008 放課後デート(ただ日用品を買いに行くだけ)編③
出足は順調だったと思う。
悩みに悩みぬいた上で選んだ服を着て、朱莉は緊張しながら貴明の住む部屋のインターホンを鳴らした。
朱莉を迎え入れた貴明はほんの少しの驚きを見せた後、
「そういう格好も新鮮だな。似合ってるんじゃないか」
と、お褒めの言葉をかけてくれた。
その時湧き上がってきた感情を、朱莉は何なのか理解できなかった。
ただそれは幸福に属するものであり、生きてきた中で至上の喜びのように感じられた。
世間にあまり詳しくない朱莉でも分かる。
デートの初めとしては悪くない、と。
なお、集合時間を一時間オーバーしてしまったことに関してはデートの評価に含めないものとする。
そんな経緯もあって、朱莉はご機嫌だったのだが――
「よし、じゃあ必要なものはかごに入れたし、買ってさっさと帰るか」
スーパーに着いて早々、貴明は他のものに目もくれず、必要なものだけを買い物かごに放り込んでいった。
結果、十分も経たずに目的の物は全て手元に収まってしまった。
貴明の言う通り、後は会計を済ませるだけで終了だ。
スーパーまで片道徒歩五分。なので、移動と買い物を合わせても三十分も満たずに終了する。
人生で一番と言っていいほど真剣に悩んだ後なのに、このあっさりさは解せない。
故に朱莉は、さっきまでと打って変わって不機嫌だった。
「どうした、朱莉? 行かないのか?」
「行きます……行きますけど」
これはデートなんですよ?
メイドでもなく、幼馴染でもなく、女の子として不満が生じる。
「私、常々思うんですけど、どうして男性の方は目的の物を見てはいそれで終わりになるんですか?」
「男の習性を俺に聞かれても……。逆に女性はよく目移りするのは何故なのか聞きたいな」
貴明は言葉に込められた皮肉に気づかずに軽口を返してくる。
「よし、じゃあレジに向かうか」
――それは、意識して起こした動作じゃなかった。
レジに向けて歩き出そうとする貴明の腕を、朱莉は掴んでいた。
「朱莉?」
「……え? あ、す、すみませんご主人様! ご無礼をいたしました!」
朱莉は慌てて手を放す。
「まだ何か買い忘れたものがあったとか?」
「いや、えっと、その」
「なら少し、ゆっくり中を回るか」
言葉を探す朱莉に、貴明はそう言った。
「だって折角おめかししたのに、用事をパッと済ませて帰るのは味気ないもんな。ごめん、配慮が足りなかった。買い物だけってのもあれだし、なんなら食事も外で一緒に食べるか?」
貴明は二人きりの買い物をデートだとは思っていない。
そのことはこれまでの発言や態度を見ていればわかる。
けれど、何故彼はこうも私の望んでいるものを理解してくれるのだろう。
分からないけど、とても嬉しかった。
「――いえ、新鮮な食材が売っているんです。食材を買って家でゆっくり食べましょう。何かリクエストはありますか?」
「そうだなあ、なんとなくカレーが食べたい気分」
「でしたら必要な野菜をまず買いに行きましょうか」
二人は歩くペースを少し落とす。
できるだけ長く、二人の時間を堪能するために。
「ソースも買っていきましょうか」
「え、なんで?」
「ご主人様が好んで食べてるカレーには隠し味としてソースを入れてるんですよ」
「そうだったのか。初めて知った」
「違います。私がご主人様のことを何でも知ってるんです」
「それは言い過ぎでは?」
「あながち間違いじゃないと思いますよ」
「ええ、それはそれで怖いんだが」
「酷い言いがかりですね、ご主人様」
なお、そんな二人のやり取りを傍目で見ていた客たちは「もはや恋人というより夫婦では?」と誰もが思ったそうな。
朱莉がどんな服を選んで着たのかは、ご想像にお任せします。