散策の目的
「アイザック・ブレアにお届けものをお持ちしました。ジャックと申します。直接渡したいので呼んでいただけますか?」
城内の北にある薬学研究所の入り口で、少年が受付嬢に用件を伝えた。
少年が訪れるには不似合いな場所だが、受付嬢は彼の耳に揺れる金の三日月に目を止めると微笑んだ。
「少々、お待ち下さいませ」
受付嬢が手元にある魔石に手を乗せて話し始めた。
「こちら受付です。ジャック様がいらしてますが、今、正面入り口まで来れますか?―――はい、分かりました。ではそのように伝えます。―――ジャック様、アイザックは只今離れた温室にいるため少し時間がかかるとのことです。恐れ入りますがそちらのソファーで少しお待ち下さい」
「分かりました。では、待たせてもらいます」
ジャックは吹き抜けになっているロビーの一角でソファーに座り、アイザックが来るのを待つことにした。
研究所の中は薬品の匂いが漂うため、嗅覚の優れた魔獣にとってあまり長居はしたくない場所だ。しかも、昨日のデートが失敗に終わり、気まずい雰囲気の中同じ部屋で眠るという苦行の後だ。心が疲弊しているのだから、身体にまで負担をかけたくない。
ジャックは背もたれに身体を預け、高い天井を見上げて深く長いため息を漏らした。
性急にデイジーとの距離を詰めようとしたことを悔やんだ。好かれている自信があったからこその行動だったのだが、やはり唐突すぎた。
(………完全に拒絶の顔だったな)
番が欲しいと告げた時、デイジーは考え込んだ後徐々に表情を雲らせた。
確かに自分も番の相手にデイジーを、とは考えていなかった。しかし、マックスが魔女と結婚したと聞いた時、それならば自分の希望通りの未来になると感じた。
いつまでも呪いでデイジーの成長を遅らせることは出来ない。時を止める魔法など存在しないのだ。
近い将来嫁いでいくデイジーを独占することが難しいことは理解している。自分は魔獣であり、契約を結んだ使い魔だ。けれど可能性がゼロでないならば、それに賭けたいと思ってしまった。誰よりも近くにいたい。自分以外の男が隣に立つのは許せない。一刻も早く自分の居場所を確立したいという思いから、事を急いでしまった。
(どうすればいいのかな)
ジャック自身、恋愛がどういうものなのか分かっていない。けれど、恋愛の先に結婚があり、結婚すれば他の男にデイジーを奪われる可能性が低くなることは知っている。
そう、結婚したからといって安心してはいけないらしい。稀に心変わりをして相手を変えることがあるという。
魔獣は一度番とする相手を決めたのならば、それは生涯変わらない。相手が死んだからといって他の者を番にすることなどないのだ。
(ほんとに人間は欲深いな。次々と相手を変えるなんてどうかしている)
それは本能的に感じることであり、無条件に嫌悪する事柄だった。しかし、その一途な感情のせいで魔獣の数は徐々に減っている。番が死ねば子孫が残せなくなるからだ。
人間に害をなす野生の魔獣は退治され、ジャックのように利用価値が高い魔獣は養成所に送られる。個体数は激減していた。
「ジャック!」
聞きなれた声がしたため、入口の方を見ると白衣を着たアイザックが片手を上げてこちらに歩いてくるところだった。
「待たせてごめん」
「大丈夫、たいして待ってないよ。はい、これ」
ジャックが紙袋を二つ渡すと、アイザックはホッとした顔で受け取った。
「白い紙袋がプレゼントで、茶色の方がアイザックのやつだよ」
「ありがとう、ジャック。ものすごく助かったよ。俺にあの店は無理だからさ」
「どういたしまして。あとは渡すだけだから、頑張って」
「あぁ、うん。―――渡すことを考えると気持ちが悪くなるんだけど、なんとか頑張るよ」
「ははっ、それだけは代われないからね」
「わかってる」
返事の声は小さい。
アイザックは森の中にある屋敷で育ち、ほぼ男子校のような魔法学園に通っていたせいか女性と話すのが苦手だ。職場に女性も多くいるのだが、必要最低限の会話しかしていない。とりとめのない雑談などもっての外だ。いったい何を話し、どう返せばいいのか対応に困るため、会話の輪には入らないようにしていた。
常に女性と関わらないようにしているアイザックのことを、同僚達は女嫌いだと思っている。しかし、実際は嫌いなわけではなく慣れていないだけだ。
恋愛初心者アイザックのことを、ジャックは一方的に仲間認定して応援したい気持ちでいた。だからこそ相手の女性がどんな人なのか興味はあったが、今はまだ詮索されたくないだろうと思い敢えて聞かなかった。きっと、近々アイザックの方から話があるだろう。
「じゃあ、また何かあったら声かけて」
ジャックは片手を上げてアイザックに別れを告げ、建物の外に出た。
今日も青空が広がり、爽やかな気候だ。
(今日はどの辺りを歩こうかな)
ジャックはデイジーがダンスレッスンを受けている時間を利用して、城内を黒猫の姿で散策していた。身分証代わりのピンバッジを耳飾りにしたおかげで、衛兵に捕まることもなく自由に歩くことが出来る。
しかし、国軍本部や魔術師団棟の辺りは警備が厳しいため遠目に見るに留めた。本当ならその辺りも確認したいのだが仕方がないと諦める。
隣国シュテインの獣人である第五王子が見合いのために舞踏会に参加する。それは大義名分であり、他の目的もあるのではないかとジャックは疑っていた。
国王もそれを心配してか国境を守る各地の辺境伯に通達を出し、優秀とされる軍人を王城に呼び寄せている。それ故、マックスも主に連れられ登城してきたのだ。
ジャックは今日も散策ということにして、城内の建物や人員配置を確認していく。不測の事態が起きた場合に備え、出来る限り広範囲を歩くことにしている。もちろん、時間帯毎に警備の人数は変動するため、散策するのも様々な時間に振り分けた。
デイジーは時々いなくなる使い魔に細々とした詮索をしてこない。それは信頼されていると思ってもいいはずだ。人型になって一緒に寝た時、恥ずかしそうにしていた。それは自分を男だと認識していると思ってもいいはずだ。
それなのに、番になって欲しいという言葉は受け入れて貰えなかった。
種族の違いが原因だろうか、とジャックは思った。同時にその壁を壊すにはどうしたらいいのだろうか、とも思った。
たまに、デイジーではなく他の魔術師と契約していたら自分はどうなっていたのか考える時がある。思い描くのは、血生臭い仕事をする自分だ。
(首輪もなく、自由に歩けるのは主がデイジーだからだよなぁ)
ジャックは雲一つない青空を見上げる。
たまたま魔力に恵まれた身体を持っているだけで、それを戦うことに利用したいとは思っていない。確かに魔獣の中には好戦的なやつが多い。しかし、自分は日々の生活を便利にすることや、デイジーに見せたショーのように楽しむことに使いたいと思っている。
ささやかな魔法でもデイジーは喜んでくれて、誉めてくれる。小さな手で頭をなでられる度に胸がじんわりと温かくなることをブレア家で暮らすまで知らなかった。この穏やかな生活を失うことだけは避けたい。
(自分の気持ちをストレートに伝えた方がいいってカーターは言ってたけど、本当にそれが正解?関係性が悪くなったとしか思えない)
ジャックはふーっと長く息を吐き出した。今日だけで、いったいどれほど多くのため息をついたか分からない。
(とりあえず、また後でカーターの所に行こう)
城内を歩いていると、あちこちで噂話が耳に入る。時々、女性達の間で名前が上がる副料理長カーターは良い噂と悪い噂が半々で実に面白い。
共通して言えるのは女性の興味を引くのが上手いということだ。ジャックがどうしたらデイジーの気を引くことが出来るのか、恋とは何なのか教えて貰うためにカーターの元を訪ねたのはデートの前日のことだった。
「俺に聞きに来たのはいい判断だ。面白そうだから協力してもいいよ。ただし、無償というわけにはいかないな。こっちの要望を叶えてくれるなら、相談に乗ろうじゃないか」
爽やかな笑顔で提案され、ジャックはそれを了承した。




