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侍女の仕事

 仕事初日、いつもより早めに起きたデイジーは自室のカーテンを開けた。窓の外には噴水を中心に円を描くように植栽された美しい庭園が見える。


「おはよう、ジャック」


 ベッドの方に向かって声を掛けるが返事はない。もぞもぞと動いているようだが、瞼はなかなか開けられないようだ。


「ジャックは寝ててもいいよ。ロザンヌ殿下の身支度を手伝ったら、またここに戻るから」


 あの養成所で出会ってから六年という時が過ぎた。あまり自分の事を話したがらないジャックが、眠れない日々があったことを告白したのは、デイジーと一緒に暮らし始めて最初の冬だった。

 その日、屋敷では誕生日を祝うための料理が用意され、家族が揃ってデイジーが帰宅するのを待っていた。

 しかし、同級生に魔力の少なさを馬鹿にされ、泣きながら帰宅したデイジーは玄関扉を開けることが出来なかった。仕方なく濡らしたハンカチで腫れた瞼を冷やし、物置小屋に隠れていたのだが、すぐさま黒猫に見つかってしまった。

 当然泣いた理由を追及されたデイジーは、渋々学園で馬鹿にされたことを話した。すると、ジャックは躊躇(ためら)いがちにデイジーに訊いた。


「デイジー、君は今よりもっと多くの魔力が欲しい?」

「うん………空も飛べないし、蝋燭に火を灯せないのは嫌だよ」

「確かに豊富な魔力があれば今よりもっと出来ることが増えるよ。だけど代わりに失うものもある」

「失う?」

「――――僕はデイジーに会うまでずっと深く眠ることが出来なかったんだ。多すぎる魔力が身体の中で渦巻いて、熱くて熱くて眠れなかった。毎日浅く短い眠りを繰り返し、身体は悲鳴を上げているのに眠れない」

「………ずっとって、いつからなの?」

「大人になってからだよ。子供の時は魔力が少なかったから眠れたんだ」

「でも、今は」

「そう、今はデイジーに触れられる度に温かな魔力が僕の身体に流れるから、毎日ぐっすり眠れてる。それはデイジーの魔力が弱く霧雨のように静かに降り注ぐ性質のものだからだと思うんだ。すごく身体に馴染むんだよ」


 ジャックはそこで言葉を切り、(またた)く間に人型になった。そしてハンカチを握りしめたデイジーの手を両手で包むと、金色の瞳に気持ちを込めた。


「感謝してる…………デイジーだけが僕を助けることが出来たんだ。もっと自分の魔力に自信を持ちなよ」


 そうやってデイジーの魔力には価値があるし、多すぎる魔力は害があるのだと教えてくれたジャックの言葉に、更に泣いてしまったことは鮮明な記憶として刻まれた。

 だからこそ、夜はぐっすりと眠って欲しいし、朝の目覚めが悪い時は遅く起きてきてもかまわない。

 使用人がいないブレア家で育ったデイジーは、身の回りのことは一人で出来る。

 ジャックが必要となるのは、森に薬草を採りに行く時や町に買い物に行く時だ。森では野生の魔獣から、町では誘拐犯や強盗からデイジーを守るために護衛として使い魔契約を結んでいる。

 デイジーにとってジャックは家族同様であり、一緒にいてくれるだけで十分だった。


「じゃあ、行って来ます」


 デイジーはドアを静かに閉めた。






「洗顔用の水はぬるま湯を使いますので、(たらい)にはお湯と水を半々ずつ入れて下さい。タオルはこちらの棚に」


 クロエが王女の為に朝の準備を始め、デイジーは後ろを付いて回り、物の配置や手順を教えてもらっている。


「朝用の化粧水はこちらに。ブラシはこちら。朝食前に紅茶をお飲みになられるので、茶葉の準備をいたしましょう」

「はい」


 王女の部屋は二部屋ある。手前の部屋は日中を過ごすために使い、奥の部屋は寝室として使っている。

 クロエとデイジーは王女の睡眠を邪魔しないように、小声で会話をしていた。


「本日の予定なのですが、朝食後はロザンヌ様が庭園を散策されますので同行致します。その後は図書室に向かわれますので、やはり同行致します。そして昼食後、デイジー様にはダンスレッスンを受けていただきます」

「はっ、はい」


 デイジーは、ダンスレッスンという言葉に表情を固くした。

 もちろん、伯爵令嬢であるデイジーは踊れないわけではない。しかし、社交界デビューをしていないためダンスの相手はほとんど父、時々は兄という状況だ。王女代理としては心許ない経験値の低さで、正直不安しかない。

 とはいえ、舞踏会まで毎日レッスンを行い、王女に相応しいレベルまで持ち上げなくてならない。なんとか気持ちを奮い立たせて頑張らなくてはと思うデイジーだが、一つ大きな問題があった。


「おはよう」


 寝室のドアを開け、少し眠そうな顔をした王女が起きてきた。純白の寝衣が長い手足をゆったりと包んでいるが、豊満な胸は隠しきれない。肩から滑り落ちた蜂蜜色の巻き髪を片手で払う仕草は、大人の女性そのものだ。


『おはようございます』


 クロエとデイジーが声を揃えて挨拶をする。


「今日はいい天気ね」


 王女はレースのカーテン越しに見える空の色を見てふわりと微笑んだ。金茶色の瞳に光が当たり、琥珀のように煌めいた。


(女神様みたい。私、舞踏会ではこんなにも美しい王女様のふりをするのね………表情や仕草、歩き方だって私とは全然違うというのに、残りの十三日間でなんとかなるのかな………)


 目の前に立つ王女と自分を比べると、共通点が見つからない。見た目だけは魔法薬で完璧に再現出来るが、それ以外は努力なくして王女代理は勤まらない。

 デイジーは、頻繁に王子代理をこなしているオリバーを改めて尊敬した。観察力と再現力があり、堂々とした態度を崩さない精神力も持っているに違いない。


(ああ、それに身長差をどうしよう)


 王女はデイジーよりも十センチ以上背が高い。それは予想外であり、大きな問題だった。

[(ミラー)]を使用する際の注意事項に、他者と接触してはいけないとある。それは[(ミラー)]が服用した者の身体組織を作り変えるわけではなく、全方向に幻影を作り出す魔法薬だからだ。触られたら、自身の感触や大きさが相手に伝わり、見えている姿と一致しないことに気付かれるだろう。

 例えば王女に変身したデイジーが誰かと踊るとする。すると、相手に手を握られれば大きさが違うこと、肩に手を添えられたのならば空を切り手応えのなさに驚くこととなる。

 体格が似ていない王女のふりをしてダンスを踊るなど、そもそも無理な話なのだ。そして、幾度も[(ミラー)]を利用している王子とオリバーは、その不都合について理解しているはずだ。


(エドワード殿下はどうお考えなの?)


 デイジーがモヤモヤとした気持ちのまま王女の身支度を手伝い、ティーポットに茶葉を入れた時、扉をノックする音がした。


「おはようございます、ロザンヌ殿下。朝食をお持ちしました」


 若いメイドの声にクロエが返事をする。


「ご苦労様です。どうぞ、お入りになって」

「はい。失礼します」


 重厚な扉が開き、ワゴンを押してメイドが部屋に入ってきた。亜麻色の髪を一つにまとめ白いリボンを結んでいるメイドは目鼻立ちがはっきりとした美人だ。しかし、今は無表情で冷たい印象を受ける。

 メイドは会釈した後、窓際に向かい歩きだしたが、思わず漏らした王女の声に立ち止まった。


「あっ」


 何かに驚いたその声にクロエがいち早く動いた。メイドに近寄るとワゴンに手をかけ、微笑みながら退室を促した。


「アイラ、後は私がやりますから」


 メイドは戸惑いながらも「はい。では、よろしくお願いします」と部屋を出ていった。

 扉が閉まると、クロエは振り返って王女に訊いた。


「ロザンヌ様、久しぶりに()()()()()?」


 王女は小さく頷いた。


「ええ、()()()()()()。あの子、何かあったのね」


 デイジーは二人の顔を交互に見て察した。

 王女の金茶色の瞳が煌めいているのだ。それは魔力が働いたことを意味する。


(ロザンヌ殿下にはメイドの感情が見えたのね)

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