隣国の王子
デイジーは王女に強く握られた自分の手を見つめながら、先祖代々受け継がれている魔法薬の秘伝書に何かヒントが書いてなかったか必死に思いだそうとした。
なにぶん魔力至上主義のこの国で、いまだかつて魔力を抑制したいだとか、消してしまいたいなどという依頼は受けたこともなければ聞いたこともない。
(抑制する薬……痛みを和らげるとか、心を落ち着ける薬なら作れるんだけど、魔力にも効果はあるのかな)
「ロザンヌ殿下、残念ながら魔力を抑制する薬というものは今まで聞いたことがございません。しかし、幾つか試してみたい魔法薬もあります。参考までにお聞きしたいのですが、魔力が発動する時に何か共通点はございますか?」
「共通点ですか?……………いつも突然見える感じで特に何もないような……」
王女は視線を斜め上に向け、最近見えた時のことを思い浮かべたが手掛かりとなりそうなものが見つからない。
「――そうですか。では次に誰かの感情が見えた時には状況を教えて下さいませ。何かヒントがあるかもしれませんから」
「ええ、分かりましたわ」
王女は強く頷いた。
美しい容姿に高貴な身分で魔力保持者。人々の羨望の的であるにも関わらず、穏やかな日常を送れないロザンヌ殿下。
デイジーは王女の奇異な魔力に心を痛めた。
(他者の感情が見えるなんて過酷すぎる。好意だけならともかく、怒りや悲しみ、果ては憎しみまで見えるということよね。もしも私が同じ状況だったら、自分を守るために出来るだけ人の少ない場所で生活するかもしれない――――ああ、だからロザンヌ殿下は外出を避け、侍女も一人しか置かないのね)
魔力の弱い自分に出来ることは少ないかもしれない。けれど王女の苦しみを僅かでも和らげることが出来るなら協力したい。そう考えたデイジーは率直な気持ちを言葉にした。
「私は魔力が少なくて今まで幾度も自分にがっかりすることがありました。どの位少ないかというと箒で空を飛べないほどです。魔力持ちの子供は皆、飛べるのが当たり前だと思われていますが、私はいくら練習を重ねても出来るようにはなりませんでした。魔法学園での成績も芳しくはありません。魔力不足のため実技のテストが低迷していたのです」
自分の欠点を口にすることは心を削る。たとえそれが過去のことであっても胸が痛んで言葉にするのはとても難しい。
けれど、励ましたい気持ちが勝った。ダメなことばかりではないと伝えたい。
「それでも魔法薬学だけは得意でした。我が家は先祖代々魔法薬作りを生業としていたので、基本的な知識を日常生活から得ており、新しい知識もすんなりと頭に入ったからです。
正直、その頃は火を起こしたり、風を作れるクラスメートがうらやましくて、私にも豊かな魔力が備わっていたら良かったのにと思っていました。
けれど大人になった今、それほど強く魔力を欲することはありません。なぜなら、私にはジャックがいるからです。火も風もジャックが作ってくれるので魔力が少なくても意外と困ることはないんです」
デイジーが隣に座る使い魔に微笑むと、ジャックは満足げに頷いた。
「つまりロザンヌ殿下は今、奇異な魔力に悩まれていらっしゃいますが、私はずっとこのままの状況が続くとは思えないのです。神様が助け船を出して下さるのではないでしょうか。私にとってはジャックでしたが、ロザンヌ殿下にもそんな方が現れるはずです。出来れば私だといいんですが、楽しみに待ちましょう」
デイジーは明るい未来を語り、王女の手を強く握り返した。
「―――――デイジー様、ありがとうございます。そう言ってもらえると、わたくしも大丈夫のような気がしてまいりました。ええ、どんな助け船が遣わされるのか楽しみに待ちますわ」
王女は目を細め、眩しそうにデイジーを見つめた。
「実はわたくしの魔力がどういったものなのか家族以外に話したのはデイジー様が二人目ですの。一人目は侍女のクロエ。クロエは私の幼馴染みで今までずっと近くでわたくしを支えてくれていますのよ」
王女が振り返ると、紅茶とお菓子を載せたワゴンを押しながらクロエが微笑んだ。
一度、足を止めて会釈をするとデイジーに向けて自己紹介をする。
「クロエと申します。私もデイジー様がいらっしゃるのを心待ちにしておりました。この度は登城を決断して下さり有難うございます。滞在中、何かお困りのことがございましたら、遠慮なく私におっしゃって下さいませ」
栗色の髪と瞳をしたクロエは二十歳前後だと思われる。きっちりと結い上げた髪に切れ長の瞳が頼れるお姉さんといった印象だ。
「魔力のことも気になりますが、まずはお見合いです。デイジー様、どうかぜひとも破談になりますようによろしくお願い致します」
深々とクロエは頭を下げた。
「ええ、もちろん最善を尽くします」
デイジーは大きく頷いて応える。
代理参加した舞踏会で見合い相手に気に入られてほしいと言われたら絶対に無理だと思うけれど、破談なら自分にも出来るかもしれない。いくら魔法薬で美しい容姿になったとしても気に入られたりしないのでは?とデイジーは楽観的に考えていた。
彼女にとって見合いや結婚は遥か彼方に存在しているものであり、あまり具体的な事柄がイメージ出来ないからだ。
ただ、どう対応するのがベストなのか事前に決めなくてはならないとは思っていた。
「出来れば、お相手についてもう少し詳しい情報をいただけますか?隣国の第五王子だと伺っているのですが、どのような人柄なのでしょうか?確か獣人ですよね?」
獣人とはその呼び名の通り、魔獣と人間の混血の種族だ。この国にはほとんど存在しないが、隣国には獣人だけの町もあるらしい。魔力が人間よりも多く、戦闘能力に長けた獣人は他国にとって最大の脅威となる。
「人柄………それが最大の難点です」
クロエは顔をしかめて王女に視線を移す。
「ええ、あの方は最悪です」
王女も嫌悪感をあらわに眉を寄せた。
「あの方が初めてこの国を訪れたのは半年前の建国祭の時です。わたくしは人の多い式典には参加せず城のバルコニーからひっそりと見物をしておりました。
その時に国使としていらっしゃった第五王子の姿も見えたのですが、離れた場所からでも分かるほど黒々とした感情を纏っていました。深い闇の色です。誰かを呪っているとしか思えません。
―――――わたくしも王女として生まれたからには、結婚相手を自由に選べないことは承知しております。ですが、あの方は無理です。まともな人間ではありませんわ」
王女はその時の事を思い出し、ぞくっとしたようで微かに身を震わせた。
「国王陛下にその事をお伝えしたのですか?」
「ええ、もちろん伝えましたわ。ですからお父様も今回のお見合いの話は一度お断りしてくれました。けれど、第五王子が会わせることもしないで断るのは非礼だろうとおっしゃって………お父様も外交上王子の意思を無下にするわけにはいかず、一度だけ会って断ればいいということになりましたの」
王女は深いため息をついた。
(確かに隣国は武力に任せて国土を広げる強国だし、その方が無難かもしれない。けれど、こちらから断ることなんて出来ないのでは?もしも気に入られてしまったら強引に縁談を進められてしまうんじゃないかしら)
デイジーは国王の言葉は気休めでしかなく、本当は断れないことを我が子に言えないだけかもしれないと思った。だとしたら自分に何が出来るのだろうか?
見合いも恋愛も未経験のデイジーは、自分が受けた役割の重大さに表情を固くした。
そして、そんなご主人様の傍らで使い魔ジャックはニッと口の端を僅かに上げた。デイジーが困っている時、それは即ち自分の価値を高めるチャンスが訪れたことに等しい。