オリバーの心配事
「ジャック、起きて」
王城の一室、デイジーのベッドの上で眠っていた黒猫は、身体を揺さぶられて目を覚ました。
「ん」
黒猫はぐいーっと身体を伸ばしてから起き上がる。
「夕食の時間よ。食堂に行きましょう」
大きな姿見の前で身なりを整え、デイジーがジャックを手招きした。
「了解」
一人と一匹は部屋を出て食堂に向かう。
本来なら王族の食堂で王女に付き添い、その後で使用人の食堂で夕食をとるのだが、今日は免除されている。
王城では多くの使用人が働いているため、食事の時間は三回に分けられている。そして、デイジーは一回目の時間に食事をするようオリバーから言われていた。
王族の食堂は東側、使用人の食堂は西側にある。厨房もそれぞれに隣接しており、料理人も担当が決まっている。それは作る料理の内容が違うからだ。繊細な味付けと盛り付けを求められる王族向けと違って、使用人向けの料理は家庭的な味付けで量が多い。
「思ったより廊下を歩いている人が少ないね。食堂の場所はこっちでいいんだよね?」
窓の外には幾人かの衛兵か見えたが、廊下を歩いている人はほとんどいない。たまにメイドの姿が離れた場所に見えるたけだ。
多くの使用人が一斉に食堂に向かうと思っていたので、デイジーは場所を間違えたのかと心配になった。
「食堂は確かにこの方向だよ。食べ物の匂いがするから」
ジャックの言葉にひとまず安心するが、時間を間違えた可能性もある。初日から遅刻はしたくないと、思わず早歩きになるデイジーの耳に突如怒鳴り声が聞こえてきた。
「――――なんなのよっ!!」
突然のことに身体がビクッとして足が止まる。
声がしたのは窓の外だ。そっと左を向いて声の主を見ようとするが、メイド服を着た女性の背中しか見えない。
「悪いんだけど、仕事中だから話は後にしてくれない?今、忙しいんだよね」
庭木で見えないが男性もいるらしい。
「あっ、そう!じゃあ、手短に言うわ。モリーとも付き合ってるっていうのは本当なの!?」
「あぁ、そうかも」
「最っ低!!」
声とともにバシッ!と平手打ちしたと思われる音が響いた直後、女性は怒りのためか勢いよく走り去った。
デイジーは自分が叩かれたわけでもないのに、思わず片目をギュッとつぶった。
「デイジー、見なかったことにして食堂に行こう」
足元にいたジャックの言葉に無言で頷いたデイジーは、窓から視線を外そうとしたのだが、少し遅かった。
女性がいなくなったので、歩き出した男性とばっちり視線が合ってしまったのだ。
栗色の髪をした長身の男性はコックコートを着ていた。叩かれた頬をさすりながら、反対側の手をこちらに向けてひらひらと振っている。
デイジーはその神経の図太さが信じられなかった。なので、思いっきり無視することにした。
「行こう、ジャック」
真っ直ぐ前を向き、食堂に向かって歩いていく。
「お城のご飯ってどんなものが出てくるんだろうね」
「チャーリーの料理より美味しいことを祈るよ」
「ええ?チャーリーの料理はいつも美味しいよ」
「デイジーは味覚が子供なんだよ。なんかぼんやりした味付けが多いから、もっと濃い味の物が食べたい」
チャーリーは伯爵夫人である母の使い魔で、主に家事を担当している。料理の味付けに関しては、母及びデイジーの好みに寄せているため塩辛いものは作らない。
「あ、ここだ。ちゃんと看板がかかってる」
廊下の突き当たりにある扉の上には【西食堂】という金属プレートが打ち付けられていた。
少しドキドキしながら扉を開けると、多くの長テーブルが整然と並べられた広い空間があった。人はまばらに座っており、予想とは違って混雑などしていなかった。
「デイジー、こちらへ」
食堂の奥から声をかけられた。
近衛騎士達が座っている一角から立ち上がり、こちらを見ているのはオリバーだ。
(名前が呼び捨て!)
部屋に案内される際、しばらく雇われの身なので敬称も敬語もいらないとオリバーに告げたのだが、実際呼ばれると衝撃が大きい。デイジーは、思わず胸に手をあて小さく息を吸い込んだ。
足元を歩くジャックはそれを見て、やれやれというように頭を軽く左右に振った。
「お疲れ様です、オリバー様」
「ゆっくり休めたかな?」
「はい、おかげ様でゆっくり出来ました」
「何か足りないものはなかった?」
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「それなら良かった。食事は奥のカウンターで受け取ることになってるんだけど」
食堂奥を指さしたオリバーの視線が斜め下に動いた。そこには同じ顔をした二人の騎士がいかにも興味津々といった様子でこちらを見ている。
「――――デイジー、食事の前に後輩を紹介させてもらってもいいかな?」
「あっ、はい、お願いします」
デイジーの返事を聞いて、待ってましたとばかりに騎士二人が立ち上がった。彼らは焦げ茶色の髪に葡萄色の瞳をしており、優しそうな顔立ちは全く同じに見えた。聞くまでもなく双子だろう。肌艶の良さからかなり若いと思われるが、オリバーよりも背が高く逞しい体格をしていた。
「こちら次の舞踏会までの期間、臨時で働いてもらうことになったデイジー嬢だ。ロザンヌ殿下の侍女として城に滞在する」
デイジーはドレスをつまみ、膝を曲げて挨拶をした。
「デイジーと申します。よろしくお願いします」
続けてオリバーは、足元の黒猫の紹介もする。
「こちらは魔術師である彼女の使い魔ジャックだ。しばらくは不慣れな城での生活に困ることがあるかもしれないから、二人とも手助けを頼むよ」
ロザンヌ殿下にクロエ以外の侍女が仕えるのは、随分と久しぶりのことだ。王女に奇異な魔力があることは公にされていないため、周りに人を置きたがらないのは人見知り、あるいは人間嫌いによるものと多くの人々が思っていた。
それなのに突然現れた小さな女の子が侍女になるという。しかも、使い魔の黒猫を伴った魔術師だ。噂好きなご令嬢達でなくとも気になるだろう。
そもそも魔女は希少であり、なかなか出会えるものではない。彼らの知っている魔女と言えば養成所所長のイザベラだけなのだが、彼女は「氷結の魔女」と呼ばれ、気安く話しかけられる存在ではない。
しかし、今目の前にいるのは可愛らしい少女と黒猫だ。身構えることなく話すことが出来る。
「かわいらしい小さな魔女さん、トーマスだ、よろしく」
「俺は弟のハリー。見ての通り俺達は双子なんだ。短い間だけどよろしくね」
「それにしても本当に小さいね。何歳?」
トーマスの問いに対し、デイジーは十八歳だと素直に答えそうになったが、王子から年齢について言われたことを思い出した。
(あっ、十五歳ということにしようって言われてたんだった)
理由は聞いていないが、その方が都合がいいのだろうと、言われた通り嘘の答えを口にする。
「十五歳です」
「おおっ、来年は社交界デビューだね。その前に行儀見習いとして王城に来たの?」
今度はハリーからの質問だ。
「はい、そうなんです」
「どこのご令嬢なの?女の子で魔力があるのは珍しいよね。魔法学園には通ってたのかな?」
再びトーマスから質問され、デイジーは言い淀む。
「ええと………」
その質問に答えたら、年齢詐称がバレてしまうのではと思ったからだ。
まず、伯爵であるブレア家の娘が何歳なのか、誰も知らないのだろうか?言っていいものか悩む。
次に、魔法学園のことは絶対に言ってはダメだろう。同じ年代の魔術師にデイジーを知っているかと尋ねれば、「飛べない魔女」という不名誉な呼び名とともに素性がバレることは確定だ。
王子の要望があるため、王城にいる間だけは十五歳にしておきたいデイジーは上手い返答が思いつかない。
すると、隣に立つオリバーが双子に忠告をしてくれた。
「お前達、初対面の女性に次々と質問するのはどうかと思うな。まず、自分のことを知ってもらってからじゃないのか?」
オリバーの言葉にハッとした顔をした双子は即座に謝った。
「すみません、おっしゃる通りです」
ぴったり重なった双子の声に、オリバーは小さく頷き更に問いかけた。
「デイジーともう少し話したいなら、まず最初に何をしようか?」
双子は葡萄色の瞳を見合せると、兄のトーマスが椅子を引き、弟のハリーは一歩下がった。
「デイジー嬢、大変失礼しました。どうぞ、お掛けください」
トーマスの言葉使いが丁寧なものに変わった。
「ありがとうございます」
デイジーはいつも見た目の幼さから成人女性として扱われることが少ない。だいたい子供に接する時のような対応をされるのだ。
しかし、オリバーは違う。一人の女性として扱ってくれる。それがデイジーにとってはとても嬉しかった。今も後輩の対応を改めさせてくれたことに、彼らしい配慮だとデイジーは感じていた。
(やっぱりオリバー様は素敵だわ)
オリバーの顔を見て微笑んだデイジーは、薦められるまま座席に着こうとしたのだが、背後から腕を掴まれ足が止まってしまった。
「その場所は遠慮するよ。見物人が多すぎて落ち着かないからさ」
いつの間にか人型になったジャックが背後にいたのだ。
ジャックは、近くの座席にいる人々をぐるりと見回した。見慣れない少女と元黒猫の少年が気になるらしく、幾人かがちらちらと自分達を見ている。
「デイジー、向こうに座ろう。そういうことだから、親睦会はまた今度にしてくれ、オリバー」
「えっ、ちょっと」
デイジーは腕を掴まれたまま、食堂の隅に引っ張られていった。
双子の騎士は、そんな二人の背中を唖然とした様子で見ていた。彼らは魔獣が人型に変身出来ることを知っていたが、実際に見たのは今回が初めてだった。だからこそすぐに言葉が出ないほどに驚いている。まさか瞬きをするほど短い時間で人型になれるとは思いもよらなかったのだ。
「やっぱりダメか」
双子の隣に立つオリバーは、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
彼にとっては予想通りの展開なのだが、残念な気持ちは隠せない。オリバーとしては十八歳になるデイジーの交友関係があまりにも狭いことを心配しており、城に滞在している間に新しい友人が出来ればいいと思っていた。
その一端を担えればと近衛騎士の中で一番若い双子の騎士、トーマスとハリーを紹介したのだが、二人はジャックの一次審査を通過出来なかったようだ。
過保護なのか、独占欲なのか、ジャックはデイジーの周りの人間を厳選している。それは彼女にとっていいことだとは思えない。オリバーは嘆息し、気持ちを切り替えた。
(まあ、今日は初日だから仕方ないか)




