レイテ沖海戦7
昭和19年、西暦1943年10月25日レイテ沖海戦は終わった。栗田艦隊は反転したものの西村艦隊、志摩艦隊はレイテ沖の米輸送船団に突入、輸送船を蹂躙した。揚陸中の補給物資、武器弾薬そして米陸軍兵数万人が戦死した。米軍の太平洋戦争最大の失策となった。
西村艦隊も志摩艦隊も生き残りはいなかった。全て米機動部隊に撃沈された。更に小沢第一機動艦隊も空母の全てを失った。
日本軍は初めて戦術的勝利ではなく戦略的勝利も手に入れた。しかし、日本軍はこの戦いに対する評価をあまりにはき違えていた。日本軍の戦果報告では、撃沈 空母8隻、巡洋艦3隻、駆逐艦3隻、輸送船100隻以上。撃破 空母7隻、戦艦1隻、巡洋艦2隻。撃墜約500機と発表した。戦果の誤認…もう現実とあまりにかけ離れていて、もうどうしようもない。
史実でもこれは同じだった。敗戦を逆に大勝利と勘違いしたのである。如何に日本軍の情報能力と冷静さが低かったかがわかる話だ。そして何より、精神論ばかりで突き進んだ結果がこれだ。冷静さや客観性が欠けたこの戦果報告は、戦争継続へと日本を走らせた。
僕は連合艦隊司令部に呼ばれた。この頃、連合艦隊司令部は既に陸にあがっていた。場所は神奈川県日吉だ。この世界では軽巡洋艦大淀に司令部を移設する事も無く、ソロモン海海戦後に変更になっていた。発案者は僕だ。既に大戦に突入する前から司令部が海上にあるべきか? 陸にあるべきか? という論議はあった。米軍は大戦前からサンディエゴに司令部をおいており、米軍の方が合理的だった。日本軍が司令部を戦艦等最前線の戦艦においたのは、安全な後方から指揮をするのだなど…という精神的な理由からだ。勝つためにはむしろ邪魔な思想だ。指揮官が一番被弾しやすい先頭艦に座上してどうするのか? という単純な論理もこの時代の日本人は理解できなかった。それに比べて如何に米軍が合理主義だったかがわかる。
連合艦隊司令部で、盛大に喧嘩した。豊田司令から呼び出されたものの参謀長草鹿少将と激論になった。
「貴様は腰抜けか? 西村司令からもらった命を帝国の為に使えんというのか?」
「既に日本は負けています。米軍は2か月に1隻正規空母を量産し、毎週護衛空母を竣工させています。日本はどうなんですか? 既に燃料も軍事物資も内地には届いていないのでしょう」
「そんなもの、工夫でなんとかする! レイテで尊い命を国の為に差し出した者がいるのだぞ。西村提督もだ。死を決意してなお敵輸送艦隊に突撃した猛将だ。彼らの御霊に何と言うつもりなんだ?」
「死んだら、終わりです。貴方こそ、何故あんな作戦とも呼べない玉砕命令を出したんですか? おかしいでしょう? 戦いに死はつきものです。しかし、必ず死ぬとわかっている処に送り出す作戦が作戦と言えるのですか? もう日本は戦う燃料も資源もない。何処に空母があるのですか? いや、空母があっても艦載機がないでしょう? 貴方達が台湾で消耗させてしまった。何処に戦う力があるのですか?」
「不知火大尉、それ位にしておけ。フィリピン沖(レイテ沖)で勝ったばかりなのに、君は一体何を言っているのかね? 勝ち戦をだしに講和を進めるという意見ならわかる。だが、君のいい様だとまるで無条件降伏するしかない様にしか聞こえない」
「ですから、無条件降伏をするのです。そうすれば、たくさんの日本人の命が助かる。フィリピンでやったのでしょう? 特別攻撃隊を!」
「貴様、何故知っている? 機密事項だ」
「僕は他のこの世界そっくりの未来から来た人間だ。貴方達ならやると思っただけです。やはり実行したのですか? 大西瀧治郎中将の発令でしょう。彼は戦後腹を切りますよ」
「貴様!」
「栗田艦隊は謎の反転をした。戦後最大の謎として、そして臆病者として揶揄されます」
「貴様、栗田中将は敵空母を撃破した英雄だぞ! それを臆病者だと? 臆病者は貴様だろう? 魔法兵という尋常ならざる兵をもちながら貴様は…」
僕は草加少将を睨んだ。だが、いがみ合いに終止符をうったのは、豊田司令だった。
「ここは軍隊だ。戦う意思のない者は処分するしかない」
「しかし、司令、悔しいがこやつの魔法兵の威力はソロモンでの阿部中将からもフィリピンでの西村司令からの報告で明らかです」
「臆病者に用はない。憲兵を呼べ、栗田中将を中傷した罪は大きい、軍人としても資質に欠ける。軍事裁判にかけ処分する」
「くっ…」
僕の負けだった。この人達を説得する事はできなかった。
こうして僕は憲兵に連れられて行った。そして、帝国海軍に復帰する事は二度となかった。
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