騎士との再会
街で鞄を盗まれるという事件から一ヶ月が過ぎた頃、季節は春から夏へ移り変わろうとしていた。
その日、デイジーは玄関扉の前に立ち、来訪者の対応にあたっていた。
「母の作った解熱剤ですか……申し訳ございません。解熱剤は作り置きが出来ないため在庫がなく、今朝は母が領内で起きた事故対応に向かっており戻る時間も分からない状況でして。お急ぎで必要とのことですし、代わりに私がお作りしてもよろしいでしょうか?」
「いえ。お気持ちは嬉しいのですが、私は伯爵夫人が作った薬を購入するようにと言われておりますので――代替品はございませんか?」
「いいえ。残念ながらありません」
早朝、隣の侯爵領から解熱剤を求め一人の従者がブレア家にやって来た。母の薬が欲しいとのことだが、すでに家業である魔法薬作りはデイジーの仕事であり、代替わりしたことは魔法省と近隣の領主に宛てて知らせを出してある。それなのに母の薬を指定するのはそもそもが可笑しな話だ。
「では、しばらくここで待たせて貰います」
「え?どなたかが発熱しているから急いでいらしたんですよね?待っていて大丈夫ですか?」
「仕方ないでしょう。伯爵夫人が戻らねば薬を用意出来ないというのですから」
「私の薬に不安があるのかもしれませんが、必ず母と同じ品質のものをお作りします。一刻も早く解熱剤を持ち帰った方がよいのではないでしょうか」
「一刻も早くとおっしゃるのなら、使いを出して伯爵夫人を呼び戻して下さい。侯爵様が必要だとおっしゃっているのですよ」
居丈高に宣う男に、デイジーは言葉を失った。
(確かに!確かに我が家は格下の伯爵家だけど!そんな言い方は失礼でしょ!薬は作るって言ってるのに)
侯爵とは、王家の親族が賜る公爵に次いで二番目に高い地位であり、三番目が伯爵、その下に子爵、男爵の地位が続く。
王都に隣接する領地はほぼ公爵と侯爵が治めている。しかし、山裾に広がる森を含んだ場所は利益が少なく手間ばかりかかるため上位貴族である彼らは自領とすることを拒んだ。
その結果、貧乏くじを引かされたブレア伯爵家が管理することとなったらしい。とはいえ森には貴重な薬草も多く、先祖代々魔女が生まれるブレア伯爵家にとっては幸運だったかもしれない。
王都まで馬車で一時間しかかからず、薬草は取り放題。人の住める土地が少ないため税収入は少ないが、歴代の当主は魔法薬作りで得る収入があるため派手な使い方をしない限り生活に困ることはなかった。
唯一の欠点としては、今のように地位を重要視する高位貴族から非礼な扱いを受けることだろう。しかも他家の当主ばかりか使用人にすら下に見られる始末。
デイジーは従者の態度に胃がムカムカしてきたが、冷静に対応しなければならないという理性はまだ残っている。
「事故現場では怪我人が出ています。そのため治癒魔法が使える母が駆け付けることとなりました。領民を守るのは領主の責務です。そして、それは伴侶である母にも同じことが言えます。呼び戻すことは出来ません。今日は不本意でも私の薬で我慢して下さい」
怯むことなく年嵩の従者の目を見てはっきりと意見を述べた。家族は全員仕事のため不在だ。今、ブレア伯爵家としての対応を決めるのは自分しかいない。
「デイジー、こんなやつに薬なんて作らなくていいんじゃない?」
足元にいる黒猫が呆れたような声を出した。しかし、目の前の従者は魔力を持たないようで黒猫には見向きもしない。ニャアニャアとしか聞こえないからだろう。
デイジーは、なんとか不快な気持ちを隠す努力をしたが口元がひきつるのは止められない。
無言となった従者と自分の間にピリピリした空気が漂うのを感じた時、辺りに蹄の音が鳴り響いた。
土を蹴る蹄の音は徐々に大きくなり、屋敷の入り口にある大きな門扉の前で止まった。二頭の栗毛色の馬がブルブルッと鼻を鳴らし、たてがみを揺らす。
ちょうど近くにいた庭師――いや人型の魔獣だが門扉を開いて挨拶をしている。
馬上の二人は黒い騎士服を身に纏い、腰には立派な剣を佩いている。先頭にいる男がひらりと馬から飛び下り、手綱を庭師に預けるとカツカツと大股でこちらに向かって歩いてくる。
男はデイジーと目が合うと片手を挙げて、低く通る声で言った。
「おはよう、デイジー」
「副団長様!おはようごさいます」
デイジーは慌ててスカートをつまみ膝を曲げて挨拶する。それに対し、彼もまた胸に手を当て頭を下げた。
大柄な壮年の騎士の肩章には星の刺繍が二つある。それは王国騎士団副団長の証だ。
短く刈上げた銅色の髪、切れ長の濃緑の瞳を持つ副団長は黒い騎士服がよく似合う精悍な容姿をしている。
彼は存在を秘匿されている魔法薬【鏡】を毎月受取る役目を担っていた。物が物だけに一介の騎士に頼むわけにもいかず、副団長という地位にありながらも自ら馬を走らせやって来る。
そして、今日はその納品日であり、屋敷へ到着した時間もいつも通りだった。
(ああ、よりによってこんな時に来られてしまうなんて)
母から代替わりしたばかりだというのに、早速トラブルになっているところを副団長に見られてしまった。信頼が薄れてしまうのではないかと心配になり、いつものような笑顔が作れずデイジーの表情は堅かった。
「いつもの薬は出来ておりますので少しだけ中でお待ちいただけますでしょうか?お茶をご用意致します」
「ああ、もちろんかまわないよ」
副団長はにこやかに答えた後、傍に立つ従者に顔を向けた。その視線の先にあるのは従者の胸ポケットに施された刺繍の柄だ。馬が二頭向かい合わせになった刺繍は家紋を示す。
副団長は剣の柄に手を添え、三日月のレリーフを従者に向ける。
「私は王国騎士団のヘンリー・ペラムだ。君はダグラス家の方かな?」
従者は「ペラム」の名にたじろいだ。
目の前に立つ大柄の男が口にした家名は、幾度も宰相や国軍総帥を輩出している高名な公爵家だ。
地位も家柄も上位であると知った従者は、先ほどまでの態度とは打って変わり、背筋を伸ばして愛想笑いを浮かべた。
「なんと、ペラム公爵家の方でいらっしゃいましたか。お初にお目にかかります。わたくしはダグラス侯爵家のグレンと申します」
「君も薬を買いに来たのかな?」
「はい。伯爵夫人の薬はよく効きますので、我が主はブレア家の薬しか服用しないほどです。ですが、本日は伯爵夫人が外出中で在庫もないとのこと。早朝から馬を走らせて参ったのですが残念です――恐れながら、副団長様もわざわざ王都から薬を求めにいらしたのですか?」
「ああ。騎士団で使用する魔法薬を受取りに来たんだ」
「騎士団のものを副団長様が自ら受取りに?それは、驚きました。お忙しい中、お疲れ様でこざいます。どうぞ、わたくしの方は後でかまいませんのでお先にご用件を済ませて下さいませ」
「いや、急ぎではないから君が先に薬を受け取るといい」
「い、いえ。それがその……在庫がないらしく」
言い淀んだ従者は副団長の顔から視線を外した。それを見た副団長は顎を撫でた。
「それは残念だな。では今からデイジーに作ってもらうのかな?」
「いえ、その……我が主は伯爵夫人のものを望んでおりまして……」
「けれど、伯爵夫人は不在なんだろう?――いや、そもそも代替わりしているのだから薬はデイジーが作るはずだな。ダグラス侯爵は忘れているのかな。事情を話せば文句は言わないだろう」
「いえ、しかし」
「今、君がすべきことは薬を早く持って帰ることじゃないのか?」
副団長は煮え切らない従者の受け答えに僅かに眉を寄せた。少しイラついたようで、もともと低い声が更に低くなっている。
従者もこれ以上言い返すべきではないと思ったのか、小さな声で「はい。その通りでこざいます」と答えた。
「では、話は決まったな。デイジー、私の用件は薬だけではないんだ。部下を紹介したいからダグラス家の薬が仕上がったら、少し時間をもらえるだろうか?」
「部下の方を……」
屋敷の入り口にある大きな門扉に目を向ければ、長身の騎士が我が家の庭師と話していた。
朝陽に照らされ白銀の髪が輝いている。離れた距離であっても立ち姿は美しく、ふと視線に気付いて振り返った顔には見覚えがあった。
「あっ」
思わず漏れた声に副団長は目元を緩めた。
「街で会ったことがあるんだって?」
「はい。困っていたところを助けていただきました」
「後ほど、紹介させてくれ」
「はい。ぜひお願いします」
副団長は驚いたデイジーの表情が面白かったらしく、眉間の皺はすっかり消えていた。




