新しい護衛騎士
「あぁ、やっと邪魔者が消えたな」
玄関脇に設けられた応接間で、副団長は目の前に置かれたティーカップに指を絡めて呟いた。
窓ガラスの向こう側では、土を蹴る蹄の音が遠ざかっていく。薬を受け取ったダグラス家の従者が帰っていったのだ。
「副団長様、もしかして私が席を外している間にダグラス家の方に何か言いました?なんだか帰り際、様子がおかしかったようですが」
「いやぁ、たいしたことは言ってないよ」
副団長の表情から気持ちを読み取ることは出来ないが、ダグラス家の従者の方は明らかに変だった。異様に萎縮しており怯えているようにも見えた。
「ご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありません」
たぶんあの従者の様子では領地に帰るなり、我が家で不当な扱いを受けたと主に言い付けるだろう。もちろん格上の副団長に対して何も出来ないとは思うが、ダグラス侯爵はおしゃべりなので悪い噂を吹聴しそうで心配だ。
デイジーが頭を下げると、副団長は紅茶を一口こくりと飲んでからニカッと笑った。
「迷惑なんてしろものではないさ。行儀の悪い犬の頭を小突いただけだからな」
「――い、犬ですか」
ダグラス侯爵家で働く従者が平民のはずがなく、あの態度からして伯爵家か子爵家の次男や三男なのではないかと思われる。それなのに犬呼ばわりしてしまう副団長の言葉に驚く。
「そう、駄犬だ。だから気にすることはないぞ」
「あの、いくらなんでも……」
「駄犬だよ。デイジーを子供扱いして対等に話そうとする気配が全く感じられなかった。ダグラス侯爵はきちんと躾をするべきだな」
(さすが副団長様。あんな短い会話で私の状況を分かってくれたなんて)
デイジーの中で元々高かった副団長の好感度が更に上がったところで応接間の扉がノックされた。
「おはようございます、副団長様。本日の朝食はこちらで召し上がりますか?それともテラスにご用意致しましょうか?」
急遽外出してしまった母に代わり温室で水やりをしていたマシューが屋敷に戻ってきていた。デイジーが事の成り行きを伝えると、早速副団長をもてなす準備をしてくれた。
マシューは先程まで作業着を着ていたのだが、今は白いシャツに黒いベスト、濃灰色のネクタイを締めたいつもの服装になっている。
通常、彼は執事のような役割を果たしており、来客への対応もマシューの仕事だ。
「いつもありがとう、マシュー。せっかくだからテラスにしてもらおうか」
「かしこまりました。では、準備が整い次第お迎えに参ります」
副団長に向かって会釈したマシューは再び部屋を出ていった。
「副団長様、本日の朝食はパンケーキだとチャーリーが言っておりましたよ。良かったですね」
「おお、いいね」
正面に座るデイジーの言葉に副団長は満面の笑みを浮かべた。
彼は見た目のイメージとは違って、甘い物を好んで食べる。
特にブレア家の料理担当チャーリーの作るパンケーキは甘さを抑えた生地と添えられたミックスベリージャムとの相性は抜群に良く、大層お気に入りの様子だ。大食漢の彼は、分厚く大きなパンケーキだというのに毎回三枚は余裕で平らげている。
早朝、王都から馬を走らせてやってくる騎士に労いの気持ちを込めて朝食を用意するようになったのは十年前のこと。副団長がまだ青年だった頃、母リリーが始めた習慣だ。
その頃、六歳だったデイジーは毎月やってくる騎士のことを母リリーの友人だと勘違いしていた。
大柄な青年騎士は、金糸で縁取りのされた黒い騎士服の上に長いマントを羽織り、立派な栗毛の馬に跨がってやってくる。
デイジーの瞳には、銅色の髪を短く刈り上げた騎士が馬上から颯爽と飛び下りる姿はすばらしく格好良く映った。それはもう毎回瞳をきらきらと輝かせて駆け寄るくらいに。
そして、自分の気持ちに正直な少女は思いのままに行動する。とにかく少しでもお話しようと応接間をうろつき、最終的には朝食を一緒に食べる許可も得るのだった。
あまりにも青年騎士の来訪を喜ぶので、父ジョセフは「僕のデイジーが取られた」と妻に愚痴を溢していた。
しかし、そんな青年騎士は順調に出世し、三十手前で副団長に就任すると以前から交際していた女性と結婚してしまった。
そうしてデイジーのほのかな初恋は終了したのだが、毎月我が家を訪れ、朝食を供にしている王国騎士団副団長ヘンリー・プラムとの付き合いは長い。
青年から壮年へ歳を重ね、結婚して子供も二人授かった副団長だが、今も魔法薬を受け取りに来ることだけは変わっていない。だからこそデイジーは思い込んでいた。何の根拠もなくずっと仕事上の付き合いは続くだろうと。
しかし、環境は変化するものだ。
「チャーリーのパンケーキは国一番の旨さだ。ブレア家最後の朝に食べれるなんてツイてたなぁ」
副団長がゆっくりと部屋を見回した後、デイジーと視線を合わせ目を細めて言った。
「えっ?」
予想外の言葉にデイジーは目を見開く。
「いい機会だと思ってね。いつかは誰かに替わるつもりだったんだが、やっといい人材が見つかったんだよ。――オリバー、簡単に自己紹介をしなさい」
「はい」
ずっとソファーの後ろで静かに立っていた青年騎士が口を開いた。
「デイジー譲とお会いするのは二度目になりますね。私は今月よりエドワード殿下付き護衛騎士となったオリバー・フロストと申します。今後は毎月私が薬を受け取りに参りますし、場合によっては服用することになると思います。本日はそのご挨拶も兼ねて副団長に同行させて頂きました」
「え、服用もされるんですか?」
「はい。私は条件を満たしているので今後はエドワード殿下も薬を活用することが可能になりました」
「そ、そうですか」
母から仕事を引き継ぐ際に、【鏡】を使用している王族は現在国王陛下のみだと聞いている。これからエドワード殿下も使用する機会があるはずだが、影となる条件を満たす者を見つけるのは難しく、その時がいつになるかは分からない。母はそう言っていた。
「今までエドワード殿下の護衛をしていた男は優秀で信頼のおける者だったんだが、何分身体が大きすぎてね。薬を使うには体型が似ている方が望ましいだろう?オリバーは殿下と身長が同じくらいだし、なんと言っても乳兄弟だから仕草や物言いも熟知していてちょうどいい人材なんだ」
副団長は斜め後ろを一度振り返り、再び正面に座るデイジーと視線を合わせた。
「乳兄弟ですか?それは素晴らしいです」
デイジーも長身の青年騎士を見ながら感想を述べる。確かに背格好が似ていて口ぐせも知っているなら影の役割を果たすには打ってつけだ。
「ああ。しかも魔力保持者だ。これほど条件に見合う男はいない。完璧だ」
きっぱりと言い切った副団長の言葉に、オリバーは少し困ったように言葉を付け足した。
「副団長、条件は見合っておりますが、魔力は僅かですからそちらは期待しないで下さいよ」
「かまわないさ。薬を服用する条件に魔力の量は関係ない。ただ普通の薬ではないから、念のためデイジーが同席している場で試飲させたい。今日、受けとる薬を少々飲ませてもかまわないか?」
「ええ、もちろんです。今、ご用意します?」
「ああ。朝食前に済ませてしまおう」
キッチンの隠し扉から持ち出した魔法薬を前に、デイジーは姿勢を正して新しい護衛騎士に向けての説明を始めた。
「既にご存知かもしれませんが、確認のため【鏡】の注意事項をお伝えしますね。
まず一つ目ですが、服用する者は魔力保持者限定です。自身の魔力を増幅する作用があるので、魔力のない方が服用しても容姿に変化はありません。
二つ目に、一日一瓶以上服用することを禁じています。もし大量に飲んでしまった場合、本来の姿に戻るのがいつになるのか不明になるからです。変身する時間が安定しているのは二十四時間までなので。
三つ目は、変身後に他者と接触しないことです。あくまでも【鏡】は幻影を作り出す魔法薬なので、触れてしまえば実体との違いが明らかになってしまいます。
必ず以上の禁止事項はお守り下さい」
デイジーは魔法薬【鏡】の入った小瓶を傾け、一口分だけグラスに注ぐとテーブルの上にコトリと置いた。その隣には水の入ったグラスと手鏡が並んで置いてある。
「承知しました。必ず守るとお約束致します」
オリバーがソファーの前に回り込むと、副団長もゆっくりと立ち上がり、オリバーと向かい合わせになるように身体の向きを変えた。
オリバーが魔法薬を使って変身するのは副団長だからだ。
「お前でも緊張するんだな。顔が強ばってるぞ」
「私をなんだと思っているんですか。さすがにこれは緊張しますよ」
「そうか。いつもヘラヘラしてるから緊張とは無縁の男かと思ってたんだが、違ったな」
「ヘラヘラ?どういう意味でしょう」
「デイジー、これから毎月この男が屋敷に通うことになるが気を付けるんだぞ。爽やかな笑顔はただの習慣だ。誰にでも向ける優しさに惚れないようにな。惚れるなら俺のように一途な男にしておけ」
「副団長、変な助言はやめて下さい。その言い方だと私が不誠実な男だと思われます」
「判断するのはデイジーだな。半年後くらいにオリバーの人柄についてどう思うか聞きに来ることにしよう。そして、その時には俺にパンケーキを出してくれ」
「副団長……私をダシにするのではなく普通に来訪して下さいよ」
「ははは。まあ、そうだな。仕事ではなく個人的にデイジーの様子を見にこよう。手土産のリクエストはいつでも受け付けるぞ。使い魔に手紙を持たせてくれ」
「ありがとうございます。楽しみにしてますね」
「では、再訪の約束もしっかり取り付けたことだし、安心してオリバーに役目を譲ろうじゃないか」
副団長はテーブルに置かれたグラスを手に取ると、乾杯でもするかのように目線の高さまで持ち上げてからオリバーに渡した。
「はい。確かに承りました」
恭しく両手でグラスを受け取ったオリバーは、そのまま薬草の匂いが鼻につく魔法薬を躊躇うことなく飲み込んだ。
喉を通り過ぎた魔法薬は胃に落ちると温度が上がる。腹の中に温石を投げ入れられたように感じるはずだ。その温かさは魔法の始まりを意味する。
思わず腹に手を当てたオリバーは、自分の手の輪郭がぼやけていくのを目の当たりにして驚愕の表情を浮かべた。
驚いているうちに身体は全て透明になり、その三秒後には新たな形を作り終える。魔法薬【鏡】は全方向に緻密な幻影を生み出し、オリバー・フロストを副団長ヘンリー・プラムに変えた。
「よし、完璧だ」
副団長がオリバーの頭頂部からつま先まで視線を下ろし、満面の笑みで親指を立てた。
「フロスト様、気分は悪くないですか?」
デイジーは水の入ったグラスを手に取り差し出した。
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
オリバーは見慣れた自分の手より大きく骨ばった手でグラスを受け取ると、ゴクゴクと水を飲み干す。
向かい合っている本物の副団長は、未だ表情の固いオリバーを見てニヤニヤしている。
(副団長様、ものすごく楽しそう)
一瞬とはいえ、幽霊のように身体が透けてしまうのは不気味に感じるはずだ。緊張するのも仕方ないと思う。しかし、見慣れている副団長にとってはなんという事ではないらしく、ただただ部下の緊張具合が面白いらしい。
それは少し気の毒だと思いながらデイジーは手鏡を彼の方に向けた。
「我が家に代々伝わる魔法薬【鏡】の効果はこのようになります」
オリバーは鏡に映る自分の顔と、目の前に立つ副団長の顔を見比べ感嘆の声を漏らした。
「……すごい」




