09 ピンクブロンドはヒロインに要求する
マカロンお嬢様がおもむろに口を開いた。
「何か色々と手違いがあって、貴女には迷惑をかけたようですわね。
それに、貴女に関して色々と誤解していたようですわ」
アタシをどんな人間か知ろうともしなかったんでしょうから、当然でしょうね。
「貴女をモンブラン侯爵家の正式な養女にしましょう。猶子でなく養子に」
この人にとって、アタシみたいな血筋の卑しいクズを養女にするなんて、大した慈悲なんでしょうね。
でも、アタシにとっては、必要のない慈悲。
「娼館出の平民ごときを養女にしたらモンブラン侯爵家の汚点でしょ」
「今までそういう例は幾つもあります。何も問題はありません」
「両親があそこまで多大な迷惑を御当家にかけてしまったのですから、そんな話はお受けできません」
アタシは表面上はしおらしく応じた。
受けられるわけないでしょ。アンタのことなんかビタ一信用出来ないんだから。
ついさっきまで、バカな婚約者を押しつけてアタシのことまで破滅させようと画策していた相手をどう信用しろと?
「それはあくまであの女とあの男が画策していたこと。
娘の貴女には関係がないことです」
「アタシはそんな風に割り切れません。これ以上迷惑をかけるわけにはいかないんで、この家から出て行かせていただこうと思います」
「その必要はありません。たったひとりの妹ですもの」
ああ。気持ち悪い。
この気持ち悪さをアタシは知ってる。
そうだ。娼館街にいた時、ほんの時たまやってくるお貴族様の妻女に似ている。
いかにも自分たちはいいことをしている、という顔をして、こちらに恵んで来る人々。
ここに棲んでいる人達の事情も知らないくせに、魂を救いに来ました、みたいな顔をする人達。
あいつらの気持ち悪さにそっくりだ。
「アタシにはモンブラン侯爵家の血は一滴も流れてません。ですから血を分けた妹ではないでしょう」
「父は同じではありませんか」
能力も人格も低劣な絶滅推奨種の血がね。
「ご厚意は大変ありがたいのですが、やはりお受けするわけにはいきません」
アタシが、アタシらが欲しかったのは、恵みじゃない。
あそこから這い上がるためのハシゴと、そこから落ちそうになったら支えてくれる手だった。
「わたくしは当主ですから、このモンブラン侯爵家の内輪の事については誰も異議は言わせませんわ」
「アタシは猶子なので、外の人間です」
ぶっちゃけ赤の他人。
いくら向こうが当主でも命令する権利はない。
侯爵家の当主様でも、無関係な平民を無理矢理養子には出来ない。
猶子でよかった。養子にされてたら断れなかった。
「貴女を猶子にしておいたのはモンブラン侯爵家にとっても間違いでした。ですから今からでも間違いを正して――」
アタシにとっては大正解でした。
養子と違って、猶子は権利を取り上げられるだけでなくて、放棄もできるんですから。
「出て行くにあたって、猶子としての権利を放棄する事になるので、その分の補償をいただきます」
なぜこんな制度が出来たかと言えば、かつて猶子制度は貴族にとっていい金儲けの手段だったからだ。
絶大な権力を持った貴族達は、無理矢理権利を奪うのも放棄させるのも簡単だったからだ。
実際、過去には何十人も猶子を作って、役に立たなければ放り出すような事が横行していたそうな。
例えば、大商人の三男坊辺りを無理矢理猶子にして、猶子にしてるのを人質にさんざん資産を吸い上げたあげく、相手が破綻したら放逐するとか。
猶子に娘を押しつけて、一族に加えることで、多額の借金をチャラにするとか。
余りのヒドい嫁に耐えかねて離婚話になれば、もの凄い多額の慰謝料を毟り取るとか。
だから有力な商人は、みんなこの国から逃げちゃったんだけど。
そうした濫用を防ぐために、猶子が権利を放棄すると、その見返りに少額だが資産が贈られるようになったのだ。
少額とはいえ、アタシの卒業までの学費と生活費には十分すぎる。
「ですから、養子になればそのような必要は」
思ったよりしつこい。
この屋敷から穏便に出たかったけど、そういうわけにはいかないみたい。
養子にして、今度は政略結婚の道具にでも使う気かしら。
それとも誰か貴族の男をたらしこませるのに使ってから捨てるつもりかしら。
アタシははっきりと言った。
「お嬢様の事が全くこれっぽっちも信頼出来ないからです」
「色々な誤解や行き違いはありましたけど、それらは全て家族になれば解消できることですわ」
なに傷ついたような顔をしてるんだか。うまい芝居。流石淑女。
表情筋を全部制御できるにちがいない。
アタシ、娼館で生まれ育ったんで、貴族どものたるんだ裸のケツみて育ちましたから、汚いやり口一杯知ってるんですけど。
貴族様が下々の者をだまくらかす手口の数々。
それに、うちの娼館には元悪役令嬢だったとかいう人がいて、いろいろ聞きましたよ。
悪役令嬢にされちゃった手口をね! ピンクブロンドの呪いって戯言もその人から聞いたよ!
「誤解ねぇ……そもそも、どうして今夜に限ってアタシをパーティに参加させたのかが解せません。
アタシ、ああいうところの礼儀作法なんてビタ一知らないんですけど。
恥をかかすために送り込まれたとしか思えません」
「誤解ですわ。わたくしは反対したのですけど、貴女のお母様があんまり強く言うし、貴女を寮から呼び戻したというので仕方なく」
なんでも愚かなかあちゃんのせいにすりゃいいってわけね。
「ふぅん。急遽決まったというわけですか……そりゃご親切に」
「そうです。貴女に恥をかかせる形になったのは謝罪します。もっと事前に時間があればこんなことには」
「謝らなくて結構です。予定通りだったんでしょ?」
「ちが――」
「そもそもなぜアタシが参加出来たんですか?
参加する資格自体がないはずなんですよね。だってアタシは単なる猶子。侯爵家のご令嬢でもなんでもない。
事前に根回しがなかったら、アタシは会場の入り口で追い返されてるはずなんですよ。
その根回しを、あのバカなかあちゃんが出来たとは、思えませんね」
「それは、貴女のお母様が、社交界に出ようとしない貴女を心配して、一度くらいはああいう催しに顔出させた方がいいというので。わたくしが手を回したのですわ」
アタシについて本当に何も知ろうとしなかったんだねこのひと。
この人の前でも何度も言ったはず。貴族にも社交界にも興味がないって。
「ふぅん。このドレスも仕方なくですか? これってスケスケで趣味が悪いですけど、仕立てはいいですよね。
それにアタシにぴったりに誂えられてる。高級な店で、半月くらいはかけた品でしょう。
会計から何から全部握ってるマカロンお嬢様が関わらないと出来ない品ですよね?
しかも、かあちゃんの話だと昨日できあがって届いたとか。
アタシみたいな卑しい生まれの娘を参加させるための根回しの時間も考え合わせれば、一ヶ月くらい前からアタシがあのパーティに出席することは来まってたってわけですよね。
どう考えても急な話じゃないですよね」
バカなかあちゃんは、ダシに使われたってわけだ。
「アタシにこれを着せて、こいつは娼婦だよってパーティで宣伝させる準備は万端だったってことでしょ?
そのどこが親切なのかアタシにはさっぱりわかりませんね。
ああ、薄汚れたアタシを娼館に戻したら、宣伝しておいたから客がいっぱいくる、そういうわけですか。
股が乾く間もないくらい客をとらせてやるってわけですか。
なるほどなるほど。そりゃずいぶんな親切ですね。御貴族様は全く親切だ」
「全部誤解ですわ! あのドレスは、殿方がああいうのを好きだから」
「じゃあこういうのを着ている淑女がいっぱいいたはずですね。
おかしいなぁ。こんなの着てるのアタシ以外誰もいませんでしたけど。
アタシのこのドレス見て、淑女様方はみんな眉をひそめてましたし、男は鼻の下を伸ばしながらも、卑しい目でみんな見てましたよ。
なるほど、好きっていうのは、『こいつはヤッてもいい尻軽だ』と思ってもらえるってことですか。
そもそも貴女は、殿方が好きだからって、こういうふざけたドレスを着るんですか? へぇ見せて下さいよ」
アタシの斜め後ろで、ニヤニヤ野郎が、くっくっく、と小さく嗤った。
「……ザッハトルテ様が、そういうのをお好きだと言ったことが……わたくしは恥ずかしくて着てさしあげられませんでしたけど」
「自分が着られないシロモノを、アタシになら着せていいと。アタシは娼婦みたいなモンだから恥知らずだと」
「どうしてそんな悪意に満ちた誤解ばかりをするのですか!」
「卑しい生まれなもんで、高邁な考えとか礼儀とか理解不能なんで。
こういうところをひとつとっても、アタシがこの由緒ある侯爵家の養子になるなんて相応しくないですね。
あ、でも。確かに効果はありましたよ。あのバカ、アタシを見てデレデレでしたから」
社交界で、アタシを娼婦として認識させて、かつ、あのバカが婚約破棄宣言をする最後の一押し。
それがこのドレスを押しつけた目的だったんでしょ。
アタシはあのバカに、嫌悪以外何にも感じなかったですけどね。
なんで貴女の婚約者ってだけでたらし込まなきゃいけないんですか?
あれすか?
ピンクブロンドの義妹は、義姉の物を何でも欲しがるって法律で決まってるんですか?
ほしくねーよあんなん。考えなしのナルシー色ボケ男なんか。
「マカロンお嬢様だって、なにひとつ好意なんか感じてなかったから、アタシごと破滅させようとしてたんでしょ?」
マカロンお嬢様は、もう誤解とは言わなかった。
「どうしてそう考えるのかしら?」
「それはアタシが言わなくても、マカロンお嬢様が一番よく知ってるんじゃないの?」
学校に通うようになってから、滅多にこの屋敷へ帰ってこなかったのに。
なぜか帰ってくる度に、あのバカに遭遇した。
しかも、あのバカの前で、アタシをことさら邪険に扱う奉公人。
それ見て都合良く、アタシがしいたげられてると思い込むバカ。
なにか邪悪な意図を感じるのが当然でしょう?
上から下までよくよく息が合ってること。
「……」
部屋に冷え冷えとした沈黙。
「今夜の内に、アタシの弁護士先生がいらっしゃいます」
マカロンお嬢様が眉を、ぴくり、とあげた。
「アタシが猶子の放棄することに対する補償。
この侯爵家の財産を不正流用していないことの証明。
アタシとザッハトルテの婚姻が成立していないことを保障。
マカロンお嬢様には、これらを承諾したという書類にサインしていただきます」
「本当に信用してないのね……まるで敵扱いですわね」
そっちだって、アタシのこと、最初から嫌いだったんでしょ。
その証拠に、アタシがどんな人間かを一度も調べようとしなかった。
こうやって二人で話すのさえ、初めてだもんね。
「同感。そちらからも信用された事がないので」
「残念だわ」
美しく整えられた声。本当に残念そうに聞こえるのが恐ろしい。
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