10 ピンクブロンドは蛇の巣から逃走する
「……そうですか? そちらにとっては、そう悪い結末でもないんじゃないですか」
「どうしてかしら? 血を分けた唯一の身内の信用を喪った上に、縁まで切られるのに?」
それはお互い様。
最初からお互い信用なんかなかったけどね。
「マカロンお嬢様の婚約者は、高貴な方々が見ている前で、不祥事を起こした。婚約解消には十分な理由でしょう。
そうすればお嬢様は好いた相手と結婚できるわけだし」
それがアタシが提示する妥協点。
マカロン嬢は、相手の有責による婚約解消を得て、あのバカから解放される。
アタシは、猶子解消料を貰う。
そしてお互い縁を切る。
「聞き捨てなりませんね。わたくし婚約者がありながら、他の方と浮気するような女でなくてよ?」
「貴女はそんな軽はずみなことはしないでしょうね。
でも、あんなバカで最悪な婚約者よりも、マシな方はいっぱいいるでしょうよ。
例えば、第二王子のフェルディナンド殿下とか」
「!」
マカロンお嬢様は、ほんの僅かだけど目を見開いた。
当たったみたいね。
会場に彼はいた。
凄く冷たい目でアタシのこと見てた。
表面上は完璧クールな貴公子だったけど、アタシ、人の感情に敏感なのよね。
すれ違いざまに嫌みまで言われたわ。
『君が何でも欲しがる卑しい妹さんか。まるで娼婦だ』
『先祖代々の宝石や部屋の次は婚約者かい』ともね。
お上品さで嫌悪を隠せないあたり、貴族にしては正直でいいひとなんでしょうね。
でも、いったい誰が吹き込んだんだか。
この屋敷の侍女達が話してのを小耳に挟みましたよ。
貴女の幼なじみでもあるフェルディナンド王子が婚約者ならよかったのにって。
最近こっそり会いに来るって。
義妹が自分の物を何でも欲しがるんですよ。
でも、あの子は今まで貧しい暮らしをしていたからわたくしが我慢しないと……とでも愚痴ってたんじゃないの?
マカロンお嬢様のものを取り上げてたのは、頭がお花畑のかあちゃんなんですけどね!
つーか、アタシ、学園の寮に住んでてこの屋敷にほとんどいなかったんですけど!
アタシがあのバカに言いよられて難儀してる時、意外そうな顔をしてたから、
多分、アタシがあいつを拒むと思ってなかったんでしょうね。
にしても、第二王子でも、愛するお嬢様の言うことだったら鵜呑みにするんですね。
この国の行く末が思いやられるわ。
「いいご縁がありますように、影ながら願っておりますよ。
くれぐれも結婚式なんかに招待しないでくださいね。赤の他人ですから」
「……赤の他人ね。なるほど。確かにそうね。
最後まで貴女とわたくしは赤の他人でしたわね」
遠慮がちなノックの音が響いた。
執事が音もなくドアに近づき、向こうから何か聞いて、小さく頷く。
「タルト・ライスズッペ男爵と名乗る方がお見えです。
フランボワーズ様の弁護士だと」
「貴女の弁護士が来たようですわ」
こうして、義姉妹の会話は終わった。
最初で最後であって欲しいもんだわ。
後は全部、アンナのパパがやってくれた。
『どんな人でも法の前では公平でなければならないんだ! 例えピンクブロンドでも!』
常々ウザく言ってくれるだけあって、侯爵家当主に対して大したものだった。
書類には全てきちんとサインさせていた。
向こう側の応対は、ほぼ全て執事がやった。
マカロンお嬢様は口を挟まず、最後に確認してサインしただけだった。
その後。
アタシは、このお屋敷に置いておいた僅かな私物をまとめた。
マカロン嬢や奉公人達の古着を、アタシ用に繕ったのが数着だけ。
ドレス1着。普段着3着。作業着2着。あと下着が若干。
ピンクの下品なドレスはどうしようかと迷ったが、仕立てはいいから古着屋にでも売れば金になるから、持っていくことにした。
カバン一つに全部入ってそれでもスペースが余った。
用心のため、アタシが持っていく私物はアタシの物だと保障するという書類にもサインして貰った。
出て行く時、見送ってくれたのは、執事だけだった。
アンナのパパの馬車は、弁護士事務所に向かい。
アタシを乗せたニヤニヤ野郎の馬車は、学園の寮へ向かう。
馬車で、ふたりきりになった途端、
「くくくっ」
ニヤニヤ少年は嗤った。嫌な嗤い方だ。
「なによ」
「いや、なに。君は甘いなって思ってさ」
何かドジをしただろうか?
書類の中に、何か致命的な穴があったのだろうか?
でも、弁護士先生が気づかないような穴を、アタシが見つけられるわけがない。
「……何かドジしてたら、今度こそ娼館に戻って娼婦になるだけよ」
マカロンお嬢様の母上が急死しなければ、確実に到来していた未来。
抜け出せない泥沼の中、男達に弄ばれ食い物にされて死んでいくだけの未来。
マシな未来を見てしまった後で、その道を行くのは辛いだろうけど。
「ああ。そういう意味じゃないさ。
君は、もてる武器をひとつ以外全て使い、用心深く、精一杯やったさ」
「そりゃどうも」
褒められてるよりも、バカにされてる感が強い。
「それとも、案外意地が悪いというべきか」
「意地が悪い? そんな余裕はないわよ」
アタシが得ようとしていたのは、自分の生命と、侯爵家の資産に比べれば雀の涙のお金だけ。
それすら、ギリギリの遣り取りだった。
「ボクの正体を明かさせれば、間違いなく、あの淑女はあそこで矛をおさめるだろうに、ね」
「……アタシは知らないから、アンタの正体とか」
ニヤニヤ野郎は、嫌な感じに口角の端をつりあげた。
「全然?」
「貴族の子弟で、こんなのに付き合ってくれそうな性格の悪いクラスメートは、アンタしかいないってだけよ」
「ま、そういうことにしておこうか。
なかなか面白いものも見せてもらったからね」
ある程度は判ってしまっている。
小間使いとして学園を走り回っていた時に、偶然見たのだ。
学長がコイツにペコペコしている所を。
学長は伯爵。つまり伯爵が頭を下げる相手。
しかも一般の先生は普通に接してるってことは……上の方しか知らないってこと。
少なくとも訳ありの高位貴族の子弟ではあるんでしょうね。
だけどアタシはそれ以上、考えるのをやめた。
ヤバイ香りがしたからだ。
「それに。あの淑女が君が提示した線で妥協すれば、これ以上ボクの出番もないしね」
「そう願うわ」
あの人は、頭がいい。
であるなら、これ以上お互い関わると面倒だと判るはず。
判ってくれるはず。
だけど、ニヤニヤ少年は、人の心をザワザワさせる嫌な嗤いを浮かべて言った。
「だけど、ね。
もし、彼女を破滅させたくないなら、ボクが何者かをあの場で言わせるべきだったよ
なんせ彼女は淑女の中の淑女……芯まで貴族だからね」
※ ※ ※
二週間後。
ニヤニヤ少年はアタシに告げた。
マカロン・モンブラン女侯爵は、破滅したと。
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