王子の相談
玄関脇にある応接室はこじんまりとしているが、調度品は質が高く、手入れが行き届いているために古さは味となっている。
ソファーに座る王子はお茶の用意をするデイジーを珍しそうに眺めていた。その視線に気づいた彼女が王子を見ると、窓から差し込む柔らかな日差しのようにやさしく微笑まれ、ときめいて危うく茶葉を落とすところだった。
「どうぞ」
デイジーはワゴンの上で紅茶を注ぎ、ティーカップをテーブルに置いた。
「ありがとう」
王子は長い指をティーカップに絡め、優雅な所作で紅茶を一口飲んだ。
「デイジー嬢はお茶を入れるのが上手だね」
「ありがとうございます」
ブレア家にメイドはいない。身の回りのことは自分で行うか、使い魔が働く。しかし仮にも伯爵家だというのに使用人がゼロとは異常な状況だ。
王子も静かすぎる屋敷に違和感を覚えたようで、窓の外に広がる森に視線を向けて疑問を口にした。
「ここのお屋敷はとても静かだね。森の中にあるからだろうか?鳥の声しか聞こえないなんて」
「そうですね、森の中だからというのもありますが単純に人がいないからだと思います」
「人がいない?」
「はい。我が家は使用人がおりませんし、ここに住んでいるのは両親と兄と私の四人だけですから。それに今日に限っては家族が王都に出掛けておりますから私だけです」
(人間の数だけならば)
デイジーは心の中で言葉を付け足す。
「それは――――申し訳なかった。まさか屋敷にお嬢さんが一人になってしまうとは思いもよらなかったんだ」
王子は慌ててティーカップをテーブルに置くと頭を下げた。
「頭をお上げ下さいませ、殿下!」
「全く情報不足だった。家族だけで暮らしているとは知らず、君の家族を王都に呼んでしまった」
「はい?」
デイジーには王子の言葉の意味が分からない。
「あの、恐れながらエドワード殿下、本日私の家族を王都にお呼びになられたのですか?」
「ああ、手紙が届いただろう?」
「ええ、差出人はどなたか存じませんが、確かに手紙は数日前に届きました。オリバー様の部下の方が直接父に渡しておられましたけど…………ですが、殿下は今ここにいらっしゃいますよね?」
王都に来るように手紙を出し、留守だと分かっていて我が家を訪問した王子。デイジーは失礼なのは承知の上で眉を寄せた。
(いったいなんなの?)
「不審に思うのも当然だ。しかし、それには訳があってね。聞いてもらえるかな」
「ええ、もちろんです」
デイジーは王子に促され、自分も対面するソファーに腰を下ろした。
「実は最近、妹が十六歳の誕生日を迎え成人したのだが、その日から多くの見合い話が我が家に持ち込まれた」
よくある話だとデイジーは思った。王家と親族になりたい者は大勢いるだろう。独身子息を持つ貴族ならば、我先にと申し込みが殺到するのも想像に固くない。
「今度見合いの場をかねて舞踏会を開こうという話も出ている」
それもよくあることだとデイジーは頷いた。
「しかし妹は極度の人見知りで、大勢の人が集まる場所が苦手なんだ。それなのに見合いの場を設けられているという噂が本人の耳に入ってしまい、より一層舞踏会への参加を嫌がった。仕方なく見合い希望者全員に断りの連絡をしたのだが、一人だけ断れない人物がいてね」
王子は一旦言葉を区切り、深いため息をもらした。
「どなたかお聞きしても?」
「隣国シュテインの第五王子だ」
デイジーは息を飲んだ。シュテインは近隣諸国の中で最も好戦的であり、獣人を多用した軍隊を率いて次々と領土を拡げている国なのだ。かくいう第五王子も獣人のはず。どう考えてもこの国が太刀打ち出来る国ではない。
「危険な国が相手だ。私も可愛い妹に無理矢理結婚させたいわけじゃない。形式だけでかまわないから、見合い相手に会ってくれないかと言ったのだが、本人がどうしても嫌だと手近にあったクッションを幾つも私に投げつけて拒否された」
「それは本当に嫌なんでしょう」
「だが第三王女という立場を考えると、未成年ならともかく十六歳になった今、それなりの対応をしなければならない」
王子は苦々しい表情を浮かべ、組んだ両手にぎゅっと力を込めた。
「正直なところ私も見合い話が無くなればいいと思っている。しかし何故か相手が乗り気で断れなかった。どうしたらいいのか悩んでいた時、オリバーが君の魔法薬を持ってきた」
王子は身を乗り出した。
「ああ、この薬を使って王女の代理を立てたらいいんだ。そう思ったらとにかく一刻でも早く君に会いたくなった。魔法薬の使用方法についていろいろ確認しなければならないと。しかし今回は極秘で事を運びたいから、伯爵夫妻には留守にしてもらった。秘密を知る人間は少ない方が安心できるからね」
デイジーは嫌な予感がした。
毎月王室に納めている魔法薬はブレア家に伝わる秘薬でその存在すらも重要機密として隠されている。悪用されては世の中にどんな災いをもたらすか分からない危険な代物だ。
その魔法薬には[鏡]という名前がつけられている。なぜなら、魔法薬を飲めば目の前にいる人物と同じ姿に変身するからだ。しかも一瓶飲めば丸一日その姿を維持し、声すらもそっくりになれる。
通常、王族に影が必要になった時や諜報活動に使用しているのだが、それを見合いに使いたいというのか?
デイジーは強ばった頬の筋肉を無理に動かし、王子に問いかけた。
「エドワード殿下、魔法薬をどなたに飲ませようとお考えですか?」