マックスの誓い
マックスは肌が粟立つのを感じた。野生の本能が部屋に広がる魔力から逃げるように告げる。
しかし、ここで逃げ出したのでは何のためにジャックを呼び出したのか分からなくなる。マックスは両手をぎゅっと強く握りしめ、自分を奮い立たせる。
「ジャック、彼女の呪いを解いてくれ。成人した女性にとって、今という時間はとても大切な時期なんだ。邪魔をしてはダメだ」
「なんでマックスが親しくもないデイジーの心配をするんだよ」
「俺は親しくないけれど、デイジー・ブレアは妻の友人なんだ」
「は?妻?」
驚きのあまりジャックの魔力が弱まった。ランプの灯りの揺らめきが小さくなり、息苦しいほどに圧力を感じた空気も僅かに軽くなった。
「魔女と結婚したんだ」
マックスは深く息を吸い込むと、ジャックの金色の瞳を真っ直ぐに見据えて静かに告げる。
「妻の名前はジャスミン・ライト。デイジー・ブレアとは魔法学園で知り合って今も文通をしている友人だよ。月に一度はブレア家に手紙が届いているだろ?」
「ああ、確かに」
魔法学園では魔獣の同行を認められていなかったため、ジャックはジャスミンの顔を知らない。しかし、デイジーから学園での出来事をいろいろと聞かされたため友人の名前は知っている。もちろん、彼女からは頻繁に手紙が届いているので特に親しい間柄であることも。
一方、マックスの方は卒業式で見かけたデイジーのことを顔も名前もはっきりと記憶していた。「デイジー」という小さな魔女が学年主席の魔獣と契約したことは誰も予想だにしなかった出来事で、多くの卒業式参加者の記憶に刻まれている。
とはいえ、マックスにとってデイジー・ブレアとは卒業式の思い出の一部でしかない。本来わざわざジャックを呼び出し、解呪するよう説得する必要などない。しかし、デイジーに呪いがかけられていると知ったら愛する妻は心を痛めるだろう。それは絶対にダメだ。マックスはジャスミンに誓っている。
「今後、君が悲しむようなことは俺が全て取り除く。君がずっと笑顔で暮らすための努力を怠らない。今日の決断を後悔させたりしないよ。俺はジャスミンを必ず幸せにすると誓う。だからお願いだ。どうか、俺の番になってくれ」
人型になれるとはいえ魔獣と結婚するのはさぞ不安だったろう。けれどジャスミンは自分を信じて求婚に応じてくれた。その気持ちに応えたいという一心で常に妻の心情に寄り添い、生活環境を整えることに注力した。
そして今もデイジーの呪いを解き、妻とより良い友人関係を継続してもらうためにジャックを呼び出している。
デイジーは同じ魔女であるだけでなく、彼女が信頼し好意を寄せている大切な人間だ。ジャスミンの幸せの為にはデイジーも幸せでなければならない。
マックスにとって愛する妻の周りにいる人間は座り心地の良いソファーであり、肌触りの良い衣類と同じで最高品質のものを置きたいと考えていた。
(そのためにもまずは解呪をしてもらわなければ)
何も事情を知らない級友に余計な口を挟まれて不愉快だと思われてもかまわない。そもそも呪いをかけることは違法であり処罰される所業だ。ジャックのためにも一刻も早くやめさせたい。
正直、さっきの不穏な空気に怯えてしまったが、それは実地訓練で火蜥蜴を言葉通り灰にした時のことを思い出してしまったのだから仕方ない。ジャックを呼び出す際に多少の火傷は覚悟した。もう一度呪いを解くよう頼んでみようとマックスが口を開くと、それよりも先に質問が飛んできた。
「………お前、今、どこに住んでるんだ?」
「北の国境近くにあるネビス辺境伯の領地だよ」
「ネビス………知らなかった。この国で魔獣との婚姻が認められる場所があるなんて」
「国境が近いせいで隣国の文化や思考も入ってくる場所なんだ。王都とは異なる風習も多いし、人々の見た目も北寄りだよ。今は国境で分断されているけれど、元々は同じ種族の人間なんだろうな。ただ、残念なのは結婚したといっても国が認めたものではなく、あくまでも領地内でだけの事実婚に近いものだということかな」
「なるほどね」
ジャックは空になったグラスに蒸留酒を注ぎ入れ、一口だけ飲むと視線を落とし黙り込んだ。その顔から感情を読み取ることも出来ずに、マックスもしばらく沈黙した。
グラスの中で氷が溶け、カラリと小さな音を立てる。分厚いカーテンの向こう側にある暗闇からはホーホーと鳴く梟の声が聞こえた。
マックスは夕食時に見かけた二人の様子を思い出す。
楽しそうに食事をするデイジーの隣に座り、うなづいたり、笑ったりしているジャックは町に住む少年達と何も違わないように見えた。
養成所に来たばかりのジャックは野生の獣そのもので、常に周りを警戒し、いつでも攻撃体勢に入れるように神経を尖らせていた。しかしジャックには、それも仕方ないと思える事情があった。
「ジャックは今まで【闇落ち】の元で使役されていました。―――ええ、そうです。【闇落ち】は呪いを生業とする魔術師です。魔術師はジャックの魔力を使って呪いをかけていました。そのせいで魔術師団が保護した時、彼は生命を維持する為に必要な魔力が枯渇寸前でしたし、手酷い虐待を受けたらしく心が壊れかかっていました。
もちろん、魔術師団が速やかに治療を施しましたから今はもう身体に問題はありません。しかし、心の傷が癒えるまでには時間がかかるでしょう。一人にするのは心配なので、あなたに近くで見守って欲しいのです。もちろん無理に近づく必要はありません。ただ、日々の様子を私に報告して下さい。分かりましたね、マックス」
所長室に呼び出され、国内最強の魔女イザベラにジャックを同室にすると告げられた自分に拒否権はなかった。
それまで自室は寛げる唯一の場所であったのに、突如心を病んだ危険な魔獣を放り込まれてしまい、最初の一週間はよく眠れなかった。
しかし同室にされてから八日目の朝、それはお互い様だったことに気が付いた。それからは少しずつ話しかける回数を増やしていくことにした。
もちろん、初めは返事など返ってこなかった。それでもめげずに話しかけると、少しずつ日を追うごとにジャックの反応が変わっていった。
そして、とうとう同室となって一ヶ月後、初めて「おはよう」と言われた時には嬉しくてじわりと涙が出た。ジャックの心に築かれた高く分厚い壁はなかなか壊れないが、小さなヒビを入れることが出来たと感じたからだ。
そんな過去を知っているからこそ、猛々しさなど元々持ち合わせていない飼い猫のように、主であるデイジーに寄り添っているジャックの姿は感慨深い。
(とはいえ、いつ猛獣に逆戻りするか分からないから油断大敵なんだよな)
考え込むジャックから先程の殺気のようなものは感じられない。余計な口出しをした自分に対する怒りは静まったように思え、マックスは口を開いた。
「デイジー・ブレアは貴族の娘だ。成人したなら家の為に番を探し、子を産まなければならない。それなのに見た目が子供のままでは不利だろう?呪いを解いてやってくれ」
再び解呪するよう請われたジャックはふっと小さく笑った。
「そんなことは知ってるよ。一緒に暮らしているんだから、デイジーの両親が縁談について話しているのを何度も聞いているさ」
「は?知ってて呪いを?」
「僕は今の生活を気に入ってる。それなのに何故デイジーを人間の男に渡さなければならないんだよ。デイジーの隣で眠るのは僕だけでいい」
独占欲によって縁談の邪魔をしているように聞こえるジャックの言葉にマックスは戸惑った。
自分は魔女であるジャスミンを愛しているが、同じ様にジャックもデイジーに愛情を抱いているというのか?それとも単に穏やかな暮らしを続けたいだけなのか?
マックスは過去の出来事を知っているため、ジャックが人間を信頼出来るようになるのは難しいと思っていた。実際、養成所職員に対し攻撃的な態度を取ったりすることはなかったが、打ち解ける様子も見せなかった。
しかし、卒業してから六年も時が経っている。もしかしたら会わない間に心境に変化をもたらす何かがあったのだろうか?そうであって欲しいという期待を込めてマックスは訊いた。
「ジャックはデイジーに惚れているのか?」
「なにそれ、そんなわけないだろ」
呆れた顔であっさり否定されたマックスは、心底がっかりした。
ジャックにも愛すること、愛されること、心が満たされる多幸感を味わってもらいたいと思ったのだ。辛い過去があったからこそ、その時が今なら良かったのに残念でならない。
「僕はマックスと違う。魔女に惚れたりしないよ。だけど、望み通り呪いは解くよ。その方が都合が良さそうだ」
金色の瞳を緩めて笑ったジャックに対し、マックスは嫌な予感がして不安になった。




