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魔女イザベラ

 夕刻、デイジーは植物図鑑を抱え、図書室に続く長い廊下を歩いていた。斜め後ろには執事のごとく白いシャツに黒いリボンタイを結んだジャックがついてきている。


(どうして黒猫の姿に戻らないの?)


 昨日、街に買い物に出かけたら、二度と会いたくないと思っていたテオに遭遇し、中央広場では水魔法の白鳥が飛ぶのを見た。カフェに入れば使い魔契約しているジャックにプロポーズされそうなり、すぐさま取り消された。

 気まずい雰囲気の中、兄が欲しがる香水を買い、ロザンヌ様に渡すための魔石を買った。

 帰りの馬車に乗る頃には、なんとか当たり障りのない会話が出来るようになったが、なにせ帰る場所は同じ王城の部屋だ。

 あまり食欲がなかったため、夕食はスープとパンを少しだけ食べて植物図鑑を眺めてみた。図書室の蔵書をロザンヌ様が特別に貸してくれたのだ。普段であれば、じっくりと詳細情報まで読み込むのだが、それどころではなかった。

 入浴を済ませベッドに入ってもなかなか眠れず、うとうとしながら朝を迎えた。

 そして、なんとか侍女としての仕事とダンスレッスンを終えた今は夕刻。


(つ、疲れた………)


 デイジーはちらりと後ろのジャックを見て、ひっそりと小さなため息をついた。

 目覚めた時は黒猫の姿だったのだが、アイザックに品物を渡してくると言って出掛けた時には人型だった。そして、三時ぐらいに戻ってきたジャックは、黒猫に戻る様子もなく今も少年のままだ。しかも、昨日より微妙に背が伸びた気がする。


(魔獣の成長期って、これが普通?!いくらなんでもおかしいでしょ。――――ああ、お父様がいれば聞けたのに)


 デイジーの父親は入婿であり、以前は動物生態学の研究を行っていた。しかし、今はブレア家当主としての仕事があるため、研究はいちお趣味の範囲に留めている。「いちお」と前置きしたのは趣味というには家庭への影響が大きすぎるからだ。

 伯爵という肩書きを持っている割に管理すべき領地のほとんどが森であり、領民は少なく税収も少ない。主な収入源は国軍に納める魔法薬の売上金だ。こちらは伯爵婦人である母親とデイジーが担当しているのだが、大量生産が出来ないため増収は見込めない。

 つまり、ブレア伯爵に財力はないのだ。それなのに無類の動物好きで次々と魔獣と契約してしまうため、普通の使用人を雇うゆとりは無くなり、屋敷は魔獣だらけになってしまった。せめてもの救いと言えるのは、人型になれる魔獣が多いことだ。

 そんな中で育ったデイジーは魔獣と家族同様のつきあいをしている。とはいえ、まさか(つがい)の対象に自分が加わるとは思いもよらず、日付が変わっても心の整理はついていない。


(ああ、今夜はちゃんと眠れるかな)


 そんな事を考えているうちに図書室の前に着いた。

 デイジーが扉を開けようとドアノブに手を伸ばした瞬間、後ろから肩を掴まれる。背後にいたジャックが慌ててデイジーを引き寄せたのだ。その力は強くバランスを崩したデイジーは背中からジャックの胸の内に倒れ込む。


「うっ!」


 後頭部がジャックの顔に当たったようだ。背後から呻き声が聞こえた。慌てて身をひねり後ろを見れば、ジャックが片手で顔の下半分を覆っている。


「ごめんなさい!大丈夫!?」


 心配するデイジーの傍で図書室の扉が開いた。


「あら、痛そうね。大丈夫?」


 室内に立つ細身の女性が冷やかに言った。全く気持ちがこもっていない上に少し怒っている様子だ。僅かに眉を寄せ、濃紺の瞳でジャックを見下ろしている。

 デイジーは、六十歳前後だと思われるその女性に見覚えがあった。


「お久しぶりです。所長」


 顔を押さえたまま、ジャックが挨拶の言葉を口にする。

 グレーの髪を結い上げ、瞳と同じ濃紺のドレスを身に纏った女性の名はイザベラ・フラン。国内最強の魔女、あるいは氷結の魔女と呼ばれる養成所所長だ。

 デイジーも慌ててドレスをつまみ膝を曲げる。


「ご無沙汰しております。フラン様」


 彼女に会うのはジャックの卒業式の時以来となる。

 初対面ではないが、会話をしたのは魔獣契約の儀式が終了した時だけだ。


「ごきげんよう、デイジー。その後、私の教え子ジャックはお役に立てているかしら?」

「はい。とても助かっています」

「そう。それは良かったわ。でも、油断は禁物よ。この仔は魔力を使って悪いイタズラをすることがあるの。よく見張っていないと駄目よ」

「―――悪いイタズラですか?」

「ええ、例えば、これ」


 イザベラはデイジーの顔の横に手を伸ばし、背後にいるジャックの片耳を無遠慮にぐいっと掴んだ。


「痛いですよ、所長」

「痛くしているんです」


 イザベラは掴んだ耳を更に強く引っ張り、ジャックの身体までも手前に引っ張り出した。


「この卒業の証であるピンバッチには緊急時用の魔法がかけられています。もしも、規定量を越えて魔力を行使したならば、瞬時にその魔法を無効化するような仕掛けです」


 イザベラはジャックの肩を掴み、デイジーと向かい合うように立たせ、顔の向きを変えて耳飾りを見えやすくした。


「それは魔獣が暴走した際、周りの者の命を守るためにかけているのですが、この仔はそれを壊してしまいました」


 デイジーは驚いて目の前のジャックを凝視した。確かにピンバッジを耳飾りに加工した時、余計な仕掛けを外したと言っていた。それは所長が施した魔法だったのか。


「仕方がないので、もう一度更に強力な魔法を施します」


 イザベラは耳飾りを指先でつまんで魔力を込めた。金の三日月が強く青白い光に包まれる。そして、その光が徐々に小さくなって消えると、耳飾りは白金に色変わりしていた。


「これで完了です。また壊された場合、すぐ分かるように黒く変色する仕掛けも追加しました。その時は、私か魔術師団長に連絡して下さい。即刻魔法をかけ直しますから」


 イザベラはジャックを軽く睨んだ後、デイジーに向かって微笑んだ。


「ところで、ここには本の返却にいらしたのかしら?」

「はい。特別にお借りすることが出来まして」


 デイジーは抱え込んでいた図鑑を少し前に傾けて表紙を見せた。


「良かったですね。通常は閲覧のみで貸出し許可はなかなか下りないんですよ。返却する本はそちらのボックスに入れて下さいな。後で司書の方が棚に戻してくれますから」

「はい、ありがとうございます」


 デイジーは教えられた通り、入り口脇にあるカウンターのボックスに本を置いてから、ふと違和感を覚えた。今は夕刻とはいえ、室内は異常に静かで司書の女性だけでなく他の誰かがいる気配がしない。

 ステンドグラス越しに夕焼け色の日差しが差し込み、イザベラの横顔に色を付けている。細い目元には年齢相当のシワがあるが、すっと通った鼻筋や薄い唇が中性的で凛々しい。

 彼女に真っ直ぐな視線を向けられたデイジーは、その圧倒的な存在感に緊張した。


「実は、あなたにお会いしたいという方がお待ちです」

「私に?どなたでしょうか?」

「ふふっ、お会いしたら分かると思いますわ。奥のテーブルにおりますの。案内しますね」


 くるりと方向転換したイザベラの背中を見て、デイジーは更に緊張した。会えば分かるとは?自分達しかいないのは何故?


(これって、もしかしたら…………)


 デイジーには心当たりがあったのだが、どうして今なのかが分からなかった。

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