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魔法薬の効果

 昼下がり、ダンスレッスンを行うため王城の一角にある広間にはいつもの顔ぶれが揃っていた。

 窓際にはエドワードとオリバーが、壁際にはロザンヌとクロエが立っている。そして最後に入室したデイジーとジャックは扉の前に立っていたのだが、二人は皆の視線を集めていた。


「……デイジー、ダンスレッスンの前に一つ質問してもよろしいかしら?」

「はい。もちろん大丈夫です。ロザンヌ様」

「たぶん皆同じ疑問を抱いていると思うのだけれど、ジャックの様子がおかしいわ。いったい、どうしたの?」

「それは……はい。私もおかしいと思っています」


 デイジーの後ろに立つ使い魔ジャックは今日も黒猫ではなく少年の姿をしている。身長と顔立ちが急に成長しているのもおかしいが、王女が今気にしているのはそこではない。

 人には「限界範囲」というものがある。心理的縄張りであり、他者がそれを超えて近付いてくることを不快に思う距離だ。個人差はあるものの手を伸ばせば触れる距離まで近い場合を「個人距離」、それよりも近く家族や恋人でなければ立ち入り出来ないレベルの場合を「密接距離」と呼ぶ。

 そして今まさにデイジーの「密接距離」と呼べる領域に立っているのがジャックだ。かろうじて肩や腰に手を回してはいないが、吐息すら感じるほどに近い場所に立っている。


「ジャック、近すぎるから少し離れてくれる?」


 あまりにも近すぎる距離に落ち着かない気持ちでいたため使い魔をやんわりと嗜めたのだが、返ってきた返事は「無理だね」という拒否の言葉だった。

 デイジーは苦情を言おうと振り返ったのだが、目の前にあったジャックの顎先にびっくりして後退った。


「ちっ、近い!」

「あぁ、うん。そうだね」


 軽く頷いたジャックは手を伸ばし、距離を空けたデイジーの腕を掴んで引き寄せると再び自分の目の前に立たせた。


「皆さん、どうぞ僕のことは気になさらず練習を始めて下さい」


 言葉は丁寧だが声は冷ややかだ。ジャックは室内をぐるりと見回し、王子に向かって笑みを見せる。しかし、笑っているのは口元だけで金色の瞳は鋭い。

 黒猫の姿であれば伝わるはずのない敵意も、人型であれば明確になる。魔力を持たない王子に対し、声も表情も敢えて伝わるように少年の姿で目の前に立つのは威嚇以外の何物でもない。

 しかし、王子は驚いた様子も見せずに敵意を受け流し、いつも通り優しい笑みを浮かべて言った。


「では、遠慮なく始めさせてもらおう」


 デイジーは背後でジャックが小さく舌打ちをしたため眉をしかめる。振り返って叱りたいところだが、距離が近すぎて出来ない。


(もう、お願いだから元のジャックに戻って!)


 何をしでかすか分からない自分の使い魔に不安が募り胃が痛い。近々自分の為に薬草を準備しなければならないかもしれない。デイジーは、そんなことを思いながら王子が手に取った小瓶を見つめた。


「ダンスレッスンの間だけ変身出来るように、魔法薬の分量は少なくしよう」


 小瓶の中には毎月王室に納めている魔法薬【(ミラー)】が入っている。特別な魔法薬だが光輝くような神秘的な見た目をしているわけではなく、薬草を煮詰めた茶色の液体だ。

 通常この部屋にはピアノしか物が置かれていないのだが、今日は茶器を載せるためのワゴンと大きな姿見が一枚運び込まれている。ワゴンの上には魔法薬の他にもグラスと水差しが置かれていた。


「エドワード殿下、私がお注ぎ致します」


 オリバーが両手を前に差し出したため、王子は小瓶をその手に載せた。


「頼むよ」


 魔法薬の瓶には目盛りが刻まれ、使用時間に合わせた分量を注げるようになっている。オリバーは二つのグラスにそれぞれ一目盛り分だけ注ぎ入れると、一つを王女に渡し、もう一つをデイジーに渡した。

 王女はグラスを揺らし、僅かにとろみのある魔法薬をしげしげと見つめた。存在は知っていたが実際に見るのは初めてだったのだ。


「……ロザンヌ、本当に飲むのか?」

「お兄様、何度訊かれましても答えは同じですわよ。飲みます」


 気が進まない様子の問いに、王女は微笑んで答えた。

 王子は諦め顔でため息を一つ吐くと、王女の肩を軽く押して身体の向きを変えさせた。それに合わせてデイジーも動き、王女と向かい合わせになる。

 魔法薬の効果を確かめるため、デイジーは何度も【(ミラー)】を飲んでいるのだが、さすがに向かい合って二人同時に変身した経験はない。妙な緊張感があり心音が速まっている。しかし、自分が緊張していては王女が不安になるだろうと思い、デイジーは平静を装いグラスを握り直した。


「ロザンヌ様、この魔法薬は苦味が強いので変身が終了しましたら、どうぞお水を召し上がって下さい」

「ええ、ありがとう」

「安全は保証致しますので、私と同時に魔法薬を飲み干して下さい」

「わかりましたわ」

「では、どうぞ」


 デイジーの声に合わせて王女もグラスを口に運ぶ。二人がゴクリと飲み干せば、頭のてっぺんから爪先まで身体の輪郭がぼやけて透明になっていく。徐々に形を無くしていく過程はまるで幽霊になるようで、初めて見る者は恐怖を感じるかもしれない。実際、クロエは「ひっ!」と小さく叫び口元を両手で押さえている。

 しかし、完全に透明になるまでの時間は短く三秒ほど。更に三秒が過ぎる頃には再び身体の輪郭が浮かび上がり新たな姿で現れる。


「上手くいきましたね」


 デイジーが王女に声をかけると、一拍置いてから返事があった。


「――ええ。本当に鏡を見ているようです」


 呆気に取られた様子の王女の瞳は若草色、蜂蜜色だった髪は赤茶色に変化している。話し方以外は、すっかりデイジーそのものだ。そして、対面するデイジーの方も瞳の色は金茶色、髪も蜂蜜色の巻き髪となっており完璧に王女の姿を再現している。

 傍から見れば一歩も動かず立ち位置を交換したかのようだ。


「ロザンヌ様、どうぞご自身のお姿もご確認下さい」


 デイジーは姿見に手をかけ、王女の方へ向きを変えた。


「まあ、素晴らしいわ!」


 王女は目を見開いて鏡に映る自分の姿に感嘆の声を上げた。その様子にデイジーも喜んだのだが、少し引っ掛かる点があった。


「ロザンヌ様に喜んでいただけて嬉しいのですが、変身後が私だというのが申し訳ないような……」

「何をおっしゃりますの?かわいらしい容姿になれて嬉しいですわよ」


 瞳を輝かせ、王女はデイジーの両手を握った。


「いえ、あの、ありがとうございます」


 自分の姿をした王女に褒められるという特殊な状況に、デイジーは戸惑った。


(自分が二人になったみたいだわ)


 魔法薬【(ミラー)】はあくまでも商品であり、自分のために使ったことなど無い。デイジーが魔法薬で作り出された【デイジー】と対面したのも今日が初めての事だった。

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