奇異な魔力
「オリバー、少しだけ席を外してもらえるかしら?」
「畏まりました。私は扉の外におりますので、何かあればお呼び下さい」
王女が願えば下がるしかなく、オリバーはデイジーをちらりと見た後、会釈をし部屋を出ていった。
「どうぞ、お掛けになって。クロエ、お茶をお願いね」
壁際に控えた侍女に指示を出すと、王女は自らもソファーに腰を下ろした。
「失礼します」
戸惑いながらデイジーもソファーに座ったが、オリバーが退室してしまい心細い思いだった。しかしそれとは対照的に、隣に座る黒猫は緊張感の欠片も感じていないようだ。
「じゃあ、僕にもミルクティー下さい」
遠慮知らずのジャックの言葉にデイジーは怒りを込めて「ジャック!」と名前を呼び、再び王女に謝罪した。
「お気になさらなくて大丈夫よ。でもティーカップにお入れしてもいいのかしら?飲みにくいのでは?」
猫にお茶を出すことになるなど思いもしなかった王女は、素朴な疑問が湧きあがり固くなっていた表情が僅かにゆるんだ。侍女の方を振り返りティーカップの形状を確認してから、再び前を向くとそこには黒猫ではなく、少年が座っていた。
「ご心配には及びません。僕は優秀な使い魔ですから」
ニッと笑う十四、五歳の少年の顔立ちは中性的だが整っており、漆黒の髪は肩より少し短い位置で切り揃えられている。目尻がきゅっと上がった瞳は大きく金色で意思の強さを感じさせる。
黒いジャケットに白いシャツを身に纏い、ジャックは悠然とした様子で座っていた。
「ロザンヌ殿下、ジャックは人型に変身するのが得意なので、場合によってはこのような姿でお会いすることになるかと思います。どうぞ、お見知りおきを」
「ええ、わかりました。やはり魔力が潤沢なのですね」
デイジーの補足に王女は深く頷いた。
魔術師は皆、使い魔として魔獣と契約をしている。それらは野生の魔獣ではない。この国の魔術師団が魔力及び知能のレベルが基準値を越えた魔獣だけを捕獲し、養成所に入れて育てあげたものだ。
魔獣というだけあって姿は獣であり、人型のものはいない。変身することは可能だが、それには多くの魔力を消費するため、魔獣の九割は人型にはなれない。つまり人型になれる使い魔は魔力及び知能のレベルが高く、優秀で貴重な存在ということになる。
「はい。私には勿体ないくらい才能溢れる優秀な子なんです」
デイジーは自慢気にジャックを紹介した。
実際、ジャックは養成所を首席卒業しており実力を証明している。
養成所での卒業式は重要なイベントだ。式典が終了すると、そのまま使い魔契約のための顔合わせが執り行われる。
卒業式には国内の魔術師達が多く集まり、自分の求める条件を満たす魔獣と交渉する。魔獣は必ず主従関係を結ばなければならないが、仕事の内容、待遇、報酬などを確認した上で主を選ぶ。契約は一方的なものではなく、双方が納得した上で結ばれる。そうでなくては魔力を持つ者同士、上手く仕事をこなすことが難しいからだ。
そして、魔術師からすれば契約する使い魔の魔力量は多い方がいいし、知能は高い方がいい。自分の助手として働かせるのだから当然の要望だ。それ故、首席のジャックは引く手あまたとなるはずだったのだが、周りの魔獣が次々と契約を済ませていくなか最後まで主が決まらず残っていた。しかし、そこにデイジーが現れ嬉々として契約を申し出た。
その日からジャックは当時十二歳のデイジーを主とし、潤沢な魔力を持ちながらも雑用しかしていない。魔術師団や国軍所属なら戦うことに使っていただろう魔力を、掃除や洗濯、薬草収集に使うのみである。
同期の魔獣からは「魔力の無駄遣い」だと呆れられているが、ジャックは全く気にしていない。契約を結んでから現在に至るまでの六年間、森の屋敷で怠惰な生活を送ることに満足していた。
穏やかな日々を過ごすジャックの姿を見ていたデイジーに、首席卒業した実力を目の当たりにする機会はなく膨大な魔力がどういうものなのか何も分かっていない。
しかし、ジャックと初対面である王女は部屋に入ってきた一瞬で魔力の強さを感じ取っていた。だからこそ表情は強張り、言葉を発することなど出来なかったのだ。
王女は膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめ、意を決してジャックに告げた。
「ジャック様、確かにわたくしは魔力をコントロール出来ていません。でも、そもそも魔力など消えてしまえばいいと思っておりますの」
全く想像していなかった王女の答えに、二人は目を丸くした。
しかし、戸惑うデイジーに王女はここぞとばかりに身を乗りだして問いかけた。
「デイジー様は魔法薬作りの才能をお持ちなのですよね?魔力を抑える薬も作れますか?」
「えっ、魔力を弱めたいのですか!?」
豊かな魔力は秀でた魔術師の絶対条件だ。魔術師は皆、質が高く豊富な魔力を欲している。それはデイジーにも当てはまる。
魔力の少ないデイジーは素材の力を増幅させることによって魔法薬を作り出している。そのため火、水、風魔法のように無から何かを作り出すことは出来ない。だからこそ、竈に火を入れたり、水瓶をいっぱいにしたり、つむじ風で落ち葉を集めたりする時はジャックの手を借りている。
それらを使いこなせるジャックの魔力の豊かさをいつも羨ましく思っていたデイジーにとって、魔力を抑えたいという王女の言葉は衝撃的だった。
「ええ、わたくしの魔力はとても不安定で迷惑な代物なんです」
王女は眉をしかめ、本当に嫌そうに言った。
「それは、どういった魔力なのですか?」
デイジーが問えば、王女は美しい顔を更に歪めて言葉を連ねた。
「わたくしには人々の感情の色が見えるんです。それはまるで陽炎のように身体の周りでゆらめいており、喜怒哀楽によって色が変わり、感情の強さによっては色濃く大きな渦のように見えることもあります。
―――――――わたくしは、自分の魔力が不気味で仕方ありません。なんとか消せないものかと城内の図書室で様々な書物を見ましたが、わたくしのような魔力に関する資料は見つからず、自分の魔力をどうしたらいいものか日々悩んでおりました。
そんな折、デイジー様のことをお兄様とオリバーが話しているのを聞きましたの」
苦々しく自身のことを語っていた王女は、パッと表情を明るくした。期待に満ちた眼差しでデイジーを見つめて立ち上がり、さっと彼女の隣に移動すると強く彼女の手を握りしめた。
「魔力を消して欲しいなどと高望みは致しません。どうか、わたくしの魔力を抑えていただけませんか?」
キラキラと輝く美しい琥珀のような瞳で嘆願され、デイジーは心の中で叫んだ。
(えぇぇ!?)