護衛の仕事
(まったく、どこの田舎者なんだ)
デイジーの鞄を盗んだ男の背中を目線で追いながら、ジャックは心の中で毒づいた。
人混みに紛れて逃げようとしている男は細身で背も低くく、顔は確認出来なかったがおそらく少年だと思われる。
(わざわざ目立つ襟元に刺しているのに、バッジの意味を知らないんじゃ話にならない)
ジャックは普段ピンバッジを身につけていないが、王都に来る際には人型になりシャツの襟元に刺している。
ブレア家の領地内であれば無用な心配事だが、王都の街は様々な人種が行き交っており、スリや強盗、誘拐等の危険が潜んでいる。そのため、幼く見えるデイジーが狙われないようジャックは襟元に目印を付け、魔獣の護衛が側にいることを周囲に知らしめていた。犯罪者が狙うのは弱者であり、わざわざ魔獣連れの少女を狙うなんてことはしないはずだ。そう考えていた自分の甘さに腹が立つ。
(平和ボケしてたな)
以前の自分であれば、道端に転がったジャガイモを拾ったりしない。護衛が仕事であるならば、主から離れて見ず知らずの人間の手助けをするなど微塵も考えなかった。
思わず子供の手助けをしてしまったのは、デイジーと過ごした時間が長くなってきたからだろう。護衛中だというのに考えるよりも先に身体が動いていた。
(お人好しは伝染するんだな)
そんなことを思いながら、ジャックは姿を黒猫に変えて、人々の足元をするすると身を躱しながら走った。身体能力の高い魔獣が普通の人間に追い付くまでの時間はほんの僅かだった。
男は魔獣が追いかけてきたことに気付く様子もなく、路地裏にある通りの角を幾つか曲がり、小さな倉庫の前で足を止めた。一度後ろを振り返り、周りに人がいないことを確認するが、視界に入ったのが黒猫一匹だったためそのまま扉を開けて中に入っていった。
(やっぱり子供だったのか)
振り返った盗人の顔には、あどけなさが残っており「男」というより「少年」という見た目をしていた。
ジャックは倉庫脇に置いてあった樽を踏み台にして高く飛び上がり、天窓から中の様子を覗った。
室内の半分はうっすらと埃を被った木箱が積み上げられ、残り半分は空きスペースとなっている。長い時間荷物は動かされず、人の出入りもなかったのだろう。盗人にとっては実に都合のいい隠れ家だ。
(さてと、デイジーの記念すべき一人立ちの日を台無しにしてくれたお礼をしないとな)
すぐに捕まえて鞄を奪い返すことなど容易いが、それでは全く腹の虫が治まらない。他に仲間がいるならば、この苛立ちを全員に受け止めてもらわねば。そして、もう二度と人の物を盗ろうなどと考えないよう制裁を加えてやろう。
森の中で穏やかな暮らしをしていたジャックが攻撃的な魔力を使う機会はほとんど無い。最近であれば冬眠明けの熊を追い払った時くらいだ。
(たまには魔力を大量消費した方がいいと言われてるし、ちょうどいいかな)
ジャックの身体の中で渦巻く魔力は体調不良の原因になる。ブレア家当主であり、元動物生態学研究者ジョセフの助言により、領内では定期的に魔力を消費していた。
ジャックの主はデイジーだが、ブレア家の人々のことは信頼している。彼らに頼まれればどんな仕事であろうとも断ることはほとんどない。ある時は畑を耕し、井戸を掘る。そして、ある時は大木を伐採し、乾燥させて製材する。養成所で学んだことは何一つ役に立たなかったが、魔力を使えば容易い作業だった。
ジョセフからの依頼は人力だけでこなすには多くの時間と労力が必要な力仕事が多い。しかし、ジャックがいれば瞬く間に仕上がっていく。陶器のように美しい肌と太陽のように輝く金色の瞳を持つ少年が、重労働とされる仕事を軽々とこなしていく姿は領民の心を捕えて放さない。本人に自覚はないが、野道を黒猫の姿で歩いていても注目を浴びている。
そうしてジャックは平和的な魔力の使い方をブレア家で学び、多くの人々から「ありがとう」という感謝の言葉を貰った。
指示通りに働いただけで感謝されたジャックは胸が熱くなり、むず痒いような気持ちになった。初めての感情に戸惑うジャックを見て、近くにいたデイジーが突如ボロボロと涙をこぼしたのはだいぶ前の話だ。
そんな心優しいデイジーの前で乱暴な真似は出来ない。暴力をふるえば確実に距離を置かれるだろう。怯えられては困るのだ。
しかし、今はデイジーが近くにいない。見られないなら多少手荒いことをしても問題がないだろう。
ジャックは額を窓ガラスに押し付けて目を凝らす。古びた窓ガラスが曇っていて中が見えにくい。
黄ばんだ視界の先には空き瓶や紙ゴミ、衣類が散乱し、数日間人間が生活している痕跡があった。そして、やはり他にも仲間がいたようで、煙草を咥えた中年男が木箱を椅子代わりにして座っている。その男は大柄で日に焼けた褐色の肌を持ち、目や鼻が大きい南国の顔立ちをしていた。
「見せてみろ」
男は煙草を床に落とし、靴底で火を踏み消した。
少年が無言で背負っていた布袋を手渡すと、男は中身を引っ張り出した。
袋から出てきたのは財布が三つと小ぶりな鞄が一つ。男は財布の中身を抜き取ると「ちっ、少ねえな」と不満を漏らし、財布を投げ捨てた。次に鞄を持ち上げ四方から品質を確認する。カチカチと瓶がぶつかる小さな音が聞こえるが気にする様子はない。
「あー、なんだこれ。――――家紋?げ、しかも名入りかよ。邪魔だな」
男は懐から出した小刀で家紋入りの名札を切り捨てようとした。しかし、小刀は突如意思を持ったかのように掌から飛び出し、トスッと近くの壁に突き刺さった。
「うわっ!!」
突然のことに驚いて、男は木箱から転げ落ちそうになる。鞄を盗んだ少年も目を大きく見開いて壁に刺さった小刀を凝視しているが、声をあげることはなかった。
ジャックは天窓に乗せた前脚に力を込めて踏み抜く。窓ガラスはガシャン!と大きな音を立てて、床に散らばった。
中年男と少年は慌てて壁際に飛び退き、異変が起きた天井を見上げた。最初に目に入ったのは確かに黒猫だったのだが、ゆっくりと空中を降りてくる間に姿は変わり、ふわりと床に降り立った時には少年の姿になっていた。
呆気に取られる二人を見てジャックは口の端を上げた。そして、黒い革靴で砕けたガラス片をジャリジャリと踏みつけながら歩み寄る。
「我が主の物に傷を付けようとするなんて――――相応の覚悟があるんだろうな」
ジャックが前髪を軽く払うと、つり上がった金色の瞳が魔力を帯びて輝き出す。それは砕け散ったガラス片よりもキラキラと光り、異彩を放っていた。
「おっ、お前、魔獣か!?」
たどたどしい言葉しか出てこない男に向かって、ジャックは余裕の笑みを浮かべた。
「その通り」
男は顔をしかめ、少年に向かって怒鳴り付ける。
「お前!なんてことしてくれたんだ!よりによって魔獣連れているやつの物を盗ってくるなんて!」
少年はビクッと身体を震わせ、無言で首を激しく左右に振った。
「知らなかったんだろう?このバッジの意味を」
青ざめた少年はジャックの襟元に刺してある三日月のピンバッジを見て、今度は首を縦に振った。
この状況の中、一言も声を発しない少年の様子にジャックは眉を寄せた。よく見れば少年の足首には黒い足輪が嵌まっている。それは他国の奴隷である証だった。
「君はしゃべれないのか?」
少年は怯えた表情を浮かべ、隣に立つ男の横顔をちらりと見た後、小さく頷いた。
「なるほどね」
ジャックは少年の袖口から見える細い手首や足輪の周りに広がる痣を視界に捉え、顔を歪めた。
鼻につく煙草と埃、転がる空き瓶から漂う酒の匂いが、思い出したくもない過去の記憶を呼び起こす。高圧的な態度の男と口のきけない奴隷の少年が並ぶ様子が、かつての自分と重なった。
ジャックは急速に心が冷えていくのを感じた。思わず自分の首を撫でる。昔、自由を奪われた首輪の形跡を探すかのように。
「さて、どうしてくれようか」
ジャックは無表情のまま掌を一度強く握りしめ、ゆっくりと開いた。そこから生まれまた小さな赤い炎は、一歩、二歩と進むたびに大きくなっていく。
「か、勘弁してくれ!鞄は返す!返すから!」
目の前でどんどん大きくなる炎に男は慌てて鞄を差し出した。
「もちろん返してもらうよ」
ジャックは炎を持たない左手をのばして鞄を受け取り、男の目の前に掲げた。
「僕の仕事は主の護衛なのに、おじさんのせいで持ち場を離れることになってしまったよ。職務怠慢だと怒られるかもしれないな」
「ぬ、盗んだのは俺じゃない!こいつが勝手に!」
男が隣の少年の肩を掴んで、ジャックの方に差し出した。
「命令したのはおじさんだよね?大人としての責任は取ってもらうよ。僕の炎で黒焦げにされるのと、この鞄の金具に触るのとどっちがいい?」
ジャックは少年など一切見ずに問いかけた。
男は口を小さく開いたが、呻き声しか出なかった。視線は炎と鞄の間で揺れ動く。炎は怖いが、何が起きるか分からない金具に触るのも怖いのだ。
「僕は今すぐ主の元に帰りたいんだ。早く決めてよ」
炎が更に大きくなったため、男は覚悟を決めて金具に手を伸ばした。すると、直ぐさまキィーン!と甲高い音が倉庫内に響き渡った。
「ああ、ちゃんと防犯機能が作動したみたいだ」
薄く笑ったジャックの言葉に、男の表情は凍りつく。
金具に触れた男の掌はプクッと膨れ上がり、中心部から芽が出てきた。最初は小さな双葉、次に本葉が開き蔓が伸びていく。蔓は幾度も分岐を繰り返し、濃い緑の葉が次々と繁り始めた。蔓は手首に絡み、腕、肩、身体に巻き付くように成長していく。
「うわぁぁ!!」
男は叫び声を上げ、外へ逃げ出そうとするが蔓が身体全体を覆いつくし身動きが取れない。蔓の中でもがいた結果、男はバランスを崩しドサッと床に倒れ込んだ。
しかし、蔓は成長を止めない。男の頭頂部から更に床を這い、陽の光を求めて扉の下をくぐり抜けて屋外に出ていった。
「なるほど。こういう仕掛けだったのか」
ジャックも倉庫の扉を開け放ち、蔓の行き先を確認した。
「さすが『芽吹きの魔女』」
倉庫の屋根まで登った蔓は、空に向かって光輝く薄紫色の花を無数に咲かせ、持ち主に鞄の在りかを知らせていた。
ブレア家直系の魔女であるリリーは土魔法と水魔法の能力に恵まれ、植物の成長を操ることに長けている。その力を活かした盗難防止魔法だった。
(これだけ光れば誰か来るだろう)
ジャックは屋根を覆い尽くす花々から視線を下ろし、薄暗い倉庫内を見た。少年はあまりの出来事に腰を抜かしたらしく壁を背に座り込んでいる。
ジャックが再び近くに寄ると、怯えた表情を浮かべた。
「大丈夫、僕は君に危害を加えたりしない。命じられて仕方なく盗んだんだろう?僕も昔似たようなことをしてたから分かるよ」
少年は目を見開き、何かを訴えるかのように口を動かした。
「足を出して。その忌々しい足輪を外そう」
恐る恐る少年が足を前に出すと、ジャックは足輪を強く掴んだ。
ピシッとひびが入る音がした後、足輪はゴトリと床に落ちた。
少年は呆然として真っ二つに割れた黒い足輪を見つめていたが、自分の足首にそっと触れた後、はらはらと涙をこぼした。
「君には治療と休養が必要だ。保護施設に入れるよう手配しよう」
ジャックは、ポケットから真っ白なハンカチを取り出して少年に渡した。
「不幸な日々は今、終わったんだ。涙を拭きな」
少年は何度も頷き、ハンカチで目頭を押さえたが涙はなかなか止まらなかった。ジャックは少年の肩をポンっと叩いてから振り返った。
「さてと、防犯機能の確認も終えたことだし、次はおじさんの番だね。どうやって始末しようかな」
蔦できつく巻かれ、青虫のような姿で転がる男の顔色は蒼白になった。




