提案を、なかなか受け入れませんでした。さらに条件を上げてくるのかと思えば、それは決して言わないのです。
こちらが、海千山千の相手との進まない交渉に疲れ果てた頃合いで。
侯爵は、わたくしにしか提供できないものがあるではないか、と意味ありげにつぶやいたのです。
わたくしは意味が分からず、思わず見つめると、侯爵は妻が亡くなってはや十年が経った。
と独り言のように呟いたのです。
そして、わたくしの体を、またあの粘つく視線が這い回り始めます。
おぞましさに体が震えました。息が詰まる思いでした。
この男は、わたくしの純潔を要求しているのです。しかも、この言い方からすれば一度ではないでしょう。遠回しに妾になれと言っているのです。
侯爵は、わたくしの反応を見て、べろり、と自分の唇を舐め。
そういえば、貴女には、血をわけた娘がいましたな。卑しい平民の娘が。と続けました。
フランボワーズのことです。
侯爵は直接的なことはなにひとつ言わず、伝えてきたのです。
わたくしの純潔でなければ、フランボワーズを寄越せと言っているのです。
マンネルハムの悪趣味さは貴族社会ではよく知られておりました。
ですが、高位の貴族の悪趣味はよくあること。
眉をひそめて、さりげなく話題を変え、そんな話などでなかったようにふるまうのが貴族の女性の嗜み。反発したり糾弾したりするのはもってのほか。
わたくしは知りましたわ。
嗜みなどと判ったような顔をして、なかったようにふるまえたのは、自分の身にかかわりがないから。
そういう目に合うのは、目下の者たち、わたくし達と関わりのない者たちと思い込めていからだったのだと。
貪られる彼女らと、わたくし達の間には、大した距離などなかったのに。
侯爵は、慄然として固まっているわたくしの前で、わざとらしく独り言をこぼしました。
灼熱の地底で布切れ一枚ばかりを身に着けて重労働をさせられる上に。
昼も夜もない世界で、下賤でむくつけき抗夫達という獣に囲まれていては、その命、半年ともつまい。
哀れなことだ、と。
そういう境遇に、フランボワーズを突き落とそうとしているのはわたくしなのです。
そしてこの男は、もし機会さえあれば、わたくしの事も喜んで突き落とすでしょう。
更に侯爵は独り言を続けます。
ああ、寂しいことだ。本当に独り身は寂しいことだ。
鉱山の経営権に加えて、わたくしかフランボワーズを差し出せば、この交渉を妥結する用意があるとほのめかしているのです。
そのとき、ふと、甘いささやきが、聞こえたのです。
フランボワーズにとって、
灼熱の地底での重労働と獣たちに弄ばれる二重の苦しみよりも、この男相手のほうが、まだマシではないか、と。
あの子は娼館で男女の営みには慣れているのですから。
心のどこかでは判っておりました。
これは単なる自己弁護。
侯爵の思惑と大した変わらない下劣さの発露。
自分が助かりたいだけのエゴイズムだと。
そもそもあの子は、娼館でも自分の体を許さず懸命に生き抜いてきたのです。
ですが、わたくしはその口実に飛びついてしまいました。
女としての身が脅かされるこの危険な空間から、一刻も早く逃れたかったのです。
わたくしは、侯爵に、フランボワーズの強制労働先を、ワッフル侯爵が経営する鉱山にすることを提案してしまいました。
交渉はあっさりと妥結しました。
侯爵の思惑はわかっております。
珍しいピンクブロンドを手に入れて、飽きるまで弄ぶつもりなのです。
もしフランボワーズを孕ませても、それは誰ともわからぬ抗夫の子供。
どうとでもなるのです。
ワッフル侯爵邸から帰る馬車の中で、わたくしは吐いてしまいました。
わたくしは何をしているんでしょう。
あの子は『呪われたピンクブロンド』ではなく、フランボワーズという必死に生きているひとりの女の子なのに。
交渉をしている間。
利権をちらつかせれば、嘘を平気でつくと約束する高貴な方々の姿を見る度に。
資料を読み返して、あの子の辿って来た過酷な人生と人柄をますます知ってしまう度に。
その思いは募るばかりでした。
そして今日『高等特別裁定所』が開かれる日。
モンブラン侯爵家の威信、地位、それらを守るために、あの子の未来を奪うのが正しいことなのか。
わたくしには、判らなくなっていました。
この裁定が下されれば、フランボワーズは死ぬ。いや殺されてしまう。
そうさせるのはわたくしなのだ。
わたくしは、彼女の身柄を押さえることになっている我が侯爵家の手兵のひとりに、毒薬入りの小瓶をもたせました。
これを誰にも気づかれず、フランボワーズに渡すようにと。
少しでも苦しみが短くなるように……。
なんという偽善。
しかも、わたくしは判るのです。
彼女がそれを最後の最後まで、決して飲まないだろうと言うことが。
例え無残に純潔を奪われ、体を弄ばれ続け、ほとんどの希望を奪われても、懸命に生きようとするだろうということが。死ぬか心が砕けてしまうまで抗うのをやめないだろうと。
すぐ側にいたのに知ろうとせず。
あの夜以外言葉を交わしたこともなく。
去られてから後を追うように、資料を読んで知っていったわたくしの義妹。
その人柄と生き方を知ってしまった今では、愛おしくなるばかりの義妹。
賢く、愛らしく、毅然として、尊いフランボワーズ。
わたくしは、もう取り返しのつかないこの場になってようやく気づいたのです。
フランボワーズを、腹違いの妹を愛しているのだと。
あの子を、あの子を売るなんて、わたくしには出来ない。
例え、あの子がわたくしを敵だとしか思っていなくても、もう出来ない。
まだ。
まだ間に合う。
フェルディナンド殿下はまだいらしていない。
『高等特別裁定所』は、まだ開かれていない。
わたくしは立ち上がりました。
淑女らしいふるまいなど放り出して、駆け出しました。
呆気にとられた高貴な方々の視線をふりきって廊下へ飛び出します。
廊下で殿下を捕まえてお止めすれば、間に合う。
『高等特別裁定所』の開催を中止させれば、まだ。
ゆっくりと歩いてくる殿下のお姿が見えました。
俯いたそのお顔はいつもと同じように美しく……いつもより酷く暗く見えました。
礼儀作法など放り出して、わたくしは駆け寄りました。
「殿下!」
「……遅れてすまなかった。私以外全員が集まっているようだね」
「裁定を中止させてくださいませ!」
殿下はわたくしを見ました。
そのお顔はひどく哀しそうでした。
「……そういう訳にはいかない」
「なぜです! 裁定を要望したのはわたくしですわ。そのわたくしが中止を――」
「もう決まった事なんだマカロン、いやマカロン嬢」
辛そうに仰ると、わたくしを置いて『月下香の間』へ入って行こうとして一瞬立ち止まり。
こちらへ視線を向けないで仰いました。
「……本当にすまない」
呆然とその背を見送り……我に返りました。
わたくしにはまだ出来る事がある。
決められた裁定に異議を唱え、事前交渉の内容を暴露し、全てが偽証であることを示す。
そうすれば、あの子を救うことが出来るかもしれない。
それは全てを破壊する行為。
おそらく貴族の中で、わたくしの立場は完全になくなる。
それでも。
わたくしは、殿下の後に続いて『月下香の間』へ入りました。
王族である殿下の入室で、高貴な方々は王族を迎える時の作法通り起立しておりました。
わたくしも慌てて、いるべき場所に立ちます。
殿下は、わたくし達に座るように合図すると、宣言なさいました。
「これより『マカロン・モンブランとザッハトルテ・オペラの婚約解消についての事実認定』を行う」
予定では、
まず殿下がこちらから提出した届けを読み。
証人達が、その通りであると証言し。
裁定が下される、という手筈です。
裁定が下される前に、偽証を告発すれば――
「……だが、その前に、ここにいる関係者に告げておくべき事がある」
殿下は予定外の事をおっしゃいました。
「この事案が発生したワッフル侯爵邸で行われたパーティには、王家の影がいた。
それゆえ詳細な報告があがっている」
裁定の場に驚愕のささやきがひろがりました。
ワッフル侯爵は、ひどく感心した様子でわたくしを見ると、ニヤリと笑いました。
『王家の影』
それは、王家直属の護衛諜報組織であり、王家の人間の行くところには、常に影のように従っている者達です。王家の人間がいる所には、必ずいるのです。
王家の耳目である彼らは、その見聞きしたものが常に真実である事に誇りをもち。
それゆえ、その証言は常に真実であるのです。
だからこそ王家は、長い斜陽の時代にあっても、貴族間の仲裁調停裁定役として力を維持し続けているのです。
王家の影の証言が常に真実であること、それが権威の源泉なのです。
王家の影は、王国のすべての場所にいるわけではありません。
ですが、あのパーティには、フェルディナンド殿下が臨席しておりましたから、いたこと自体に不思議はありません。
フェルディナンド殿下はわたくしの親しい幼なじみ。
わたくしの不利になることを影に言わせるはずがないのです。
とすれば影が、ピンクブロンドがザッハトルテを誘惑したことを証言すると言うことです。
ワッフル侯爵が感心した目でわたくしを見たのは、王家の影に嘘を真実と言わせるのか! たいしたものだ! という意味なのです。
ですが、もしそうであれば。いくらわたくしが偽証を言い立てても、それは通りません。
王家の影の証言は絶対なのですから。
目の前が真っ暗になりました。
もうおしまい。
わたくしがあの子を殺す。未来を奪う。もう取り返しがつかない――
「影はこう報告している。
ザッハトルテ・オペラが某平民に狼藉を働き、某平民は自衛のために、やむをえず行動した」
一瞬にして、部屋の空気が固まりました。
真実です。
まごうことなき真実。
この場で語られない筈だった真実。
でも当然です。それが王家の影なのですから。
「その際、ザッハトルテは、某平民へ淫らがましい行為を一方的に行い、
何度拒絶されても行為を続け、
最後には婚約者をモンブラン侯爵家当主マカロン嬢から
某平民へ変えると宣言しようとした……某平民がこれを拒んだのは何ら間違っていない行動である」
殿下は、わたくしをちらりと見ました。
辛そうな目をしていらっしゃいました。
ああ、そうなのですね殿下。
先程からの謝罪の言葉は、わたくしを失墜させる結果になるからだったのですね。
「以上……これがこの事案の真実である」
その瞬間。
わたくしは『ピンクブロンドの呪い』を処理できなかった侯爵家当主になりました。
それは汚名です。
おそらくわたくしの代では取り返せない程の汚名。
わたくしは俯き、顔を両手で覆いました。
列席者達は、わたくしがショックを受けているのだ、と思った事でしょう。
気の毒そうな目で、内心では破滅を密かに喜んで、見ていることでしょう。
でも、わたくしは唇に浮かんでしまう笑みを隠しただけだったのです。
これであの子は、義妹は……フランボワーズは助かった。
その安堵の方が大きかったのです。
なぜここで王家の影の報告が出てきたのかは判りません。
フェルディナンド殿下が裏切った?
それとも、他の王族が彼に圧力を掛けた?
それとも、王族の誰かが、お忍びでパーティに参加していた?
それとも、我が侯爵家の敵対派閥が、この情報を握り王家に迫った?
それすらどうでも良い事でした。
「以上の真実から、私、フェルディナンドは裁定する。
マカロン・モンブラン侯爵家当主と、ザッハトルテ・オペラの婚約は。
ザッハトルテ・オペラの有責で解消されるものとする」
良かった。
本当に良かった。
全てが上手くいっていたら、
わたくしは、自分が許せなくなっていたでしょう。
お母様のご遺志を裏切り、
モンブラン侯爵家の権威に大きな傷がついたのに、
なんて嬉しいんでしょう。
「マカロン・モンブラン侯爵家当主。
オペラ侯爵家に、賠償を請求するか?」
わたくしは顔を覆ったまま答えました。
「する気は御座いません」
「ザッハトルテ・オペラ個人には?」
「する気は御座いません」
後々のことを考えれば遺恨は少ない方がいい……という政治的な判断ではありません。
すでに、わたくしの中では、どうでもよいことだったからです。
管理もろくにできない飛び地くらいくれてやっても、なんということもありませんし。
「では、ザッハトルテ・オペラの有責での婚約解消とするが、
賠償金等はなしとする。
裁定は下された。異論があるものは起立せよ」
起立する気配はありません。
わたくし以外、誰も損をしていないからです。
既にみな、我がモンブラン侯爵家から利益を提供されているのですから。
「『マカロン・モンブランとザッハトルテ・オペラの婚約解消についての事実認定』は終了した。
以上」
周囲の高貴な屑どもが三々五々立つ気配がします。
皆、足早に部屋を出て行きます。
わたくしが、マカロン・モンブラン侯爵家当主が、ピンクブロンドに敗北した事を、すぐにも広めるために。
いえ、ひとりだけ気配が残っています。
「すまない……本当にすまない……」
フェルディナンド殿下でした。
なんとか笑みを消して、わたくしは顔を上げ。
「殿下が謝る必要は御座いません。
真実が勝った。それだけで御座いますわ」
殿下は、哀しそうなやりきれなさそうな目でわたくしを見つめ返した。
「……二人きりなのだ。正直になってもいいのだぞ」
わたくしの態度を強がりだと思っていらっしゃるらしい。
「今ほど正直になった事はございませんわよ。
それに殿下がご尽力下さったことは、良くわかっておりますわ」
心から済まなそうな態度を見て判りました。
殿下は自ら進んで裏切ったのではない。
殿下ですら逆らえない誰かから、影の証言の採用を迫られたのだと。
侯爵達の証言が始まる前に、このことが告げられたのは、
貴族の中から偽証を出さぬため。
わたくしだけを切り捨てて、決着をつけたのですわね。
となると皇太子である第一王子オットー殿下か。
国王陛下その人か。
どちらでもいいんですけど。
「笑って……いるのか?」
殿下は戸惑っておられるようです。
知らず知らずに。笑みがこぼれてしまったようですわ。
いけませんわね。
わたくし、権威を大きく失ってしまった侯爵家の当主ですのに。
でも、殿下はさっき仰いました。
正直になってもいいと。
「たったひとりの妹の人生を奪わずに済んだのですもの。
うれしいに決まっているではありませんか」
その瞬間、わたくしは『ピンクブロンドの呪い』から解放されたのです。
次の話からピンクブロンド視点に戻ります。
もし読んでみて面白いと思われましたら、ブクマ・評価・感想などお願いします!
お暇でしたら、他のお話も読んでいただけると、更にうれしいです!




