ロザンヌの憂鬱
舞踏会では招待客の中で一番地位の高い男性と女主人、あるいは娘が最初に踊ることになっている。それが舞踏会の始まりを意味するファーストダンスだ。次回の舞踏会で言えば隣国シュテインの第五王子と王女ロザンヌがその役割を担うこととなる。
あまり人前に出ないロザンヌが舞踏会に参加するのは、春に行われたデビュタント舞踏会に次いで二度目となる。その時ダンスの相手を務めたのは兄であるエドワードだった。まだロザンヌには婚約者がいないため無難な相手として選ばれたのだ。
もっとも婚約者が不在なのはエドワードも同じであり、ファーストダンスが終わるや否や王子様は令嬢達に囲まれてしまった。一方、兄以外とは踊ってはいけないと国王から厳命を受けているロザンヌは渋々上座に戻った。
ロザンヌからしてみれば、今夜は記念すべき社交界デビューだというのに兄と一曲だけ踊っておしまいだなどとは思ってもみなかったのだ。
一方、父である国王にとって若者が集まるデビュタント舞踏会は婿探しにうってつけのイベントだった。もちろん、ロザンヌの結婚相手を選ぶのは国王であり本人の希望など聞いたりしない。国王は事前に目星を付けている令息数名の行動を玉座から観察し、隣に立つ宰相にメモを取らせている。ある程度候補者を絞った上で再び見合いを兼ねた舞踏会を開く算段なのだ。
そんなわけで華々しいデビュタント舞踏会では、うっかり誰かに心を奪われて今後面倒な事態にならないように王女は座されることとなってしまった。
ロザンヌは扇で口元を隠し、小さく息を吐き出した。
(きっとこんな憂鬱な気持ちでいるデビュタントはわたくしだけだわ)
視界に入るのは真珠色のドレスの裾を翻し、輝くような笑顔で踊る令嬢と黒い燕尾服の令息達だ。パートナーはだいたいが婚約者であり、表情を見る限り不機嫌な者はいないように思われる。貴族社会では政略結婚が当たり前だと思われているが、本人の強い希望があれば想い人との婚姻も可能だ。もちろん家格が釣り合えば、と一言付け加える必要はあるが。
其々にどんな事情があるかは不明だが、目の前に広がるきらびやかな光景は魅力的であり、椅子に座ったまま眺めるだけの時間は苦痛で気持ちはだんだん沈んでいった。
(お父様にはわたくしの苦しみが分からないのよ)
ロザンヌは極度の人見知りとされているが、本当は多くの人と話して友人を作りたいし、出来れば恋人も欲しいと思っている。けれど、そんな思いとは裏腹に誰かと親しい関係になることに不安を抱いていた。それは他者の感情が見えてしまうことに起因している。
ロザンヌは視線を上に向けた。
(いつか偉大な魔術師が現れて、わたくしの魔力を消し去ってくれたらいいのに)
吹き抜けの天井から下げられた大きなシャンデリアは透明度の高い硝子で出来ており、会場全てに光を反射させ明るく照らしている。その煌めきは魔力を帯びた金色の瞳のようだった。
ロザンヌが自分の奇異な魔力に気付いたのは七歳の時だった。
その頃、様々な分野の家庭教師が付けられ本格的に勉強を始めたのだが、ロザンヌはどうしても外国語の発音が聞き取れず上手く話すことが出来なかった。
「自国にない発音はなかなか聞き取れないものです。回数を重ねる毎に音の違いが分かるようになりますよ」
担当教師の紳士はそう言ってくれたが、「ビィ」なのか「ヴィ」なのか曖昧すぎて分からない。分からないなりに真似をしてみるが、どこかが間違っているらしい。
「私の口元をよくご覧になって下さいね」
教師はあまり上達する気配を見せないロザンヌに根気よく指導してくれた。しかし、微妙な音の違いが分からないロザンヌにとって発音することは更に難しく、努力が実を結ぶことはなかった。
そして、授業を始めてから半年が過ぎた頃、教師の顔が時々引きつっていることに気が付いた。
(ああ、どうしよう。どうしても上手く出来ない)
思わず涙が滲んだ。自分としては一生懸命やっているのに結果が出ない。耳がおかしいのかもしれない。上達する気配が感じられない。
けれど、外国語は王女として必ず身に付けなければならない科目だ。王女として外交する必要があり、他国に嫁ぐ可能性も高い。話せないのならば通訳を使えばいいという事にはならない。
そんな状況の中、ある日授業の最中に身体が急に熱を帯び目の前がチカチカと光った。驚いて目を見開くロザンヌは教師の身体の周りに揺らめく何かを見た。
それは陽炎のようにゆらゆらと漂っている。初めて見る紫色の揺らめきは得体の知れない不気味さがあった。
「いやっ!」
ロザンヌは小さく悲鳴を上げ、恐怖と身体の熱さに気を失い目が覚めたのは夕方だった。ゆっくり瞼を上げると、部屋の入り口に医師と侍女の姿が見えた。
「身体の方はどこにも異常はありませんよ。少しお疲れなのかもしれませんね。今日はゆっくり休ませてあげて下さい。もし、熱が出るようであればこの薬を飲ませて下さい。では、私はこれで失礼します」
「有り難うございました」
侍女がお礼を述べると扉が閉まる音がした。
「――――アンナ。お水飲みたい」
小さな声に侍女が慌てて枕元にやって来た。
「ああ、良かった。目が覚めたんですね!すぐにご用意致します」
「うん。ありがとう」
乳母として赤ん坊の時から傍にいてくれるアンナの声に安堵し、水を飲んだ後は再び眠りについた。
ロザンヌは、この日を境に時々同じような陽炎を見るようになった。それは何の前触れもなく見えるもので、その都度赤や青、紫に黄色と様々な色があり濃さも違っていた。
見る回数が増えるとともに陽炎が何なのか考えることも増えた。初めは人それぞれに決まった色があるのかもしれないと思った。けれど、件の家庭教師の陽炎を再び見た時に紫ではなかったため、個人の持つ色ではないと気が付いた。
二回目に見た先生の陽炎は金色だった。
その日の先生は、何故だかいつもと違って機嫌が良さそうだったので「何かいいことがありました?」と訊いてみたところ、満面の笑みで「えっ、もしかして僕の顔が緩んでます?」との返事があった。
なんと彼の妻が女の子を出産したのだというのだ。
(嬉しい時は金色なのかしら)
それから陽炎が見えた際には必ず本人に「何かありました?」と聞くことにした。そうして幾人にも話しかければ、自分の見るものが何なのかがハッキリすると考えたのだ。
ある時は侍女、ある時は庭師、数をこなしていくうちに色と感情の関係性が見えてくる。しかし、あまりにも人の機微に敏感な様子は周りの人々に違和感を与えた。七歳という年齢にそぐわないその観察眼は「聡い子供」と思う者もいれば「不気味な子供」と思う者もいる。
ざわざわと拡がる噂話は国王の耳にも入った。
そして、その頃にはロザンヌも陽炎の色と感情の関係性を掴んでいた。たとえ相手の顔が微笑んでいても感情の色が寒色であるならば作り物の笑顔だ。心の中では暗い感情が渦巻いている。
例えば、ロザンヌが最初に見た家庭教師の陽炎は紫。それは苛立ちの感情だ。もちろん指導する立場の彼は負の感情を表に出すことはなかった。しかし、ロザンヌには時々本当の気持ちが見えてしまう。
陽炎の意味を知ったロザンヌは、二面性を持つ大人に対して嫌悪感を抱き近付きたくないと思うようになった。良く知らない大人を見れば侍女の背中に隠れ、家庭教師の来る時間になると城の中を走って逃げた。
側仕えの者達が追いかけるが、小さな身体は棚の中や茂みの中にすっぽりと隠れてしまい見つけるのに苦労した。その結果、業を煮やした家令がとうとう国王に直訴するに至った。
「ロザンヌ、いったい何があったんだ。使用人達を困らせないでくれないか」
ロザンヌの手を握り、国王は末娘に問いかけた。
「……」
俯いて何も話さないロザンヌに国王は再び問いかける。
「大人を怖がっているようだけど、誰かに何かされたのかい?」
普段より一段低い声で訊かれたため、ロザンヌは慌てて首を横に振った。
「じゃあ、どうして急に人見知りになってしまったんだい?今までは初めて会う人にもきちんと挨拶することが出来ただろう?」
こくりとロザンヌが頷くと、国王は膝をつき目線を合わせてもう一度訊いた。
「理由が知りたいんだ。父に教えてくれないかい?」
「……変なもやもやが見えるの。怒っている時は暗い色で、嬉しい時は明るい色をしているのよ。本当は嫌な気持ちでいるのに大人は笑うでしょう?そんなの見たくない。見たくないのよ、お父様」
ロザンヌは自分の抱えている怖さを父に伝え、助けて貰おうとした。父はこの国で一番偉い国王だ。きっとこの悩みを解決してくれるに違いない。
「ロザンヌ、もう少し詳しい話を聞かせて欲しいな」
ロザンヌは今まで見えた人々の様子を思いつくまま国王に話した。ずっと聞いて欲しいと思っていたのだ。ただ、自分に起きている事をどう伝えればいいのか整理がつかず話せなかっただけだった。だからこそ父が自分の異変に気付いてくれたことが嬉しかった。
「ロザンヌ、その力のことを誰かに話したかい?」
「いいえ、話していません」
「では、詳しいことが分かるまで内緒にしておきなさい。いいね?」
「はい、お父様」
「大丈夫。きっとその力は悪いものではないよ」
そう言って国王は幼い王女の頭を撫でた。
その後、国王の指示により神官と魔術師団長が呼ばれ、ロザンヌの魔力を調べ直すこととなった。すると、確かに元々持っていた魔力量よりも増加していることが判明した。しかし、身体の成長と共に魔力が増えるのはよくあることで、ロザンヌだけが特別ではない。また、属性についても新たに加わった兆候もなく、生まれ持った土魔法だけだ。
結局、検査結果から新たな発見などなく、様子を見ましょうということになった。
そして、この一ヶ月後に事件は起きた。
それは王妃主催のお茶会でのことだった。王妃は招待客をもてなすために最近人気だという商人を呼んだ。彼は若く明るい青年で宝飾店のオーナーだ。青年の店は輸入した珍しい宝石が手に入るということで話題を集めており、開店して間もないというのに繁盛している。
王妃は噂の店の商品を皆で一緒に見てみましょうと茶会に呼んだのだ。
その日、王城にある南庭園では芝生の上に丸テーブルと椅子が複数置かれ、着飾ったご婦人達が談笑していた。その真ん中で青年がひらりと黒いビロードの布をテーブルに広げ、傍らに置いた鞄の留め具に親指を押し当てた。この銀色に輝く留め具には盗難防止機能が施されており、持ち主以外が鞄を開くことは出来ない。高額な魔道具だが、商人達の間では広く普及している品物だ。
鞄から取り出したのはネックレス、指輪、耳飾り、髪飾り。宝石の色も様々で黒布の上は一気に華やいだ。
「本日は麗しきご婦人方の集いにお招き下さいまして、誠に有り難うございます。私は宝飾店【大樹】の店主キリル・ウォーカーと申します。今後とも宜しくお願い致します」
艶やかな黄金色の髪に碧色の瞳をした青年は、恭しくお辞儀をする。顔を上げて微笑めば、幾人かの夫人がその美しさにほぉっと感嘆のため息を漏らす。彼の華やかな顔立ちと均整の取れた体格は人の目を惹き付けるには十分だった。
「今回持参しましたのは皆様に喜んでいただけるよう私が厳選したお品でございます。特にこちらのネックレスは月の女神リアンノンをイメージし、繊細なチェーンと質の高いダイヤを使い、首元が美しく見えるようにデザインされております。ぜひ、お手に取って細工の細かさをご覧下さいませ」
招待客の夫人達は彼の言葉に席を立ち、並べられた宝飾品を前に「素敵な指輪だわ」「こんなに繊細な装飾は初めて見ましたわ」などと感想を言い合いながら、どれを買うか迷っている。
それに対し、キリル・ウォーカーはにこやかに宝石のカッティングや産地についての説明をしつつ、個別に髪の色、瞳の色に合わせて商品を薦めた。
「奥様は翡翠のような瞳をお持ちですから、こちらの耳飾りはいかがでしょうか?ああ、やはりとてもお似合いです。華やかな顔立ちがより一層際立ちますね」
もちろん極上の笑顔を浮かべ、相手の目を見ながら誉めることを忘れない。美青年に面と向かって誉められれば例えお世辞と分かっていても嬉しいものだ。夫人達は笑顔で会話を楽しんでいる。
そんなところに侍女を伴ったロザンヌが現れた。国王から「今日は人気の宝石商が来てるんだ。ロザンヌにも何か買ってあげるから見ておいで」と言われたからだ。
「ロザンヌ、こちらへいらっしゃい。あなたにも似合う髪飾りを選びましょう」
にっこりと微笑んだ王妃は手招きする。
ふわりとした薄桃色のドレスと揃いの帽子をかぶった王女も微笑み、母の元へ歩み寄る。しかし、その歩みは途中でピタリと止まった。
ロザンヌは慌てたように帽子を目深に下げ、自分の視線を隠した。
末娘がぎゅっと掌を握り締め深く息を吸い込む様子に気付いた王妃は立ち上がった。
「どうしたの?大丈夫?」
ロザンヌが首を左右に振ったため、王妃は「皆様、ごめんなさい。わたくし、娘を部屋に送ってきますわね」と言い残し、その場を立ち去った。
そして、その数分後に一人の魔術師がやってきて宝石商の青年を連行していった。残された夫人達はどうなったかと言えば、城内の応接室に通されて再び王妃と一緒にお茶を飲みながら作戦が上手くいったことを喜んだ。
宝石商のキリル・ウォーカーという男は詐欺師だった。彼の店で売られる商品の大半は盗難品を再加工したものだ。しかし、なかなかそれを証明することが難しく警史部の方から魔術師団に協力要請がなされていた。
今回の茶会は最初から彼を呼び出し、確実に連行するための罠だったのだ。招待状を受け取ったキリルは、もしかしたら王室御用達の看板が掲げられるかもしれないと欲を出し、嬉々として茶会に参加してくれた。今頃は、魔術師団長自ら取り調べを行っているだろう。
ロザンヌは彼を見た瞬間に魔力が発動し、様々な色の感情を見た。その禍々しい色に恐怖を抱いたロザンヌは足を止め、王妃が隣に立った時に「あの方は暗い色をしています」とだけ伝えた。
王妃は小さく頷き、娘の手を握り締めた。そして、侍女と共にロザンヌを部屋まで送り届けると、待機していた魔術師団長の元へ向かったのだ。
事の成り行きは全て国王に報告され、ロザンヌが他国に嫁ぐ可能性はなくなった。




