近衛騎士オリバー
デイジーは大通りの片隅で、足元に残された木箱を見つめたまま動けずにいた。
木箱の中には薬草や木の実、蒸留酒で漬け込んだ果実の瓶など様々なものが詰め込まれており、そこそこの重さがある。
試しに持ち上げてみたが、馬車がある待機所まで運ぶ自信がない。無理して運んでは先ほどの子供と同様に、落としてばら蒔いてしまうだろう。
(どうしよう。ジャックゥ~、これをこのまま置いて馬車には戻れないわよ)
困り果てるデイジーのことを屋根から見つめる一羽の鳩がいた。羽の色は青みがかった灰色でなんら普通の鳩と変わりはないのだが、小さな頭に付いている丸い瞳は金茶色――――つまり、その鳩は魔力を持ったブレア家の使い魔だった。
彼女は主であるブレア伯爵から、「出来るだけひっそりと護衛していることをデイジーに悟られないようについていってね。たぶん何もないと思うんだけれど、もしも君が緊急事態だと判断したならば助けに入って欲しい」と言われ、付かず離れずの距離を保っていた。
ブレア伯爵は、娘に対して過保護だという自覚はあった。そして、護衛の数を増やせば増やすほど娘に嫌がられることも十分承知している。けれど、愛娘は数少ない若い魔女だ。ほぼ絶滅危惧種と言っても過言ではない。しかも自己防衛能力が恐ろしいほどに乏しい。一人で街をふらふらと歩いていては拐われてしまうかもしれないではないか。本人が嫌がろうとも、護衛は多い方がいいに決まっている。
ブレア伯爵は妻に「デイジーが知ったら、いつまでも子供扱いしないで!と怒りますわよ」と言われたが、「ばれないようにするから大丈夫だ」と鳩の使い魔を呼んで指示を出した。
もちろんジャックはそれを承知しており、自分がデイジーの元を離れても危険はないと判断したからこそ、盗人を追いかけた。そうでなければ、鞄は別の方法で取り戻すことにしただろう。街角にデイジーを一人で立たせることなど出来やしない。
一方、ひっそりと守るように言いつかった使い魔の鳩は、今すぐデイジーの前に降り立つべきか迷っていた。
ジャックのことだから早々に鞄を奪い返して戻ってくるかもしれない。もし短時間であるならば、ブレア伯爵の希望通り姿を見せない方がいい。たぶん、いや、かなりの確率でデイジーは勝手に護衛を増やされたことに対して憤慨すると思われる。鳩は屋根の上でうろうろしながら、眼下の様子を伺っていた。
そんな時、一人の青年がデイジーに近寄ってきた。
「こんにちは、お嬢さん」
困り果てていたデイジーは声をかけられ、視線を上げて驚いた。
「何かお困りのようですが、私でよければお手伝い致しますよ」
(美人!!)
声をかけてくれた青年は、今まで出会った人々の中で一番美しい容姿をしていた。絵本に出てくる王子様、あるいは神話に出てくる美の男神のようだ。絹糸のように艶やかな白銀の髪、長い睫毛に囲まれた瞳は藍色。目鼻立ちの整った顔にすらりとした長身で、藍染のシャツに薄灰色のトラウザーというシンプルな服装なのに華やかさがある。
「どちらかのご令嬢のようにお見受け致しますが、お供の方はいらっしゃらないのでしょうか?」
丁寧かつ穏やかな口調で問われたが、見知らぬ青年に声をかけられたのが生まれて初めてのことだった為、即座に返答することが出来なかった。
「……」
「えぇと?ああ、私はけっして怪しい者ではなく、今はこのような格好ですが近衛騎士をしております。余計な事かとも思いましたが、もしかしたら従者とはぐれてしまわれたのかと。勘違いでしたら大変失礼致しました」
青年は首元から下がるチェーンを引っ張り出し、小さな銀製のプレートをデイジーに向けて見せた。プレートには王家の紋章である三日月と共に「第一騎士団 オリバー・フロスト」という文字が刻まれている。
デイジーはそのプレートが本物であることを知っていた。なぜなら、毎月母の作る秘薬を受け取りに来る壮年の騎士が首に下げていたからだ。
「あの、はぐれた訳ではないのですが実は鞄を盗まれてしまいまして」
デイジーは自分が立ち尽くしていた事情を手短に説明した。
「それはとんだ災難でしたね。ただ、お嬢さんがお一人でここにいるのは大変危険です。馬車があるならば、そちらに向かいましょう。荷物は私が運びますので送らせてください」
「とても有難いのですが、待機所はここから少し歩かねばなりません。お時間は大丈夫なのでしょうか?何か用事があって街に来られたのでは?」
「用事は済みましたので大丈夫ですよ。ちょうど帰るところだったんです。どうぞ遠慮なく、というかお嬢さんの安全を確認しないと気になって帰れませんから」
「えぇ?」
(どうしよう、ものすごく有難い申し出なんだけど、本当にお願いしてしまっていいのかな)
返答に困っていると、青年はすっと身を屈めて木箱を持ち上げて重さを確認し、再び路面に下ろした。
「お嬢さんがこれを運ぶのは無理だと思いますよ。それとも見た目に寄らず、実は豪腕をお持ちで?」
「は?いえ、全く!どちらかと言えば非力です――――すみません、やはり運んでいただけると助かります」
「はい。もちろん、お任せください」
青年はさわやかな笑顔を浮かべた後、右手を胸にあて一礼した。容姿だけでなく、動作も行いもスマートだ。
デイジーは青年の笑顔と普段受けることのない対応にドキドキした。耳の辺りが熱くなるのを感じて僅かに俯いたのは、顔まで赤くなるのを見られたくなかったからだ。
魔法学園で一緒だった男子達とは明らかに違う大人の雰囲気に動揺してしまうのは性格によるものだけでなく、単に場数の違いとも言える。成人したとはいえ社交界デビューを果していないデイジーは、貴族社会が生み出す独特の雰囲気に慣れていない。伯爵令嬢という肩書きを持ちながらも、ブレア家は他の貴族の暮らしぶりとは全く違う様相をしているのだから致し方ない。
恥ずかしがっているデイジーに目を細めた青年は、耳の赤さには気付かなかったことにして声をかける。
「では、行きましょうか」
「はい」
デイジーは小さく息を吸い込んで「普通の顔、普通の顔」と心の中で唱えながら歩き出した。
(とりあえずマシューと合流して一緒にジャックが戻ってくるのを待とう。少し早めに屋敷を出てきて良かった)
約束した訪問時刻まではゆとりがある。ジャックならば直ぐさま盗人に追い付くだろう。焦る必要はないんだと自分に言い聞かせる。
(不幸中の幸いとは、こういうことなのかしら)
重い荷物を軽々と運ぶ青年を横目に、通りを行き交う人々の様子を見る。一人で歩く若い女性は全くいない。街は女性が一人で歩けるほど安全ではないのだ。そんな中、近衛騎士の身分を持つ彼に声をかけてもらえたのは幸運だった。
しかし、幸運は滅多に訪れない。次からはもっと気を引き締めよう。デイジーは反省しながら振り返り、ジャックが黒猫に戻った辺りに視線を向けた。
(ジャック、どこまで追いかけていったんだろう)
「従者の方が心配ですか?」
隣に立った青年も大通りを見ながらデイジーに問いかけた。
「はい。ジャ、彼はとても強いので大丈夫だと思うのですが」
(魔獣だし、風魔法で熊を吹き飛ばすくらい強いから盗人と揉み合ったとしても負けるはずはないだろうけど――――まさか盗人を吹き飛ばしたりしないよね?それにお母様の盗難防止魔法も気になる)
母リリーの魔力は豊かで『芽吹きの魔女』という二つ名で呼ばれるほどに有名だ。そんな母が施した仕掛けはいったいどんなものなのか。デイジーが聞いても何故か母は笑って教えてくれなかった。
何が起きるか分からないというのは不安だ。
デイジーは青年にこう答えた。
「どちらかというと盗人が無事かどうか心配です」
「え?」
青年騎士オリバー・フロイトは予想外の答えにぽかんとした表情になった。
しかし、そんな表情であっても美しさが目減りすることは欠片もない。二人の横を通りすがる女性の数名が振り返って彼を見ている。
「騎士様は『芽吹きの魔女』をご存じでしょうか?」




