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短編小説

バトル書きたかっただけ

作者: 虹色 七音

「遊ぶ金欲しさに、殺してやるよ」

 そう言って男は隙のない姿勢でナイフを構える。豪奢な外套を纏った女の高級な布に隠された首筋を、月の光のような冷たい煌きが睨んでいた。典型的な強盗殺人の現場だ。富裕層の住まう地域と労働階級の住宅街の境界に位置するこの辺りでは、それほど珍しい光景でもなかった。

 女の纏う外套は夜気を吸って変色したように紫染し、鈍い金色の模様と星空の様に調和している。頭から足まで覆うそれの内側からは、同じような配色の美麗な衣装が見え隠れしている。女は男にどうすればいいのか戸惑っているのか、外套の中に手をしまったまま動かない。

 抵抗しなさそうだと見た男は、重心を前へ移して女へと斬りかかる。

「死ね!」

「……」

 男が目前にまで迫ってきて、女はようやく震えたように動く。迫ってくる刃に対して外套から腕を振り抜こうとする。しかし女の腕が振り抜かれるよりも早く、暗い夜道で血しぶきが舞った。

 首と身体が別々に地に落ち、血に汚れたナイフが無様に落ちた。

「きゃ」

 女は素早い反応を見せて後ろに下がり、血を一滴も被らなかった。先ほどまで男にナイフを向けられて動けないでいた女と同一人物だとは思えないような身のこなしだった。

 先程まで自分に殺意を向けていた男が意志持たぬ死体となったのを見下ろして、女は面倒くさそうに溜息を吐く。

「なにをするのよ、コクロウ。私を狙ってきてくれたのよ、私の獲物だわ」

「……」

 コクロウと呼ばれた、たった今短剣で男の首を切った謎の男は、数瞬の逡巡を挟んでしぶしぶ口を開く。

「しかしリディお嬢様、万が一あなたが傷を負えば私共の首が飛びます」

「あなたの首など知ったことじゃないわ」

 リディと呼ばれた高貴な女はぴしゃりと言い放つ。「それと、」と付け加え、振り抜かないまま外套に収まっていた右腕をコクロウへ向けて鋭く振り抜く。右手に握られた鋭い刃がコクロウに牙を晒す。

「本名で呼ぶな愚か者め!」

 刃はコクロウが全身に纏う黒衣を貫き、薄肌を破いて微かに血を流させている。

 リディの握っている得物は夜気を吸ったような紫色の鉄扇だ。東洋の風情を感じさせる装丁は外套のそれと似通っていて、同系の作品だと見て取れる。鉄扇は本来斬撃武器として優れているものでは決してないはずだが、リディのもつそれは一級の騎士剣と比べても勝るほどの鋭さを持っていた。紛うことなき魔の領域の獲物である。

 主の夜気を張り付かせる声にコクロウは喉を震わせた。

「……申し訳ありません。武器をお下ろしくださいませ、お嬢様」

「分かってませんわね。今の私をお嬢様だと認めるなと言っているのよ。今の私はミルティ……単なる不詳の美女。もし万が一にでも身分ある身だとバレてごらんなさい、あなたは骨も残らないわよ」

「……」

 リディの言葉に、コクロウは静かに頷く。恭順の意思を感じさせる恐れているような動きだ。そんなコクロウをリディは目を冷たい色にして見下しながらわざとらしく溜息を吐く。どこともなく棘のある行動だ。

「まったく。重ね重ね無能ね。付いてくるならアリーシャがよかったわ」

「……っ」

 コクロウは怒りで動揺を表しかける。体が刺激された獣のように小刻みに震えていた。

 アリーシャとはコクロウと同じように、リディに仕える護衛や汚れ仕事から生活の世話までもをこなす召使だ。コクロウにとっては同僚であるが、同時に目の敵にしている相手でもあった。どこか抜けた雰囲気でリディに対しても礼を欠いた態度が目立つ彼女が、愛してやまないリディから気に入られているということが、なによりも気に食わないのだ。

 怒りに震えるコクロウを虫でも見るようにリディは見下す。

「すぐ感情に揺らされて、冷静なんか気取っているくせに脆いもの。アリーシャとはまるで真逆だわ。本当に無能ね。不快だからさっさと下がりなさい」

「……はい」

 コクロウは苦々しく答えると溶けるように闇へと消えた。首と体の離れた男の死体とリディだけが、静寂な夜道の中に残される。重苦しく繊細な夜気は、リディのはく微かな息にさえ敏感に反応して震えた。

 リディの一挙手一投足が夜闇へと溶ける。リディは夜道を再び歩き始める。

 それを呼び止める声が虚空から響く。細く鋭い、リディ以外には聞こえない声だ。

「リディ様、お足元の凶漢はいかがいたしましょう」

「ジジか」

 古木から漏れているような皴の入った声にリディはそう呟いて反応する。

「放っておきなさい。大した話題にはならないでしょう」

「ジジは多少なり話題になるだろうと愚考いたします」

「今回ばかりはジジも冗談抜きの愚考をしたわね。コクロウなら傷跡から殺し主を特定されるような下手なやり方はしていないでしょう。わざわざ処理する方が怪しいものが残る可能性が高まるわ」

 民間の軍警にも錬金科学の発達が随分な技術を及ぼしており、傷跡から武器や殺害者の癖を読み取る能力がある。しかしリディの言うとおり、コクロウが切り落とした首からはそれを察知させないような工夫が施してあった。軍警がどれだけ調べても、コクロウの癖はおろかコクロウの実力すら読み取れず、手斧か何かで切り落としたと錯覚してしまうことだろう。

 そしてその程度の、殺すだけならできるという程度の護衛なら、ここらを歩いていても違和感のない程度の富裕者が連れ歩いていてもおかしいことはなにも無い。

「失礼しました。では、死体はそのままに」

 その言葉を最後に、リディにだけ届いていた声は存在していたことすら疑わしくなるほど何も残さずに虚空へと再び消える。しかしリディが「ルールー」と小さく呼びかけると闇からにじみ出たように突然男が現れる。

 不気味なほど高身長で、誠実そうな顔の中にどことない胡散臭さを湛えた男であった。正装としても成立するような服装ではあったが、夜に紛れる黒い衣装をまとっている。足はリディの腰ほどまであるような長さだったが、リディに合わせた小さな歩幅でリディのとなりについて歩く。

「相変わらず胡散くさい顔してるわね。見てると自然に身を引きたくなるわ」

「ミルティ様ほどじゃあありませんよ」

「あら、失礼ね。殺してやろうかしら」

「それで、なにようですか」

 リディは無言でルールーへと紙切れを渡す。

 ルールーもそれはなにかと尋ねる程の愚か者ではない。即座に開いて目を通す。リディから続けて渡されたオイルライターを使って紙切れに火を点ける。闇色一色だった夜道に、温かい橙色が現れて照らした。

 ちらちらと外套の中のリディの顔が光に照らされる。一部分だけしかうつらないが、美しく純朴そうな娘の顔であることがその一部分からもはっきりと見て取れた。リディの辛辣で棘のある口調とはよくも悪くも少しずれているような印象だろう。

「分かったわね」

「相変わらずミルティ様が気狂いだということくらいは」

「なら十分ね」

 リディがルールーが渡した紙に書いてあったのはリディのミルティとしての、次の計画であった。

 ほとんど屋敷から出てこない深窓の令嬢という顔を持っていたリディが新しくミルティという顔を手に入れたのには確固たる目的があったからだ。紙切れに書かれていたのはその目的を果たすための計画だ。

「こんなことをする必要があるんですかね。あなた様……ミルティ様ではなく他でもないあなた様なら……このようなことをしなくても『あの目的』は果たせますでしょうに」

「それじゃ相当困難になるわ」

「だとしても、ミルティ計画の完全達成よりは容易でしょう」

 リディはルールーを嘲笑するように息を吹く。

「分かってないわね。ことわざでも言うでしょう、『豚は太らせてから食え』と」

「……ま、言わんとすることは分かりますが。しかし難易度をいや増しにさせてしまうことも事実でしょうに」

「関係ないわね」

 リディはそう言って、月明かりの元で頭から外套を下ろし顔を晒す。月光に照らされた顔は美しくも怪しい。リディはうすら怪しく微笑む。

 その微笑みはまるで、未来を呑み込み下すようだ。

 次に達成しようとしている計画も、その先にあるミルティ計画達成という未来も、さらにその先にある『その目的』さえも、全ての未来を舌の上にのせているかのように怪しく微笑んでいる。

 ルールーは聞こえるように呟く。

「まったく。怖い人だ」

「あら、こんな美しい女にその言い草はなによ」

「美しいことは否定しませんよ」

 ルールーは首を振ってそう言った。

「前を向きすぎてるあなたが、怖い」

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