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デイジーの魔力

「卒業おめでとう」


 養成所所長イザベラ・フランは壇上でジャックにピンバッジを渡した。それは卒業した証であり、今後は身分証明書の役割を果たすものだ。

 グレーがかった髪を結い上げ、黒いドレスを纏った五十代のイザベラは幾度も卒業式の壇上に立っていた。細身だが鍛えられた身体と潤沢な魔力のおかげで、今も国内最強の魔女と言われている。


「今後の活躍を期待してますわよ、ジャック」


 今年度の卒業生の中で群を抜いた才能を持つジャックに、イザベラは期待と不安を抱いていた。

 膨大な魔力は諸刃の剣だ。使い方次第で国に貢献する者となるか、脅かす者となるか道が分かれる。教えるべきことは教えた。そしてピンバッジには緊急時用の魔法もかけられている。きっと大丈夫だとイザベラは自分に言い聞かせた。

 しかし、そんな彼女の心配など知る由もないジャックは、受け取ったピンバッジを襟元に着けて「ありがとうございます」と短いお礼の言葉を述べると、さっさと座席に戻った。


 今年度の卒業生は二十名、次々と壇上でピンバッジを受け取る様を後方に座る魔術師達は真剣な目で見ていた。

 まずは完璧な人型であるかどうか、瞳の色、体格、立ち居振舞い、外見から分かることも多いため事前チェックは欠かせない。誰に交渉すべきか、今のうちに決めなければ卒業式後に行われる使い魔契約の儀式で出遅れてしまう。

 不完全な人型の魔獣は魔力が豊かとは言えない。逆に瞳の色が金色に近いほど魔力が豊かだ。また体格は戦闘能力に優れているかどうかの基準になるし、立ち居振舞いは社交界の中でも違和感なく溶け込めるかどうかが分かる。

 ジャックはどうかというと、まず完璧な人型、金色の瞳、立ち居振舞いも問題なし、ただし見た目は十四、五歳にしか見えない細身で小柄な少年であり、力業(ちからわざ)には向いていない。

 しかし、体格では他者より劣るものの本来なら魔術師が怯むほどの魔力を身に纏い、注目の的となるはずだった。それなのに卒業式の中盤あたりから体調が悪くなり、魔力がいつもより弱まっている。


(くそっ!なんでこんな大事な時に)


 卒業式が終了すれば休憩を挟み、使い魔契約の儀式が始まる。魔術師と向かい合い交渉しなくてはならないのに、青ざめた顔で目の前に立つ訳にはいかない。

 ジャックは閉会の言葉が発せられるまで気力で平静を装った。しかし、身体中の血が下がっていくような感覚に耐えられず、休憩時間に入るとともに建物の裏手に回り人型を解いた。

 猫の姿になると幾分身体が楽になったが、こんなところを魔術師に見られたら己の価値が下がってしまう。弱った身体にはきついが小さな結界を張り、他者から見えないようにした。

 ジャックは枯れた芝生の上に横たわり、大きく身体を伸ばして力を抜いた。無防備で危険な体勢だが仕方ない。ゆっくりと深呼吸して目を閉じる。


(少しだけ休もう。すぐに回復するはずだ)


 ひんやりとした芝生の感触に心地よさを感じながら頭の中で数を数える。百まで数えたら目を開けようと決めて。


(一、二、三…………二十一、二十二………)


 けれど、八十を過ぎたところで誰かの視線を感じ、慌てて目を開けた。


「猫ちゃん、具合が悪いの?大丈夫?」


 若草色の瞳が自分を覗きこむように見ていて、心底驚いた。今朝、寮の前で会った飛べない魔女が膝をつき、心配そうに眉を寄せていたのだ。


「どうして!?結界張ってたのに」


 ジャックは思わず飛び起きてバランスを崩し、グラリと身体が傾いた。すると、少女の手がさっと伸びてきて身体を支えられた。


「あっ、ごめんなさい。猫じゃなかったのね、もしかして卒業生?」

「そうだよ、それより僕の結界は?」

「結界?弾かれたりしなかったけど」

「おかしいな、立ち入りも視界も遮断してたのに」

「どうしてかな?」


 首を傾げた少女をジャックはしげしげと観察した。幼い顔立ちをしているが魔獣と契約出来るのは十二歳以上だ。着ている紺色のドレスは絹で、繊細なデザインの金のネックレスには真珠も付けられている。


(どう見ても裕福な貴族の子だ。わざわざ山を登ってまでご令嬢に使い魔なんて必要か?まさか遊び相手とかじゃないよな?)


「とりあえず、僕から手を離してくれる?触られるの嫌なんだけど」


 少し目を細めて迷惑そうにジャックが言うと、少女は脇腹に触れていた手をパッと離した。


「ごめんなさい。でも、出来たらもう少し触りたいんだけどダメかな」

「は!?」


 ジャックは後ろに一歩下がり、蔑んだ目で少女を見た。

 すると、少女は自分の言い方に問題があったことに気付き、慌てて両手を左右に振った。


「ちっ、違うの!変な意味で言ったんじゃないの!あなたの身体が異常に熱いから治してあげたかっただけで」

「治す?君が?無理だよ、魔力が底辺だろ?」

「底辺……ひどい、間違ってないけど」


 率直すぎる言葉に眉を寄せた少女だが、一呼吸するとパッと表情を変えた。


「でも安心して。私はデイジー・ブレア、先祖代々魔法薬を作り続けているブレア伯爵家の娘よ。物心ついた頃から薬草を扱っているわ。それに私の魔力には癒しの力があるの。試してみない?」


 芝生に膝をついたまま、胸に手を当て自信ありげに魔女は言う。

 長年体調不良に悩まされていたジャックは、どうせダメだろうと思う半面、この小さな魔女の力を試すのも悪くないとも思った。


「わかった。いいよ、触っても」


 ジャックの言葉に大きく頷いたデイジーは両手を伸ばした。呪文を唱えながら、頭を包み込むように置いた手から魔力を流し込む。それは、身体を伝い足元へと流れ落ちていく。すると、ぬるま湯のようにじんわりと温かいものが体内に染み込んでいくのを感じた。前に所長にかけられた治癒魔法とは性質が違うようだ。


「どうかな?」


 頭上の声にジャックは小さな声で答えた。


「いいかもしれない」

「良かった。じゃあ、もう少し魔力を流すね」


 デイジーは手の位置を変え、背中から更に魔力を流した。先程と同じようにじんわりとした温かさが伝わる。その温かさは波紋を描くように範囲を広げていく。心地よい温度にジャックは眠気を感じてきた。


(これ、やばいな………よく知らない人間の前で寝そうだ)


 結界は張っているが、デイジーはそれを越えて来ている。安全とは言いがたいこの状況で寝てしまうことに抵抗はあった。けれど、そんなことはだんだんどうでもいい気もしてくる。この温かさに包まれて眠りたい。


「回復薬も持ってるんだけど、試してみる?」

「いらない」


 いくらなんでも今日出会ったばかりの魔女が作った薬など飲めるはずもない。ジャックはぼんやりとした意識の中、かろうじて身を守る判断をした。しかし、ずっとまともな睡眠を取れなかったため、眠気を我慢するのは難しかった。心はダメだと言っているのに、瞼が下がるのを止められない。身体は眠ることを求めていた。


(ああ、もうダメだ。眠い………)


 小さな魔女に見守られながら、ジャックはとうとう眠りに落ちた。






 ジャックが目を覚ましたのは、使い魔契約の儀式が始まる案内の声だった。


「大変お待たせしました。会場の準備が整いましたので、皆様館内にお戻り下さい」


 係員の声は魔法の力で風に乗り、養成所の敷地内全てに響いている。

 その声にハッとして目を開けると、デイジーが会場入り口の方を見ていた。魔術師や卒業生が次々と中に入っていく。


「あ、良かった。目が覚めたのね。もう儀式が始まるみたいよ。体調はどう?人型に戻れそう?」

「ああ、大丈夫そうだよ」


 眠れたおかげで、少し前まで全身が鉛のように重かったのに、今は頭がすっきりとしていて身体も軽い。ジャックは目を閉じて、自分の魔力を体内に巡らせ人型になった。


「あっ!朝の魔獣さん!」


 デイジーはやっと黒猫が今朝の魔獣だということに気がついた。

 ジャックは妙な呼び方にふっと笑い、名乗ることにした。


「僕の名前はジャックだよ。ありがとう、デイジー。身体がすごく楽になった。君の治癒魔法はすごいね」


 お礼を言われたデイジーは驚いたような顔をし、すぐに下を向いた。


「いえ、あの、効果があって良かったです。私も今朝、助けていただいたし」


 うつむいたデイジーの耳は真っ赤だった。面と向かって誉められたことが、あまり無いのかもしれない。


「僕は魔力が少ないっていうのは欠点でしかないと思ってたんだけど、デイジーはそれを上手く利用してる。そうやって自分の能力を最大限に生かせるのはいい魔術師の証拠だよ」


 思いがけないジャックの言葉に、デイジーは顔を上げた。


「そんなことを言われたのは初めてです」


 驚愕の表情をしていたので、やっぱり誉められることに慣れていないんだと確信した。それは今まで周りの人間達が、この子の良さに気付いていなかったことを意味する。魔力が弱いことを利用しようだなんて、誰も考えなかったのだろう。


(魔獣は強い魔術師との契約を望むから、他の奴らがこの子と交渉することはないはず。僕が名乗り出れば)

 

「おーい!ジャック!早く来いよ、首席は一番前に並ぶんだぞ!」


 会場入り口から身を乗り出すようにしてマックスが叫んでいる。


(マックス!お前、間が悪すぎるんだよ!これから自分を売り込もうとしてたのに!)


 ジャックはどんな好条件を提示されようとも、もう他の魔術師と契約する気は微塵もなかった。この小さな魔女が魔獣に何を求めているのか分からない。けれど、安眠が得られるのなら何でもしよう。幸い自分には豊かな魔力がある。大抵のことはやれるだろう。ジャックはそう決意して使い魔契約の儀式に臨んだ。

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