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ルドルフ王子の噂

 がらんとした広間ではきゅっ、きゅっと床を鳴らす靴の音が響いている。

 王子のリードで幾度かターンを繰り返して踊っていると、デイジーの視界に自慢の使い魔ジャックが入り込んでくる。腕を組み、不機嫌さを全く隠すことなく眉間にシワを寄せて立っている様子に気を取られ、ステップを間違えそうになった。


(あぁ、予想通りの機嫌の悪さだわ)


 そんな集中力に欠けるデイジーの様子に気付いた王子は繋いでいた手をそっと離した。これ以上の練習は意味がないと判断した彼は、右足を引いて美しい紳士の礼を取った。

 それに対し、デイジーも慌ててカテーシーで応えてダンスレッスンを終える。

 一目盛り分だけ飲んだ魔法薬の効果はレッスン後半になると薄れ、今はもう二人とも元通りの姿となっていた。


「だいぶ上達したね。やはり基礎がしっかりしているから日毎に良くなっているよ。靴の履き心地はどう?痛くはないかな?」

「はい。中敷きが軟らかくてとても快適ですし、踊りやすいです」


 ハリソンが作った厚底靴のおかげで身長差は縮まり、腕のホールドもしやすくなった。


「それは良かった。今日の感じならば十分ロザンヌの代理が務まると思うよ」

「エドワード殿下にそう言って頂けると嬉しいです。私はダンスがあまり得意ではないので、本当はかなり不安だったんです」

「そう?大丈夫だよ。―――あとは表情かな」


 王子は顎に手を当て少し考え込むように言う。


「表情ですか?」

「そう、大切なことだよ。今回の目的はダンス相手に好感を与えないことだからね」

「つまり、好感度を下げる表情ということですよね……」


 とは言うものの、まさか招待客の王子様に対して終始仏頂面で通すわけにはいかないだろう。どう考えても失礼極まりない。けれど、笑顔を振り撒くのは目的に反する。

 デイジーは生まれて初めて自分の印象を悪くするにはどうすべきか考え込んだ。


(笑顔ではなく、不機嫌な顔でもなく、王族である彼に対して失礼がないような表情?……謎なぞのようだわ)


 眉を寄せて悩むデイジーの様子を見ていた王子は、少し間を空けてから謎なぞの答えを言った。


「私の希望としては、彼の前では終始表情を消して、笑顔も不愉快な顔もしないで貰いたい」

「人形のようにでしょうか?」

「そうだね。それが一番効果的だと思う。彼は多くの人々に恐れられ避けられている。誰も彼に微笑んだりしないし、優しくされることもない。そして、彼もまた笑わず人を寄せ付けないと聞いている。シュテルン王国第五王子に付けられた二つ名を聞いたことがあるかな?」

「はい。先日聞きました」


 デイジーは頷き、登城した日の夜にジャックから聞いた話を思い出す。

 ベッドの上でだらしなく体を伸ばして寝転がる黒猫は、あくびをしながら主の問いに答えた。


「第五王子のことについては、国境警備の仕事をしているやつから聞いたんだ。そう、養成所で同期だった魔獣だよ。ん?連絡方法?魔獣同士だけの連絡手段があるんだ。社会的弱者である僕達は助け合わないとね。まあ、情報収集の方法についてはあまり気にしないで。今、大切なのは隣国の王子がどんな人物かってことでしょ」


 ジャックは伝え聞いた噂を教えてくれた。

 漆黒のマントをはためかせ戦場を駆けるルドルフ・ノア・シュテルンは将軍の地位に就いている。今年二十歳になる彼は末子の第五王子であるが、城に滞在する期間は短く生活の拠点は砦や戦場だ。戦うために生まれてきたと言われるほど屈強な体躯と豊かな魔力を持ち、彼が走り抜けた後には幾重にも屍が積み重なっていくという。

 狼のような鋭い眼光で血塗れの長剣を振り回し、次々と目の前の敵を薙ぎ倒していく様は人には見えず、彼の長い赤茶色の髪を見たものは『赤い死神』と呼んだ。

 近頃、そんなおよそ人間らしい生活を送っているとは思えない彼が花嫁を探しているという噂がシュテルン王国中を駆け巡った。その為、年頃の娘を持つ貴族達は「もしも娘が花嫁に選ばれてしまったら」という可能性に戦々恐々としているらしい。いくら王族と縁が出来ると言っても『赤い死神』と親族になりたがる者などいないのだ。


「すごい二つ名だよね~。あ、寝る前にする話ではなかったかな?大丈夫?怖くない?」


 噂について語った黒猫は起き上がり、金色の瞳でデイジーの顔をのぞき込んだ。心配するような言葉とは裏腹に声色には面白がっている様子がありありと滲んでいる。

 主をからかってやろうという気持ちがあまりにも明白なので、デイジーは軽く黒猫の額を人差し指で押した。


「想像するとちょっと怖いけれど、あくまでも噂なんでしょう?だいたい噂通りの危険な王子様ならば、私がここに来ること自体ジャックが断固拒否しているはずだわ。つまり噂は信じるに値しないってことでしょう?」

「えぇ?僕を信頼してくれるのは嬉しいけど、少しは怖がってよ。つまらないなぁ」


 期待した反応を見せなかった主の様子に、黒猫はパタパタしていた尻尾を下げて再びごろりと寝転んだ。

 ジャックがそんな調子だったので、デイジーも悪い噂に驚きはしたものの第五王子に対して恐怖心は抱いていない。むしろどうしてそんな噂を流されているのだろうかと、そちらの方が気になっていた。

 デイジーは疑問に思っていたことを口にした。


「平穏な暮らしとは程遠い生活をしているようですが、やはり獣人であるがために差別を受けているのでしょうか?」

「たぶん、そうなんだと思うよ。腹違いの兄達は王城で暮らしているのに、彼の母親は離宮に住まわされ、ルドルフ本人も先触れもなく登城することを禁じられているらしいからね」

「そうですか……では、やはり何か事情がおありなんですね」


 とうてい家族に対する処遇とは思えない。平和な国で優しい家族と共に暮らしてきた自分とは全く違う環境だ。ルドルフ王子とは、いったいどういう人なんだろうと思わずにはいられない。


「エドワード殿下、参考までに教えて頂きたいのですが、以前建国祭でお会いした時の印象はどうでしたか?」

「んー、そうだな――――ずっと不機嫌だったな」

「我が国への訪問が不本意なものだったのでしょうか?」

「いや、建国祭への訪問はあちらから是非にとのことだったんだ。もしかしたら、誰かの代理で渋々来たのかもしれないが、城に到着した時はむしろ機嫌が良かったように感じたよ。けれど、どういうわけか式典が始まったあたりから渋い顔になってた。とはいうものの、噂のような『赤い死神』に見えるほど恐ろしい印象ではなかったよ」

「そうですか……では、もう一つ。再度確認させて頂きたいのですが、ロザンヌ様とは面識がないんですよね?」

「ああ、ないはずだ」


 兄王子が振り返り王女を見れば、同意する言葉が返ってくる。


「ええ、確かに直接お会いしたことはありませんわ。わたくしは式典の時に遠目から見ておりましたけど、ルドルフ様がこちらに気が付いたとは思えませんから」


 はっきりと否定する王女の返答に、デイジーは再び考え込む。


(ルドルフ王子は、いったいどうしてロザンヌ様に執着しているのかしら)


 会ったこともない他国の王女に見合いを申し込むのはなぜ?国内で花嫁を探すのが難しいから?では、他の国の王女にも見合いを申し込んでる?

 それらの疑問は全て舞踏会の日に明かされることとなる。

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