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奴隷の少年

「あぁ、もう本当にどこから注意すべきか悩ましい」


 マシューはうんざりとした表情でため息をつくと、周囲を見回した。

 待機所にはブレア家以外の馬車が三台停まっており、馭者台には人も座っているが誰もこちらを見ていない。それは大通りを歩く人々も同じで、間近で魔力が使われたというのに何事もなかったかのように通り過ぎていく。


「しかし、結界を張っただけマシか」


 マシューの呟くような一言に、デイジーも自分達を囲む魔力の存在に気が付いた。透明な天幕のごとき結界は、周りの視線や音を遮断する。

 馭者や通行人の目には自分達の姿は風景に溶け込み、路傍の石と同じに見えるのだ。


「とにかく、旦那様の許可なく子供を領地に連れ帰ることは出来ない」


 マシューは眉間の皺を人差し指で押さえ、ジャックに向けて告げる。しかし、ジャックは引かない。


「じゃあ、訊いてみてよ。ジョセフ様は今日、ずっと書斎で仕事するって言ってたから確認出来るはずだよ」

「……こうなっては仕方ない。確認しよう」


 足元にある鉄の塊を見ながら、マシューは渋々ジャックの提案を受け入れた。


「え、どうやって?」


 デイジーは思わず二人の会話に口を挟む。

 確認するといっても、王都から屋敷までは馬車で一時間程かかる。今すぐマシューが出発しても往復すれば日が暮れてしまう。

 いったいどうするつもりなのか、聞き流すことなど出来ない。


「魔獣には特別な連絡方法がありますので、どうぞご心配なく。お嬢様が納品を終えて戻られる頃には旦那様の返事が届くと思いますよ」

「特別な連絡方法って?」

「それは特別というくらいですから――簡単にはお教え出来ません」


 にっこり微笑むマシューがそう言うのであれば、これ以上訊いても絶対に教えてくれることはない。デイジーは早々(はやばや)と知りたい気持ちに蓋をする。


「わかったわ。じゃあ、早速お父様に連絡してちょうだい」

「承知致しました」


 軽く会釈したマシューは身体の向きを変え、少年を手招きする。

 ジャックの後ろでずっと俯いていた少年は、びくりと肩を震わせた。マシューが動いたため、靴底が石畳の上でジャリっと小さな音を立てたからだ。


「君の処遇については保留だ。まず、名前を教えてくれるかな?」


 パッと顔を上げた少年は、口をぱくぱくと動かし喉を押さえた。


「君は――声が出ないのか?」


 眉をしかめたマシューの問いに少年が頷くと、隣にいたジャックが彼の肩に手を乗せた。


「まあ、そういうことだからさ。一度リリー様に診てもらった方がいいと思うんだ」

「確かに奥様なら声が出ない原因が分かるかも知れないが、――ジャックがそんなことを言うなんて意外だな」


 驚いた様子のマシューの言葉にデイジーも全く同じ気持ちだったため、うん、うんと小さく頷いた。


 デイジーは、ジャックが養成所に入る前にどんな生活を送っていたのか知らない。

 卒業式に参加する魔術師には、事前に魔獣達の情報を記した資料が配布されるが、その内容は養成所での生活態度や成績であり入所前の経歴は未記載だ。

 過去を知りたいのであれば、当事者間で話し合うことになっているが、昔のことは思い出したくないという魔獣も多い。むしろ、訊かれるまま話す方が少ないだろう。

 しかし、大半の魔術師は過去を問わない。重視されるのは現在の実力だからだ。

 デイジーも例に漏れずジャックの過去について問わなかったため、以前はどこで暮らしていたのかすらも知らない。


 デイジーが知るジャックの過去の長さは四年だけ。長くはないが、短いとも言えない時間を一緒に過ごしたうえで今感じたものは「驚き」だ。

 今までジャックが初対面の相手に対して、自発的にここまで手を貸そうとしているのを見たことがない。

 領民の仕事を手伝うことはあったが、それはブレア伯爵の依頼だからだ。決して親切心からの行動ではない。

 目の前で子供が転べば手を差し伸べるだろう。けれど、傷の手当てまですることはない。ジャックの人間に対する優しさは浅く、時には冷淡に見えることがあるくらいだ。

 だからこそデイジーは、出来る限り助力しようとする姿勢に驚いた。


(ジャックはどう思ったんだろう)


 デイジーは視線を下げ、今や鉄の塊となった足輪を見た。この国に生まれたならば貧しくとも奴隷に落とされる危険はない。目の前の少年が奴隷になった経緯は分からないが、アランカールで生まれなければ味わうことがない苦痛の生活だったはずだ。


「いいよな、お前は。腐っても伯爵令嬢だから無能でも生活に困らないだろ。最終的には金持ちと結婚すれば安泰だしさ」


 ふいに同級生に言われた言葉を思い出した。

 生まれる場所や家を自分で選ぶことは出来ない。それは個々の容姿や才能も然り。

 どんなに頑張ってもどうにもならないことはたくさんある。けれど、何も出来ないわけではない。たとえ些細なことであっても自分の出来ることをしよう。

 魔法学園で落ちこぼれだったデイジーは、毎朝鏡に映る自分を励ましていた。さすがに今は鏡に向かって「今日も少しだけ頑張るよ」などと口にしないが、今も気持ちは変わっていない。

 自分が出来ることをしよう。それは今も引き続き日々の目標となっている。


(今、私に出来るのは……)


 デイジーはジャックより少し背の低い少年の表情を見る。すると、視線が合いそうになったタイミングで少年は下を向いた。両手は身体の前でぎゅっと握りしめており極度の緊張状態に見える。


 (怖いよね……)


 まずは少年の緊張をなんとかしたいと思ったデイジーは、一歩前に進み出て僅かに身を屈める。そうして目線の高さを同じにしてから自己紹介をすることにした。


「こんにちは。私はデイジー・ブレア。こう見えて魔法薬作りを仕事にしている魔女なのよ。あなたは魔女に会ったことがあるかしら?」


 少年は魔女と聞いて目を大きく見開き、首を左右に振った。


「そうよね、アランカールでは魔術師があまりいないと聞いたことがあるわ。この国でも魔女はとても少ないのよ。良かったらそんな希少な魔女が作った傷薬を試してみない?あなたの手は傷だらけでとても気になるの」


 少年はデイジーの若草色の瞳をじっと見た後、握りしめた手を少しだけ持ち上げた。


「良かった。薬を塗ってもいいのね?」


 笑顔で言葉をかければ、少年は小さく頷いた。

 マシューが救急箱の蓋を開け、中から小さく丸い容器を取り出しデイジーに手渡す。それは先程近衛騎士にお礼として渡したものと同じ傷薬だ。

 蓋を開け、指で薬をすくい取り少年の鼻先に近づける。


「いい香りだと思わない?私の自信作なのよ」


 少年はその言葉に反応して、スッと深く香りを吸い込んだ。甘くスパイシーなボスウェリアの香りを嗅いだのは初めてだったのだろう。驚いた表情でデイジーの指先を見ている。


「果物のような香りよね」


 デイジーは少年に話しかけながら、手の甲へ傷薬を薄く塗った。


「この薬には治癒を早める効果があるの。きっと明日の朝にはつるりとした肌になってるから、ぜひ驚いてね」


 少年は薬を塗られた両手を自分の鼻先に近付け、くんくんと仔犬のように匂いを嗅ぐ。どんな香りなのかを確認することに気を取られ、肩の力は抜けたようだ。


(良かった。少しは緊張が(ほぐ)れたかも)


 安堵したデイジーが容器の蓋を閉めた時、上空で大きな鐘の音がゴーン、ゴーン!と響いた。

 街の中央に設置された時計台の鐘だ。


「大変!二時だわ!マシュー、悪いんだけど私は先に納品を済ませるから、後のことはお願い。ジャック、木箱を持って付いてきて」


 急いで救急箱をマシューに預け、魔道具の鞄を持つ。


「急ぎましょう。ジャック」

「了解」


 木箱を持ち上げたジャックの背中にマシューが慌てて声をかけた。


「あっ!待て、ジャック!この子の主の方はどうした?警備隊に引き渡したか?」

「もちろん!後始末はきっちりやってあるから安心して」

「そうか、それならいい。今度こそ、お嬢様のことをしっかり守れ」

「了解!」


 足早に診療所に向かった二人の背中を見ながら、マシューはやれやれと言わんばかりに馬車の扉に寄り掛かった。

 その馬車の屋根にはいつのまにか金茶色の目をした鳩が一羽止まっている。


「旦那様への確認を頼む」

「承知致しました」


 マシューの短い指示に従い、鳩はブレア家の屋敷に向けて飛び立った。

 さて、旦那様からの返事が来るまでに少年の健康状態くらいは確認しておこうかと彼が身体を起こした時、ふと気が付いた。

「後始末」が何を指すのか、ジャックは具体的に言ってない。その意味についてマシューが考えを巡らせた頃、すでに二人の背中は人混みに紛れて見えなくなっていた。


 魔獣は警戒心が強いが、一度心を開いた相手に対しては強い執着心を抱く傾向がある。もしも大切な存在を傷付ける者が現れたならば、完膚なきまで攻撃することも厭わない。

 デイジーの一人立ち記念日を台無しにし、奴隷の少年をこき使っていた男は呪いをかけられた。

 窃盗の罪で捕縛された男は取り調べを受けたのだが声を発することが出来ず、あらゆる質問に黙秘するはめになった。その為調べは一向に進まず、一週間も留置所に閉じ込められた。

 それと時を同じくして、闇落ちから仕込まれた禁忌呪文を唱えたジャックもケホケホと咳き込むことが続いた。

 人を呪えば自身にも害があるのは承知の上で行った報復のせいだが、欠片も後悔はしていない。むしろ声の出ない辛さを男に味あわせることが出来たことに満足していた。

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