貴族のルール
僅かに眉を上げ、戸惑いながらも青年は答えた。
「――ええ、有名な方ですから存じ上げております。お会いしたことはありませんが、ブレア伯爵婦人ですよね?」
「はい。私の鞄にはその『芽吹きの魔女』の魔法がかけられています。無理やり鞄を開けようとしたら何が起きるか分からないので心配なんです」
(お母様が魔法をかけたのだから、犯人が鞄を開けることは出来ないはず。中身の心配はいらないけれど、騒ぎになるような気がする……)
デイジーの母リリー・ブレアの魔力は豊富だが偏りがある。突出した土魔法と水魔法の魔力を活かし、多種多様な植物を通常より数十倍にまで大きく育てることが出来るのだが、野菜や果物の味を良くすることが出来ない。
ただひたすらに大きく、立派に育ちますようにと呪文を唱えているからだ。馬車ほどに大きなカボチャ、屋根の高さを越える豆の木、いったい何に使うのか不明なものを育てている。もちろん本業は魔法薬作りであり、巨大植物栽培は趣味である。
そんな母の趣味嗜好を鑑みると、巨大な何かが鞄から飛び出してくるような気がして不安になる。
(大事になる前にジャックが鞄を取り戻してくれたらいいんだけれど)
他力本願すぎて申し訳ない気持ちでいっぱいだが、今の自分に出来ることと言えば祈ることと謝ることだけだ。雑踏に消えた使い魔に全てを託して、これ以上誰かに迷惑をかけないように、まずは馬車に戻ることだけ考えよう。
「騎士様、足を止めてしまい申し訳ありません。心配だ、不安だなどと言ってる場合ではありませんね。まずは私自身をどうにかすべきでした」
表情を引き締めて青年の顔を見れば、美しい藍色の瞳でじっと見返された。
「ブレア伯爵婦人が魔法を?……もしや、お嬢さんのお名前は『デイジー』とおっしゃるのでは?」
初対面である彼の口から突如自分の名前が出てきたため、デイジーは目を見開いて驚く。
「えっ、どうして私の名前を?」
「最近、城内で話題になってますよ。成人の儀式を欠席されたでしょう?魔女であるブレア伯爵家のご令嬢を一目見たいという若者がかなりいたんですが、会えずじまいとなり皆がっかりしていました」
「まさか、そんな」
(いったい何を期待して会いたいと言うの?魔女は確かに珍しいけれど、私は溢れる魔力も美しい容姿も持ち合わせていないわよ。――だいたい魔法学園のクラスメイトに聞けば、いったいどんな人物か分かるでしょうに)
そこまで考えて、ハッとする。
魔法学園を卒業した人達がデイジー・ブレアについて語るのならば、いったいどんな内容なのか想像がつく。そして、それを聞いた貴族の子女達が興味本位に会ってみたいと口にすることも。
「たぶん、魔法学園に通っていた方々から話を聞いて会いたくなったのではないでしょうか」
青年は何気なく言ったのだろうが、デイジーにその言葉は突き刺さった。
「それは『飛べない魔女』の話ですか?」
思わず言ってしまった自虐的な言葉に、デイジーは口元を押さえた。初対面の人に言うべきことではない。彼はどんな噂話なのか知らないのだろう。ただ世間話をしただけなのだ。
険のある言い方をしてしまったと思う。親切にしてくれている青年に対して失礼な態度だったと後悔した。
「ごめんなさい。今のは聞かなかったことにして下さい」
驚いた様子の青年に慌てて謝罪し、この話題が続かないように「――大通りの右手にある待機所まで宜しくお願いします」と歩き出した。
そんなデイジーから半歩遅れて青年も歩きだす。大きく踏み出した彼の一歩は幅広く、先を歩いていたデイジーに直ぐさま追い付いてしまう。
「違いますよ。皆、可愛らしい魔女さんに会えるかもしれないと期待していたんです」
青年がデイジーの真横に並び、そう言って笑ったため話題終了とはならなかった。
デイジーは思わず息を飲む。強引にこの話を継続されるのは困る。うっかり口にしてしまった不名誉な呼び名について話したくはないのだ。
「か、可愛らしいなんて言われるはずないです」
彼の言葉に納得出来る要素は全くない。幾度も鏡の中の自分にがっかりしているのだ。
幼すぎる顔立ちに、低い身長。集団の中にいれば、自分の容姿が特異なものであることを思い知る。口さがない同級生は陰で「小人族」と言っていた。年齢にそぐわない容姿は決して褒められるようなものではないのだ。
説得力のない慰めの言葉に反論するなんて子供じみている。成人した大人はさらりと聞き流すものだと知っている。
けれど、モヤモヤとした気持ちが否定の言葉となって勝手に口から飛び出した。
そんなデイジーの心の内を知ってか知らずか、青年は更に言葉を重ねた。
「本当のことです。ぜひ次の舞踏会には参加してみて下さい。きっと多くの方々から声をかけられると思いますよ。お嬢さんは噂通り可愛らしいですからね」
「!!」
屈託のない笑顔を向けられ、デイジーはなんと言葉を返せばいいのか思い付かなかった。自分は謙遜しているのではない。それは伝わらなかったのだろうか?
「王城での舞踏会は絢爛豪華ですから、人混みが苦手でなければ十二分に楽しめると思いますよ。ダンスはお嫌いですか?」
「――いえ、嫌いではないです。得意ではありませんが」
「それは良かった。王城の大広間も美しいのですが、バルコニーから見える庭園は日暮れと共に多くのランタンが灯り幻想的な雰囲気なんです。きっとお気に召してもらえると思いますよ。次回は、ぜひともご参加を」
「……えぇ、まあ、前向きに検討します」
曖昧な返事をすることで話は終了したが、青年の真意が見えない。ただ、舞踏会への参加を随分と熱心に薦められたことだけは間違いない。
(初対面なのにどうして……)
まだまだ距離はあるものの、大通りの前方に見える待機所から長身の馭者がこちらに手を上げているのが見えた。ミルクティー色の長い髪をしているため、遠くからでもマシューであることが分かる。
「馭者の方がこちらに気付いたようですね」
「ええ、はい」
デイジーは舞踏会の話題が終了したことと、馴染みの魔獣の姿が見えたことの両方にホッとした。
「お嬢様!何かございましたか⁉」
馬車脇からマシューが駆け寄って来た。
「マシュー!」
「ジャックは何処に!?」
「実は鞄を盗まれてしまって、ジャックが犯人を追いかけてくれてるの」
「お嬢様の傍にいながら、なんて失態だ」
「マシュー、悪いのは私よ。ジャックを叱らないで」
「お嬢様、そういうわけには参りません。護衛の意味をしっかりと教えなくては――ところで、そちらの方は?」
「私が街中に一人で立ち尽くしていたから、心配して声をかけて下さったの。近衛騎士の方なんですって」
「え?街中に一人?」
マシューは木の上にいるブレア家の鳩をちらりと見た。
助けに入るのが遅かったのだろうか。ならば、今さら彼女の存在をデイジーに教えても意味がない。主であるブレア伯爵がいたたまれない状況になるだけだ。そう判断したマシューは鳩のことについては触れず、正面に立つ青年に向かって頭を下げた。
「ブレア伯爵家のマシューと申します。この度はお嬢様をお送り頂きまして誠に有り難うございました」
頭の先から爪先までビシッと芯が通っているような美しい姿勢のお辞儀で礼を述べる。マナー教本に載せられるような完成度だ。
「その上、重たい荷物までお任せしてしまい申し訳ありません。荷物はどうぞ私に」
大きな両手を差出し、早速木箱を受けとる。
「いえ、私はたいしたことはしておりませんよ。どうぞ、お気になさらず。無事に鞄を取り戻せるといいですね」
「お優しい言葉も有り難うございます。ぜひ、お名前をお教え下さいませ。主にもご親切にして頂いたことをお伝えしなくてはなりませんから」
「それほどのことをしておりませんよ。ただ可愛らしいお嬢さんの隣を歩いただけですからね」
そう言うと同意を求めるべく、隣のデイジーに笑顔を向けた。日差しのせいか白銀の髪や滑らかな肌がきらきらと光って見える。
(また可愛いいって言った!)
もうここまで何回も言うのならば、自分が知らないだけで貴族社会では女性を見たら必ず褒めなければならないルールでもあるのだろう。けれど、正直そんな義務的な言葉はいらない。嬉しいよりも空しい気持ちになるからだ。
見目麗しい青年にどんなに「可愛い」と言われても全く心に響かない。むしろ好印象だったものが薄れていく気がした。
(褒めればいいというものではないんですよ)
デイジーが心の中で青年に語りかけた時、マシューがバッと勢いよく大通りの反対側に顔を向けた。そのただならぬ表情につられ、デイジーもマシューの視線の先にあるものへ顔を向けた。
「あれは!?」
大通りの先に見える多くの屋根の一部が異様な光に包まれている。詳細な形は分からないが、薄紫の巨大な花が幾つも光っているようだ。それは常軌を逸した大きさであり、花が光るのも異常だ。街の人々はあまりの光景に驚いているだろう。
「鞄が見つかったようですね、お嬢様」
巨大な花が見えるということはブレア伯爵夫人の施した魔法が発動したのだと確信し、安心した様子のマシューが静かに告げた。




