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この世の外で  作者: 伊田 千早
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時に雨ふり漣いで2

 十七から八階建てくらいのコンクリートでできたボロいアパートの一室に戻り、シャワーを浴びてから、少しぼんやりうなだれて。


 それから、亘は体を拭いて、ほこりっぽいベッドに寝転ぶ。サイドボードには飲みかけのイチゴミルク。一度起きてそれに口をつける。


 ため息とともにベッドに横になり、手足を広げ、天井でクルクル回るシーリングファンをぼうっと眺めた。


 一息つくと非現実的な現実が、その色を鮮明にする。これは現実なのだと教えてくれる。コンクリートの建物の一室。生活に最低限必要なものしかない部屋。薄汚い窓の向こうには無数の高層ビル群、それは日本で見るものとは様相が異なりどこか煩雑で豪快で無神経である。


 英語が話せるなんていわなければ、こんなことになりはしなかった。それは感想であり、後悔ではないと思うが、それがなければまずこんな場所にはおらず、こんなところで出張もしておらず、こんなに疲れることもなかったのではなかろうか。


 全くため息ものである。ならば、そうではない生活を送りたかったか、と考えると、それも違うのだ。ため息をつきつつも、信じられないこの生活、この世界に亘自身は何か、希望めいたものを見ているのかもしれない。


 亘はまだしばらくベッドに寝転がってぼんやりした後、「よし」起き上がる。

 服を着て、部屋を出る。それから、隣の隣の向かいの部屋をノックする。


「聖? 亘だ」

「亘さん?」


「散歩でもしに行こうと思うんだけど。夜には待ち合わせ場所にいるようにするから。聖はどうする?」


「どこに行くんですか?」


「なにも決めてない。……どこか良いところ知ってる?」


「じゃあ、近くに大きな図書館があるんですよ。そこにしましょう。ちょっと待っていてください」


 待つこと十分、聖は部屋から出てきた。亘と聖は古びたエレベーターに乗って一階を目指す。毎度毎度エレベーターの入り口部分に刻まれたあの文字を読んでしまう。


「since1890」


 この文字が気になる。亘の不安を表すかのようにエレベーターは所々でガタガタと揺れる。それはゴンドラでロープウェイを進み支柱を通り抜けるときの振動に似ている。


「まあ、超能力使えば、きっと死なないですよ」

 と聖はとぼけて言う。

「きっとか」

「絶対とは……いえません、ね」


 一階から、外に出る。細い通路が連なってどのビルも背は高く、陰っている。そこから、少し歩いて表通り、途端あふれんばかりの人と車の喧騒に圧倒される。様々な人が思い思いに行き交って、広い道路は車で埋め尽くされている。ここまでくれば空を拝めることができ、そこだけは地表の対比であるように速やかに静かに晴れ渡っていた。


「亘さん、こっちですよ」

 聖に呼びかけられ、彼女が歩いて行く方へ亘も進む。


「図書館には何かあるの?」

 そう問いかけると聖は力ない笑みを浮かべた。


「レポートが溜まってまして……」

 ああ、そうか、とすぐに亘は合点がいった。


「このところ忙しかったな……」

 と言いつつそんなことわかっているべきであり、ならば、聖を気軽に誘うべきではなかったなと反省した。


「でも、海外出張だとこんなものですよ。いつも」

 その表情には諦めのようなものがあった。しかしそれは「全く仕方ないよね」という情が感じられるものであった。


「俺は……圧倒されてばかりだ。英語は話せても、海外に長いこと行っていたというわけじゃないから」

「でも、十分ですよ?」


「それを言うなら聖の方がすごい。何から何まで」

「そう言ってくれるなら嬉しいですね。大学じゃあ休んでばかりの落ちこぼれ候補ですから」


 それは仕方がないのではないかといいたい。


「そういえば、大学を卒業したらどうするつもりなんだ?」

 また、聖は苦笑いを浮かべる。


「どうしましょうね? このまま調査員を本職にするか、それとも別の何かを探すか。まだ、よくわかりません」


 別の何か、それがわずかな寂寥を生む。


「何かやりたいことがあるんだ」

 亘は自身が特になかった、ということは以前聖に言った気がする。


「いや、そういうわけでも、ないです。……本当、どうすればいいんでしょうね」

 聖はわずかに笑っている。それは全く困った子だなと自身に言い聞かせるような言いぐさだった。


 

 図書館は海外らしく壮厳で巨大で、館内の書架もまるで無数にあるかのように広がった。木製のシックな書架が、上に下に広大な敷地に街のように伸びていて、迷いそう、本の森に迷いそうである。そしてその森を彷徨う多様な人たちがいる。


 亘らはその間を抜けて、並べられたテーブルの一つに着席した。


「こんなところでレポートが書けるの?」

「でも、調べ物なら、なんでもできそうですよね」

 聖は鞄から、ノートを取り出し、ページを開く。それを見せてきた。


「この三冊、探したいんです」

 と亘に言ってくる。ノートには本の名前が、英語で書かれている。


「するとこないから俺も手伝うよ」

「やった! 実はお願いしようと思ってました!」


 カウンターで本を探してもらい、場所が印刷された紙を受け取って亘は聖と別れた。


 亘は三冊の内一冊を探しにいく。それは他の二冊よりもはるかに遠い書架に収められているらしい。亘は散歩と探索がてらその面倒な本を探しに行った。


 書架には人が多いところもあれば、少ないところもある。瀟洒な木造建築であるが、窓は書架の近くにはなく、奥の方へ行くと薄暗さを感じる。


 目的の本はこの広大な館内ではなく別棟におかれているらしく、亘は図書室から廊下に出る。廊下には窓が並び、青空から、光が床に差し込んでいた。廊下の床の窓の形をした四角い光溜まりが、ポツポツと廊下に等間隔に並ぶ。


 目指すは別館。


 図書館の中にいると、外の喧騒が聞こえない。廊下の窓は中庭に面していて、騒々しさはそこにはない。木々と花壇、遊歩道のある落ち着いたところだ。徐に、箱庭という言葉が浮かぶ。


 まるで箱庭だった。今まで送ってきた生活はあまりに物事を知らなさすぎたと最近よく感じるのだ。外の世界は、優しくなくて、整備されていないことが多く、選択肢に限りがない。それは亘を目眩で悩ませる。


 窓から見上げるとわずかに青空がある。また、これから、途方もなく遠いところに行ってしまうのでは、という感想を得た。

 それは多大なる不安と大いなる期待であったが、いまいち亘はそれを認識することができなかった。曖昧模糊として、ぼんやりとした何かが異国の青空にあるのだった。



 夕方になり、亘と聖は図書館を後にした。


 そのまま、大きな道路にごったがえす車の間を抜けて、歩道を歩く様々な人の喧騒溢れる繁華街の中を進み、目的の料理屋を目指す。その店はネオンきらめく中にあり、煉瓦造りで、内装は木製、店内は賑やかであり、その一角に二人はいた。オカとサワだ。席に着くなり、サワが言う。


「なんだ? お前らデートだったのか?」

「図書館へ資料探し」


 実際、資料を探した後はそれぞれ自分のやりたいことをやっていただけである。亘は適当な図鑑を眺め、聖はレポートを作成する、という風に。


「図書館デートかなるほど」

 オカがウンウンと頷いている。


「本当にそんな大層なものじゃありませんよ」

「いーなー、羨ましいなー」


 サワが声高にして嘆く。

 サワは結婚しており、自宅には子供と奥さんがいるとのことだ。


「我慢した方が会えた時の嬉しさはことさらだぞ」

 オカが落ち着いて少々微笑んで答える。


 今、亘ら十九派遣隊は海外出張、二週間目になろうとしていた。亘らの仕事は基本出張であり、全国各地、世界各所を回ることになるが、亘が経験した中では仕事は、概ね一週間ほどで終わりとなる。


 だから、今回は比較的長い方だった。もう一週間以上経ち、二週間に手が届きそうである。そして憂鬱なことに今回の仕事は期日がいつまで、と決まっているわけでもない。


「オカさん、まだ、決まらないんですか?」

「まだだな。この辺りには超能力者が少ないとのことで、わざわざ派遣されてきたんだ。今のうちにできるだけ、処理してもらおうと彼らは思っているのさ」


「それにな、その借りを作るってことに協会は邁進しているからな」


 例え国内で不安定であろうと世界中に借りを作ることができ、根をはることができたなら、それは安定な協会という組織になるだろう。


「ちょっとはわたしたちの身にもなってほしいですね」


 亘が協会の調査員となってしばらく。仕事にも慣れてきた今日この頃、今となっては色々な感想を抱く。待遇が悪い、命がけ、出張ばかりで落ち着けない、など。どれだけかはわかっていたことであるが、わかっていて覚悟していたとはいえ、不満と感じないわけではなかった。それとはまた別の話である。


「だから、こうやって今日は慰労会をするんだろうが」

 オカがわざとらしく偉そうにする。


「でも一番飲みたいのはオカだろ?」

 サワがオカの肩をつついてみせる。


 テーブルにはビールが人数分、揚げたポテトやピザが並ぶ。

「明日は休みだからな。飲んでゆっくり寝てくれ。おっとお二人さんは明日もデートか?」


 まだ、茶化すのかと亘はムッとしてみせる。が、反論したのは聖であった。

「明日は亘さんといいところに行くんです」


 オカとサワが、「おお! おお!」と反応する。二人の視線は聖から流れ亘の元にやってくる。


 亘はそんな約束した覚えがない。


「どこだ? どこに行く?」

「一緒に行ってやろうか? ダメか? なら尾行だ。なに、超能力を使えばお前らになぞバレはしない」

 二人とも、聖も合わせれば、三人勝手なことを言う。


「秘密です、秘密。なんで尾行しようとする人に教えなくちゃいけないんですか!」

 そんな約束した覚えもないが亘はそう言い切った。


 それから、しばらくの間、サワとオカに亘はいじめられ続けた。聖も対象であったが、彼女はそれを楽しんでいるようであった。


 賑やかな慰労会の時間はするすると進み、やがてお開きになり、亘と聖はアパートメントに向かう。同じアパートに住んでいるオカとサワはといえば、夜の街に消えていったのでいない。


 齢百年を越えるエレベーターに陽気な気分で身を預け、それぞれ部屋の前で、おやすみと言い合った後、聖が徐ににこやかに呟く。


「で、明日はどこに連れて行ってくれますか?」

「え、本当だったの?」


「行きたくありませんか?」

「行こうか! まかせてくれ!」


「やった! 面白いところ、期待しています。おやすみなさい」

 そう言って彼女は扉の向こうに消えていく。


 亘は、少し肩を落としてため息を吐くでもなく落ち着いて自室に戻った。


 さて、どうすればよかろうか。


 困ったのでベッドに寝ころびながら、買ってきたお茶を飲んで、ネットの情報を頼りに何かないのものか、と探し、亘の過ごす夜は更けていった。


 しかし、深夜の頃になって不幸が亘のもとに訪れた。侵略者を確認したと言う報であり、夜明けとともに急行せし、という命であった。


 それは今この街にいる調査員全員に来ているであろう。休み返上というやつだ。

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