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初めての休日

 コトンと小さく固い音がした。

 黒猫が口にくわえていた小袋をテーブルの上に落としたからだ。


「ん?それは何?」


 夕食後出掛けていたジャックが部屋に戻って来た。

 最近ジャックはふらりと出掛けることが多い。デイジーがどこに行くのか尋ねると「散策」という答えが帰ってくる。そんなに長い時間でもないため、デイジーも事細かに行き先を訊いたりはしなかった。


「開けてみて」


 ジャックは鼻先で布製の小袋を押した。

 デイジーが言われるまま小袋の口の紐を緩めて逆さまにするとチャリリと中身がテーブルに落ちた。


「え?何?どうしたの、これ!」


 テーブルの上に落ちたのは小型銀貨だった。しかも十枚もある。


「アイザックから買い物を頼まれたたんだ。お釣りはくれるっていうから街で新しい靴を買おうよ。明日デイジーは休みだよね?」

「え?お兄様から買い物を?どうして?」


 屋敷を出る時、「城で会っても話しかけるな」と言っていた兄がそんなことするとは思えずデイジーは怪訝な顔でジャックを見た。


「自分では入りにくい店での買い物だからじゃないかな」

「お兄様が入りにくい店?より一層謎が深まったんだけど。ジャック、お願いだからその謎なぞの答えを教えてよ」

「はははっ」


 ジャックはテーブルの中央にきちんと座り、尻尾もまっすぐに立てると金色の瞳を細めた。


「今夜、人型で寝てもいいなら教えるよ」

「……教えてくれなくていいわ」


 デイジーはジャックを軽く睨み小型銀貨を小袋に戻した。すると、その手に頭をすり寄せジャックが下からデイジーを見上げて更にねだった。


「どうしてもダメ?」

「うっ、ダメよ」


 ふわふわした毛並みの感触とランプの光を映して揺らめく金色の瞳に負けそうになるが、人型は絶対に無理だ。ちゃんと眠れる気がしない。


「ちっ」


 ジャックは舌打ちするとテーブルから飛び降り、ベッドに飛び乗った。押しても無駄だと判断したらしい。


「舌打ちはやめなさい」


 デイジーの言葉に返事はない。





 翌朝、デイジーが買い物に行くため東棟玄関から外に出ると黒々とした馬車が一台待機していた。装飾は控えめながら手入れが行き届いており車体には艶がある。そして馬車に繋がれた馬も美しい栗色の毛並みをしていた。


「オリバーに頼んで用意してもらったんだ。デイジーは足に痛みがあるから街まで歩いて行くのはつらいと思って」


 白いシャツに黒いベストを重ねた執事風の服装は、人型になったジャックを品良く見せてくれる。デイジーはといえば、瞳の色と同じ淡い若草色のドレスに茶色のブーツを履いていた。自宅から持ってきた靴が皆きつくなってしまい、今履けるのはサイズが大きめに作られたブーツだけなのだ。

 初めはダンスレッスンのせいで足がむくんでいるのかもしれないと思ったデイジーだが、朝になっても靴がきつく感じたため、「足が大きくなったんだわ。膝も痛いし、もしかしてこれが噂の成長痛!?」と期待して喜んだ。とはいえ、履ける靴がないのは困るので、ジャックの提案通り街に買い物に行くことにしたのだ。

 この日、デイジーは登城してから初めての休暇となる。馬車で行けば街まで、さほど時間はかからない。ジャックが御者に伝えた店まではあっという間だった。

 大通りで御者が馬車を停めて扉を開けた。すると、すかさずジャックが先に馬車を降り、車内に残されたデイジーに手を差し出した。


「どうぞ」


 馬車を降りようと腰を上げたデイジーは思わず動きを止めた。


「……どうしたの?本当に変よ」


 ジャックは今までこんな行動をしたことなど一度もない。眉を寄せ訝しげな表情でデイジーはその手に自分の手を乗せて馬車を降りた。そして、更なる違和感を覚えた。


「ん?」


 目の前に立つジャックの瞳の位置がいつもより高い。よく見れば肩の位置が自分より上にある。


「ねぇ、ジャック。なんだか急に背が伸びてない?」

「うん、そうだね。ちょっと伸びたみたいだよ。成長期に入ったのかもね」

「ちょっとじゃないわよね?いつの間に育ったの?魔獣ってそんなに急に大きくなるものなの?」

「まあ、そうだね」

「うーん、なんか変な感じだわ」


 デイジーはしげしげとジャックの頭のてっぺんから爪先まで視線を下ろした。


「そのうち見慣れるよ。そんなことより買い物だよ、ほら行こう!」


 ジャックはデイジーの手を取ったまま目の前にある店【花園】の白いドアを開けた。

 カランカランとドアに付けられたベルが鳴る。


「いらっしゃいませ」


 入店とともに淡い水色のドレスを着た店員に声をかけられた。年代は三十代前後と思われる優しげな印象の女性だ。

 そして、店の中は彼女のドレスと同じく全てが淡い色調だった。水色、黄色、薄紫に桃色、春の花のような色のドレスや靴にバッグ、髪飾りやハンカチなどの小物に至るまで全て可愛らしいデザインの品物が並んでいる。

 少女趣味全開と言える店内に圧倒されながら、デイジーは来店目的を思い出す。


(お兄様はいったいこの店で何を買いたいというの?)


 兄が欲するような品物がここにあるとは思えない。若い女性向けの店だ。青年が立ち入るには敷居が高すぎるし、居心地も悪いだろう。


「ジャック、いったいお兄様に何を頼まれたの?」

「ん?ハンカチだよ。この店でしか売ってない小鳥の刺繍が入ったハンカチが買いたいんだって。あ、あった。これだ」


 ジャックが棚の上に置かれたハンカチを一枚手に取って、デイジーに見せた。それは白い生地に青い小鳥の刺繍が施され、繊細なレースで縁取りされた可愛らしいハンカチだった。


「誰かにプレゼントするの?」

「そう、職場の人に贈りたいんだって。自分が怪我した時にその人がハンカチで傷口を押さえてくれたんだけど、血がついてしまったから弁償したいらしいよ。お礼もしたいから、これに何か足して渡したいって言ってた」


 昨日の夜は教えてくれなかった謎の答えだが、今日はあっさり教えてくれた。


「お兄様が女性に贈り物をするなんて、たとえお礼の品だとしても意外だわ。仕事ばかりで浮いた話もなかったし」

「自分用に流行(はや)りの香水も買ってきて欲しいって頼まれたから、ただのお礼っていう感じでもないかもね。こういうのなんて言うんだっけ?遅い春が来た?」

「それ、絶対にお兄様の前で言わないでよ」

「あ、そういえば買い物の品がなんなのかデイジーには絶対に言うなって釘を刺されてた」

「ジャック……そもそも隠す気なかったでしょ」

「うん、ないない。だって面白いし、主以外の要望に答える気なんてないよ。僕はデイジーの靴を買うお金を貰いたかっただけだから、ちゃんと買い物して届ければ問題なし」


 可愛らしく微笑んでも言ってることがちょっと怖い。デイジーは心の中でジャックに約束を守ることの意味を教えなくてはと思った。

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