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黒猫の決意

 困り果てたデイジーが味方を探して図書室の端に視線を移すと、そこには両腕を組み悪鬼の如き表情でこちらを睨んでいるジャックがいた。

 彼の背後にある本棚はカタカタと小さな音を立て、天井付近のステンドグラスも震えている。金色の瞳は怒りに燃え、魔力が陽炎のように身体を包んでいた。その危険な揺らめきは魔力の少ないデイジーでさえ感知できるほどのものだ。


「ジ、ジ、ジャック、おっ、落ち着いて」


 今まで一度も見たことのない凶悪な様子に自分の状況のことはすっかり思考から抜け落ち、ジャックを宥めなければ危ないと心の底から思った。


「意味がわからない。魔女の血が欲しいのなら他を探せ」


 ボソリと呟いた言葉は怒気をはらみ重く沈む。ピリピリとした空気にいち早く動いたのはイザベラだった。


「国王陛下、ここにいては危険なので避難しましょう。デイジー、後はお任せしますね」


 なんとイザベラはそんな無責任な言葉を残し、唖然としている国王陛下を連れて転移してしまった。


「嘘でしょう?!」


 デイジーは先程まで国王が座っていた椅子に向かって叫んだ。

 窓から見える空の色は太陽が姿を消したため、藍色にうっすらとオレンジ色が滲んでいる。その薄暗さがジャックをより一層恐ろしく見せる。


(こ、怖い……)


 今見ているのは本当にジャックだろうか?怒っているなどというレベルではない。恐ろしい魔獣そのものだ。


(でも、なんとか落ち着かせなくては)


 ジャックを刺激しないようにゆっくりと近づき、勇気を振り絞って手を伸ばす。

 すると、煌めく金色の瞳と視線が絡んだ。肉食獣のような鋭さにデイジーは一瞬たじろぎ手の動きを止めたが、唇を引き締めそっと腕に触れる。

 デイジーは触れた場所から魔力を流し込んだ。癒しの力でジャックの心を穏やかにしたい。それが無理ならせめて凶悪さだけでも取り除きたい。


「人間はどうして必要以上に欲しがるんだ?」


 ジャックは眉をしかめて、忌々しそうに言った。


「国王は魔力を持たずとも、多くの魔術師を抱えているじゃないか。命令すれば動かすことが出来るのだから、そいつらの魔力は自分のものだろう?」


 デイジーは魔力を込めた右手で、そっとジャックの髪を撫でた。どう答えればいいのか難しい質問だった。

 人間とは欲深い生き物なのだと答えようかとも思ったのだが、それだけではないとも思った。


「安心感が欲しいのかも」


 ジャックは予想外の答えに目を見開いた。


「何が起きても大丈夫だと思えるように、より多くの物を持ちたいという人もいるのよ。困ったことがあった時、手持ちの品のどれかが役に立つかもしれないでしょう?」

「……結局、どれも使わないかもしれないのに」

「まあ、そうね。でも安心感は得られるのよ」


 自分で言った答えにデイジーは小さく笑って、再びジャックの髪を優しく撫でた。


「やっぱり僕には理解出来ない。そんなにたくさんの物は要らない。僕に必要なのはデイジーだけだ」


 ジャックはデイジーの手首を掴んで、真っ直ぐに自分の気持ちを告げた。先程まで宿っていた剣呑な雰囲気は影をひそめ、今は苦しげな表情をしている。

 デイジーは告げられた想いに動揺した。黒猫の姿で言われたならば受け流すことが出来たかもしれない。けれど、目の前にいるのは少年だ。

 魔獣は身体の組織を瞬時に変化させ人型になる。それは、デイジーが作る変身魔法薬[(ミラー)]とは全く異なるものだ。彼らは幻影等ではなく本当の意味で変身することが出来る。神々の悪戯(いたずら)と呼ばれるこの不思議な能力は、古今東西多くの人々を惑わせた。

 もちろん、デイジーも例外ではない。愛の告白のような言葉に一瞬ドキリとするが、直ぐさま別の意味で言ったのではないかと思い直す。


(ジャックは、私が傍にいないと眠れなくなるから必要だと言ってるのよね?)


 自分の瞳を覗き込むように見ているジャックの真意が知りたくて、デイジーも金色の瞳を見返した。すると、ジャックの頭が横に動き肩にこつんと乗せられた。柔らかな髪が首筋に触れ、同時に囁くような声が聞こえた。


「デイジー、僕の(つがい)にならなくてもいいから、他の誰の物にもならないでよ」


 その切実な願いにひゅっと息を飲む。突如、胸の鼓動が速まった。

 デイジーは身動き出来ずに窓の外に視線を向ける。肩に伏せられたジャックの顔は見えないが、その方が都合が良かった。


(こういうのは反則でしょう!?)


 顔と耳が熱い。間違いなくどちらも真っ赤だ。だから、どうかこの熱が引くまで顔を上げないで欲しい。

 ジャックの真意は分からないというのにドキドキするのを止められない。


(もしも、もしかしたら、本当に?恋に似た感情を自分に対して抱いているの?だけど、私は……)


 今は何も言葉を返すことは出来ないのだから、ときめいてしまったことを気付かれないようにしなくては。思わせ振りなことをしてはいけない。

 図書室はあまりにも静かすぎて、自分の心臓の音が伝わってしまうのではないかと心配になる。とにかく平常心を取り戻そうとそっと息を吸い込んだ時だった。

 バンッ!と大きな音が室内に響いたため、デイジーは咄嗟にジャックを突き飛ばした。

 突然の出来事にジャックも対応出来ず、数歩よろけて後ろに下がる。


「父上!いらっしゃるのですか!?」


 近付いてくる足音の方を見れば、そこには王子とオリバーがいた。

 王子はデイジーと少年の間に漂う微妙な空気に足を止め、ややしてから謝罪の言葉を口にした。


「――――突然、邪魔をして申し訳ない。急ぎの用件があったんだ。デイジー、もしかして陛下がここに?」

「い、いらっしゃいました」

「何か言われた?」

「ええ、はい。その……エドワード殿下の伴侶は魔女が望ましいと」

「あぁ、そうか。……間に合わなかったか」


 がっくりと肩を落とした王子の様子に、デイジーはなんだか申し訳ない気持ちになった。

 王太子であるエドワード殿下ならば、もっと相応しい相手が数多くいるはずなのに、魔力を持っているというだけで自分が妃候補になっている。


「いや、まだ間に合うよ。王子様が断ればいいんだ」


 突き飛ばされた時に乱れたリボンタイを整え、ジャックはデイジーの隣に歩み寄ると肩を引き寄せ、その頬に口付けた。


「ひっ!」


 デイジーは驚きのあまり飛び退きそうになったが、肩をがっちりと押さえられ逃げ出すことは出来ない。


「ジ、ジャック!今、何をしたのか分かってるの!?」

「もちろん。デイジーを誰にも渡すつもりはないと分かりやすく示したんだよ」


 至近距離で微笑むジャックの金色の瞳は、力強く本気度が伺える。二人の前で口付けされたことがあまりにも衝撃的で、先程とは違い今のデイジーに恥ずかしがるゆとりはない。

 目の前に立つ二人は、さすがに驚いたようですぐに言葉を発することはなかった。しかし、王子は一瞬遅れて気が付いた。デイジーが呼んだ名前が使い魔である黒猫のものであることに。


「え、ジャック?」


 少年の姿をしたジャックとは、この時が初対面だったのだ。

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