魔女デイジー
先祖代々続く魔女の一族ブレア家。長女のデイジーは箒で空を飛ぶことが出来ないし、呪文を唱えて魔法を使うのも苦手だ。けれど彼女には一族自慢の魔法薬作りの才能があった。これさえ出来れば、食うに困ることはないだろうと両親に言われているが本人は少し不満らしい。
デイジーの住む屋敷は森の奥にある。なぜなら魔法薬の材料のほとんどが森にあるからだ。実に都合がよい。
古い屋敷の東側にあるキッチンでは今日も大鍋が火にかけられている。
魔法薬の作り方はいたってシンプル。薬草や、木の実、干した茸に木の根っこ、最後に掌をかざして魔力を注いでグツグツ煮込むだけ。魔法薬は作り方ではなく配合比率が難しいのだ。
今年十八歳になるデイジーの身長は少し低い。しかも丸顔で幼い顔立ちをしており、実年齢より下に見られることが多かった。
ふんわりとした赤茶色の髪を一つにまとめ大鍋の中を覗き込むと、デイジーは仕上がりを確認するためにスプーンを鍋に入れてひと匙すくい口に入れた。
「苦っ!」
分かっているのに思わず声に出してしまう。
デイジーは蜂蜜を鍋に入れ蓋をすると火を消した。
キッチンは午前中しか陽が当たらないので、デイジーはいつも早朝に魔法薬を作ることにしている。
「デイジー、仕事終わった?僕、お腹空いたんだけど」
キッチンの入り口に黒猫が一匹やってきた。尻尾で床をパタパタさせながらご飯をねだる。
「もうちょっとで終わるから、ミルク飲んで待っててよ」
棚から小皿を出しつつデイジーは黒猫に言った。
「仕方ないなぁ。でも急いで仕事終わらせてよ」
「はいはい、急ぎます」
黒猫はテーブルの上にすたんっ!と飛び乗り、ミルクを飲み始めた。艶やかな黒い毛並みを持ち、瞳の色は金色、人間の言葉を話すこの猫はデイジーの使い魔ジャックだ。
デイジーは棚からガラス瓶を十本ほど出すと、鍋の中身を次々と注いでいく。焦げ茶色の液体はまだ熱く湯気を立てている。あら熱をとったら一ヶ月ほど寝かせて薬は完成だ。
チリン、チリン。
来客を知らせる鈴が鳴った。
(あっ、オリバー様だわ)
デイジーはキッチンの床を踵でコン、コンっと二回蹴る。すると、床板に扉が現れた。
魔法で隠した床下収納には、貴重な秘薬が数本しまわれている。デイジーがその中の一本を取り上げ、再び床を二回蹴る。扉は再び消え去り秘薬を隠した。
毎月、同じ日時に秘薬を買いに来る客がいる。デイジーは呼び鈴の音で相手も要望も分かっているので、準備してから玄関に向かう。
髪と襟元のリボンを整え扉を開けると、そこには輝く笑顔が待っていた。
「おはよう、デイジー嬢」
優しそうな菫色の瞳に艶やかな蜂蜜色の髪を持つ美しい青年に名前を呼ばれたが、デイジーにはまったく見覚えがない。
「――――えっと、あのどちら様でしょうか?」
いつも来る人ではない。全くの初対面だ。勝手に常連客だと思って扉を開けたので、挨拶よりも先に疑問が口をついて出た。
「驚かせて申し訳ない。私はエドワード・グレイ。いつもはオリバーをこちらに寄越しているのだが、今日は訳あって私が来たんだ」
ニコニコと愛想よく事情を説明する彼の言葉に、デイジーは表情を固くした。
(今、エドワード・グレイって言った?オリバー様を使いに出してるってことは、まさか本物の王子様!?)
常連客のオリバーは精悍な顔立ちをした近衛騎士で、デイジーが毎月会えるのを楽しみにしている憧れの人だ。
(王子様が自ら魔法薬を受け取りに?いや、いや、まさか、お伴も連れず一人でこんな辺鄙な場所に来るなんて!だけど、名前を騙る偽物にも………見えないわね)
「あの、デイジー嬢?」
自分が名乗ったとたん黙り込んでしまったデイジーの様子を見たエドワードは気遣わしげに眉を寄せた。
それから何か思い付いたような顔で、左手をデイジーに見せた。
その手の中指には三日月が刻まれた金の指輪が嵌まっている。それは王家の紋章と同じものだ。
「これで信じてもらえるかな?」
そんな彼の声にハッとしたデイジーは姿勢を正し、小さく息を吸い込むとスカートをつまみ慌ててお辞儀をした。
「おはようございます、エドワード殿下。お会い出来て光栄でございます。まさかこのような森の奥までいらっしゃるとは思わず、大変失礼しました」
「いや、こちらこそ突然来てしまってすまない。今回はデイジー嬢に相談したいことがあり、私が来たのだが………どうしたものか、まさかこんなに小さなお嬢さんだとは。オリバーも何故、私に言わなかったのか」
少し困り顔の王子は目の前にいる少女を見下ろした。デイジーは確かに小柄だが、王子の身長が平均よりもだいぶ高いため二人の身長差はかなり大きく、頭二つ分は違っている。
(――――小さなお嬢さんって、これはやっぱり勘違いされてるわよね)
「あの、エドワード殿下、私に相談というのは?父にではなく本当に私でよろしいのですか?」
デイジーの問いに、王子は表情を変えた。目の前にいるのが例え小さな少女だとしても用件は変わらない。
「そう、私は君に相談したい」
王子はデイジーの若草色の瞳をまっすぐ見て、力強く告げた。