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黒猫の予感

 秋になるとブレア家の庭は赤や黄色の落ち葉で埋め尽くされる。絨毯のようで美しいと言う人もいるが、乾いた落ち葉は踏む度に粉々に砕けてしまい煉瓦敷のアプローチに散乱して後始末が大変だ。


「……掃いても掃いても全く片付かない」


 玄関前くらいは片づけようと奮闘するものの、箒ごときでは全く太刀打ち出来ない。どんなに丁寧に掃いても、風が吹けば瞬く間に元通りになってしまう。

 デイジーは箒の柄を握りしめたまま呆然と空を見上げた。

 屋敷の周りには森が広がっているため、風上から落ち葉が敷地内に次々とやってくる。はらはらと舞い落ちる葉はデイジーの頭にも乗り、まるで大きな髪飾りのようだった。

 そんな彼女の足下にいたジャックはすっと静かに少年の姿になり、朱色の葉を摘まんで取り除く。


「頭にも乗ってたよ」

「ありがとう、ジャック」

「どういたしまして――で、どうしたいの?このままオリバーが来るまで玄関先をウロウロする?それとも僕の魔法で落ち葉をパッと片付けてお茶でも飲もうか?」

「ちょっと、ジャック。ウロウロはないでしょ。掃除してるのよ」

「ああ、うん。掃除か。確かに少しきれいになったかもね」


 ジャックは掃き集められた落ち葉の山を見て、うん、うん、と頷く。

 今日は月に一度のオリバー来訪日だ。キッチンではチャーリーが朝食の準備を始めており、デイジーは数ある茶葉の中から一番香りが良いものを厳選して茶器の準備も整えた。

 暖かい季節は早朝から働くデイジーだが、寒い季節は少し遅めの時間から魔法薬作りを始めることにしている。


「私は、早朝の時間が好きなの。ひんやりした空気や空が徐々に明るくなっていくのがいいのよね。だけど、ジャックは私に合わせる必要はないから、ゆっくり寝てて。猫ってたくさん寝る生き物なんでしょ」

「まあ、猫はね……間違ってはいないけど」


 ブレア家に来て最初の冬にそう言われたが、ジャックは普通の猫と同じ扱いにされても文句は言わず有り難く惰眠を貪ることにした。

 そのおかげで不眠症は随分改善し、体調は安定している。寝る前に背中を撫でてもらい、枕元で身体の力を抜いて横たわる。すぐ近くにあるデイジーの頭を横目に瞼を下ろし、小さく浅い寝息を聞きながら、温かく安全な場所で夜を越えて朝を迎える。

 あまりにも平和で穏やかな日々に、時々自分は長い夢の中にいるのではないかと錯覚する時がある。

 目を開けたら埃まみれの屋敷にいて、淀んだ目をしたあの男の足元で転がされている。毎日人を呪いながら生き、そのまま死ぬんだろうと思っていた地獄の日々の方が現実かもしれない。それを確かめるのが怖くて瞼を開けられない朝がある。

 けれど、現実はこちら側だった。

 せっかく手にした穏やかな日常を失いたくない。いずれデイジーは(つがい)を見つけて屋敷を出ていくんだろう。

 その時、自分はどうなるんだろうか。

 護衛として契約しているが、嫁ぎ先でも自分は必要とされるだろうか。

 使い魔としての契約はいつでも破棄出来る。お互いが必要ないと判断したならば契約破棄の儀式を行えばいい。

 使い魔の契約に期限を設けていないのは、トラブルがあった時に各々が契約を維持するか、破棄するのかを決められるようにするためだ。

 自由度が高い契約方法だが、未来のことは保証しないという意味でもある。

 今の生活を維持したいのであれば、魔獣は自分に価値があること示し続ねばならず、一方魔術師の方も主として仕えるに足る存在であることを示し続けなければならない。

 自分の魔力の質と量には自信がある。けれど、デイジーの傍で過ごした時間が、それだけではダメだと思わせる。このまま契約を維持するためには、別の何かが必要だ。しかし、それが何なのかが分からない。


 ウォーン!


 静かな森から狼の遠吠えが聞こえた。

 今日の見回り当番である魔獣から、来客者がもうすぐ屋敷に到着するとの知らせだ。


「デイジー、箒を片付けようか。もうすぐオリバーが来るよ」


 ジャックは(くう)を右手で軽く払い、デイジーが集めた落ち葉の山を魔法で庭の片隅に飛ばした。

 最初から魔法で片付けてしまえばよかったのだが、本人が何か作業をしていないと落ち着かないというので手を貸さなかった。

 単純に珍しい土産が待ち遠しいだけならいいのだが、表情を見る限りオリバーが来ることの方が嬉しそうに思える。

 そんなデイジーを見るのはあまり面白くない。ジャックにとって月に一度のオリバー来訪日は嫌なイベントの一つだった。

 別に親交を深めたいという気持ちがあるわけでもなく、早起きしてまでオリバーを出迎える必要はないのだが、自分が知らないところでデイジーを魅了されては困る。

 ジャックはオリバー来訪日だけは二度寝を諦め、ぴったりと主の横にいることにしていた。


 狼の遠吠えを聞いてからほどなくして、デイジーの耳にも馬を駆る音が届いた。

 大通りから屋敷に続く細道を栗毛の馬が駆けてくる。馬上にはマントを羽織った青年が乗っていた。

 その姿を確認した庭師が屋敷の入り口にある大きな門扉を押し開く。

 青年はふわりと馬上から下りると、その手綱を庭師に預け、乱れたマントと髪を軽く整えてから玄関へと歩き出す。


「おはようございます、デイジー譲、ジャック。最近、急に寒くなったせいか森の色が随分変わりましたね。こちらへ来る途中、思わず見惚れてしまいました」


 いつも通りにこにこと愛想を振り撒きながら近づいてくる騎士に、デイジーも嬉しそうに挨拶を口にする。


「おはようございます、オリバー様。この辺りの木々は種類が豊富なので、紅葉の時期はいつも色彩豊かできれいなんですよ。でも、馬での移動は寒くて大変ですよね」


 オリバーの形のいい耳がだいぶ赤くなっていることに気づいて問えば、僅かに目を細め含みを持たせた答えが返ってきた。


「そうですね。同僚は気温が下がると辛そうです。ですが、幸いなことに私には寒さを凌ぐ特技がありまして凍えるほどの辛さとは無縁なんですよ」

「特技で寒さに強くなれるんですか?」

「ええ、そうです。試してみます?」

「試せるんですか?」


 オリバーの口元が弧を描く。デイジーの反応が予想通りだったからだろう。


「掌を出してもらえれば試せます」

「――これでいいですか?」


 デイジーは言われるままに両手を揃え、掌を上に向けて差し出した。

 すると、そこへオリバーの両手が近づけられた。


(おいっ!)


 いきなりデイジーの手を握るつもりなのかと思ったジャックが阻止しようと前に出る。

 しかし、オリバーの手はデイジーに触れる十センチほど上で動きを止めた。想定外の動きにジャックはオリバーの顔を凝視する。

 しかし、目を伏せて手元に集中していたオリバーはそんな視線には気付かない。真剣な顔で小さく息を吸い込み、静かに吐き出したのは短い呪文だった。

 彼の穏やかな声で紡がれた言葉は魔法となって空気を動かす。

 ふわりとした小さな温風がデイジーの掌に当たり、そのまま滑るように消えていった。


「風魔法!」


 デイジーが驚いて声を上げた。

 魔術師ではない彼が呪文を唱えたことに驚いたのだ。魔力は持っているだけでは使うことは出来ない。正しい知識や技術を学ばなければ、ただ魔力を感知するだけの能力に留まる。


(どこで学んだんだ?)


 ジャックもまさかオリバーが魔法を使えるとは思いもよらず、声には出さなかったがさすがに驚いた。


「実は私も魔法学園に入学したんですよ。とはいえ使えるのは初歩の呪文だけですが、せっかく学んだので寒さを凌ぐために活用している次第です」

「騎士の方が魔法を使っているのを初めて見ました!どうして魔術師ではなく騎士の道へ?」

「それはやはり全く向いてなかったというのが一番の理由ですね。魔法学の初歩ってまずは座学がメインじゃないですか?」

「ええ。確かに低学年はあまり実技がないですね」

「それが私にはストレスだったんです。その上、魔力が少なすぎて練習しても実技も伸びないし、これ以上学園にいても無駄だなと思いまして二学年の夏に中退しました」

「ち、中退ですか!?」

「はい。ですから卒業された魔術師の方を尊敬しています。皆さん、立派ですよ」

「あの、ご両親の方は大丈夫だったんですか?反対されたりは?」

「ええ、まあ。かなり怒られましたが最終的には了承してもらえました」


 いつも通りにこやかな顔で、大したことはないという口ぶりのオリバーに対し、デイジーは唖然としていた。

 自分と同じ様に魔力が少ない状況でありながら、全く違う選択をしたオリバーに対し何を感じたのか、ジャックには分からない。

 ただ、この日のデイジーはぼんやりと考え事をしていることが多かった。


「デイジー、茶葉がこぼれてる」

「デイジー、瓶のフタが閉まってない」

「デイジー、インクが滲んでる」


 ジャックは幾度も指摘するはめになり、その度に思う。


(やっぱり、あいつは危険だ)

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