副料理長
「遅ーいっ!!遅いぞ、お嬢ちゃん!」
厨房の入り口に立つ長身の青年は、両腕を組んだままデイジーとオリバーが視界に入った瞬間に大声で叫んだ。
「申し訳ございません!」
慌てて厨房に向かって走ったデイジーが頭を下げると、青年は厳しい顔をしたまま言葉を放つ。
「時間厳守は大人の常識だ。よく覚えておきなさい」
「はい、以後気をつけます!」
萎縮した様子のデイジーより一歩前に踏み出したオリバーが急いで謝罪の言葉を口にする。
「申し訳ありません、副料理長。私の話が長引いたせいでデイジー嬢の到着が遅れてしまいました」
右手を胸に当て深々と頭を下げたオリバーに対し、青年は忌々しそうに眉をしかめた。
「なんで、オリバーがついてくるんだよ。お嬢ちゃんがジャムを作るだけだろう?」
「未婚の女性が男性と二人きりになるのは外聞が悪いものですから、どうかご容赦を」
「――――未婚の女性って、まだ子供じゃないか」
副料理長はデイジーをチラリと見てそう言い放つ。
「ああ、言い方を間違えました。評判の悪い副料理長とは二人きりに出来ません」
口角をキュッと引き上げ、オリバーはお手本となるような完璧な笑顔を見せる。
「けっ!」
不機嫌さを隠しもせず、近衛騎士であるオリバーに対して失礼な物言いをする青年は二十代半ば。栗色の髪は細くふわふわしたくせ毛で前髪が少し長く、くっきりとした二重まぶたを隠しているが琥珀色の瞳は大きく印象的だ。彼は口の悪さに似つかわしくない優しげな顔立ちで、黙って立っているだけならば好青年に見えるだろう。
「時間はきっちり一時間だ。それ以上はランチの仕込みがあるから厨房を貸せない。さっさと始めてくれ」
青年はデイジーに向かってそれだけ言うとスタスタと厨房に入ってしまった。
挨拶をしようとタイミングを見計らっていたデイジーは名乗ることを諦め、慌てて青年の後を追って厨房に入ると感嘆の声を上げた。
「すごい!」
厨房は想像以上に広く、様々な道具や食器が棚の上に整然と並べられ、壁際には水場や複数の竈、そして中央には大きな作業台があった。それはデイジーが今まで目にしたことのない大きさで、艶々と光る乳白色の色味が美しい大理石で出来ていた。
数百人の人々の食事がこの大きな厨房で作られることを思うと感動し、同時にこれからここで調理をさせてもらえることにデイジーはドキドキした。
「なかなかに壮観だろう?国内でここまでの設備が整っているのは他にはないよ。大人数に対応するために王族専用の東食堂よりも立派な厨房なんだ」
大理石の作業台に手を置き、副料理長は誇らしげに言った。
「ほんとに素晴らしいです!」
瞳を輝かせ、厨房の中を四方八方視線を巡らすデイジーの表情に嘘など欠片もないことは明白だ。本心からの言葉に副料理長は小さくうなづき、満足そうな顔で棚の上からボウルやザル、木べらに大きなスプーンと布巾を取り出すと袖をまくりデイジーを水場に手招きした。
「さあ、時間は限られている。作業に取りかかろう」
(えぇ?もしかして手伝ってくれる気なの?さっきまで怒ってたのに?)
「オリバー、花びらを全部ボウルに入れてくれ」
「了解しました」
(えっ、オリバー様まで手伝ってくれる?)
戸惑うデイジーをよそに二人は袖をまくり、道具を作業台に並べて竈に火を入れる。
「お嬢ちゃん、花びらは洗った後どうするんだ?」
ボールに水をたっぷり注ぎ入れて花びらを優しくかき混ぜて洗い、ザルに移してから副料理長は次の作業について聞く。
「すりこ木で軽くつぶしてレモン汁をかけ、花びらを揉みます」
「なるほど、それで花びらの水分を出すのか」
「はい。水分を出してから鍋に入れ、砂糖を加えて煮詰めるんです」
「わかった。まずはすりこ木だな」
棚からすりこ木を取り出す料理長に向かって、デイジーは疑問を口にした。
「あの、副料理長は今、休憩時間ですよね?私の手伝いをしていたら休憩時間が全く無くなってしまいますよ。場所だけ貸していてだければ十分ですから、どうぞ休んで下さい」
「ああ、確かに今は俺の大切な休憩時間だよ。いつもだったらかわいい彼女とお茶を飲んでるところだ。しかし、俺の見ていないところで厨房を使われるのは嫌なんだ。しかも、君はまだ子供だし、何が起きるか分からないだろう?」
すりこ木をデイジーに手渡しながら、副料理長は何を当たり前のことを聞くんだと言わんばかりの表情で答える。
デイジーは思わずムッとしたが、頬に力を入れて何とか表情に出ないようにこらえた。
「そうですね、子供は何をしでかすか分かりませんもの近くで見張っていないと心配ですよね。私、副料理長の貴重な休憩時間を減らしてしまっては申し訳ないと思ったのですが余計な心配でした。手伝いをした方が副料理長は安心出来るんですね。それでは、せっかくの申し出ですから遠慮なく作業をお願いしますわ。まず度数の高い蒸留酒を用意して保存瓶を消毒して下さいますか?鍋の方は私が見ますので」
畳み掛けるように言いたいことだけ言うと、デイジーは背の高い副料理長としっかり視線が合うように顔を上向きにして微笑んだ。
「んんっ、そうだな。すぐに用意しよう」
予想外なデイジーの言葉に副料理長は一瞬たじろいだが、文句は言わず消毒の準備を始めた。そして、一連のやり取りを見ていたオリバーが軽く咳払いをした。口元に手を当て笑いをこらえているようだ。
「デイジー、竈の火加減はこのくらいでいいかな?」
「はい、ありがとうございます」
(うぅ、気が強いと思われたかな)
デイジーはオリバーと顔を合わせるのが少し恥ずかしくなり、手短かにお礼を言うとすりこ木を握りしめ、ボウルの中の花びらをすり潰した。
すると、手元から薔薇の豊潤な香りが一気に溢れだした。
「ほら、レモンだ。使いな」
消毒の準備をしていたはずの副料理長が、いつのまにかレモンを四つ割りにして渡してくれた。とても素早い上に気が利いている。
「ありがとうございます」
デイジーは受け取ったレモンをボウルの上でギュッと絞った。すると何故か再び副料理長の掌が目の前に差し出された。
「?」
この手は何なのかと、動きを止めたデイジーの隣で副料理長は掌を上下に動かして急かした。
「皮だよ。かっ、わっ」
(言い方がね、どうかと思うわ)
呆れつつもレモンの皮を差し出された掌に乗せ、お礼を言うと今度は砂糖が差し出された。
彼のおかげで作業は捗るが素直に喜べない。癖が強いっていうのはこういうことなのかと実感しつつ、デイジーは花びらを揉み込み鍋に移した。砂糖を入れて火にかければ、後はこまめに灰汁を取るだけだ。鍋の中を覗き込み、ふつふつと煮えるのを待っていると厨房の入り口から声がした。
「あっ、もう煮込んでる?!遅くなってごめん!」
聞きなれたその声はジャックだった。
「おいっ!猫は立ち入り禁止だぞ!」
黒猫の姿のまま厨房に入ろうとしたジャックに気付いた副料理長が声を上げた。
「はあ?!ここも立ち入り禁止!?王城って魔獣に対して制限キツくない?」
文句を言いながら前足を一歩踏み出すと、ジャックの姿は一瞬で少年のものに変化した。そして、前髪を軽く横に払うと木べらを握りしめているデイジーの前まですたすたと歩き、立ち止まって横顔を見せた。
「どう?」
小さく形の整った彼の耳には金色に光る三日月の耳飾りが揺れている。王女が早速宝石商を呼び寄せ、身分証となるピンバッジを加工してくれたのだ。
「すごく似合ってるよ」
デイジーが率直な感想を口にすると、ジャックは満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう。実は自分でもそう思ってる。加工してもらって良かったよ。いい仕上がりだし、余計な仕掛けも外せたし」
「余計な仕掛け?」
「うん、僕にとっては余計なものだね。まあ、貰った時から変な感じはしてたんだけど」
それはいったいどういう仕掛けなのかデイジーが訊こうとした時、ジャックはハッとした顔でオリバーの方を見た。
「あっ、そういえばオリバーはアイラとモリーっていうメイドを知ってる?」
「知ってますよ。その二人が何か?」
「ここに来る途中でその二人が掴み合いの喧嘩してるのを見かけたんだよ。城のメイドって野良猫みたいだね。一応止めに行く?」
ジャックがオリバーに向かってそう話しかけると、横から副料理長が固い表情で口を挟んだ。
「場所はどこだ?」
「裏庭だけど」
ジャックの答えを聞くなり副料理長は慌ててコックコートを脱いで作業台の上に放り投げ、「オリバー、火の始末を頼む!」と言い残して走って厨房を出て行ってしまった。
「なんか、慌ただしい人だね」
ジャックはやれやれといった様子で肩をすくめた。しかし、目元と口元が面白そうに緩んでいる。
デイジーは呆れた口調でそんな使い魔を嗜める。
「そういう事は早く言って」
アイラというのは先日王女に朝食を運んできたメイドだ。彼女の心は悲しみと怒りで荒れていた。そして、その原因となったのは慌てて喧嘩を止めに行った副料理長だ。
アイラはモリーと二股をかけられたことを知り、副料理長に平手打ちを食らわせた。しかし、そんなことで気持ちが晴れることはなく、モヤモヤとした日々を過ごしていた。そんな時、「あなたは所詮浮気相手よ。彼の本命は私だもの」とモリーに言われ掴み合いの喧嘩に発展した。
慌てて厨房を出て行ったこと、平手打ちされた現場に居合わせたことからデイジーもなんとなく揉めている原因は副料理長だと察する。
(彼のどこに魅力があるのかしら?)
デイジーには全く理解出来ないのだった。




