Haleakala
第零幕 芽生え
突然だが、君には絶対に忘れられない出来事があるだろうか?
俺には一つだけある。
小学一年の夏が終わり紅葉に色付き始めた頃、一匹の動物を助けたことがあった。ずっと前の事だからその動物が犬だったのか狸だったのか、首には文字が彫ってある鈴が付いていたが当時の幼かった俺には読み方が分からなかった。
そういう所は曖昧で不鮮明だ。忘れられない出来事があると言っておいて全然覚えてないじゃないか。と言われても仕方ない。軽く手当てをしただけで直ぐに森の中へ行ってしまったのだから仕方ない。でも、その小さな後ろ姿に纏う綺麗な毛並みだけは脳裏に焼き付いて今でも鮮明に覚えている。まだ子供のくせにえらく見惚れてしまったものだ。
夕焼けに輝く美しい小麦色を。
第一幕 夏祭りの約束
一学期の終業式が終わり、まだ一二時過ぎだというのに俺を含む大勢の高校生らが正門から下校している。正門を出て上を見上げると、梅雨が去った青空に雄大な入道雲と大地を照らす太陽が燦々と輝いていた。
「……あちぃ」
なあなあ太陽さんやい。そんなに張り切ってお仕事しなくてもいいんだけどね。
俺はパタパタと手で顔を仰ぎながらしばらく正門前で空を眺めていると、後ろから俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。声のする方を見ると一人の女子が小走りでこっちに向かってくる。
「祐晴くーん。ごめん、ちょっと先生の話が長くて遅くなっちゃった」
「そっか。俺もさっき出てきたところだから」
目の前にいる女子は息を整えると、顔をあげて太陽に負けず劣らずの笑みを浮かべた。
「それじゃあ、帰りますか!」
「おう」
そうして、俺たちは暑い日差しを耐えながら家に帰るべく足を進めるのであった。
俺たちの住むここ、栄町は特に有名なわけでも無く、町のシンボルである稲荷神社とひたすら田んぼがあるだけの田舎だ。俺はこの町にある高校に通う三年生。俺の横にいる女子―『居石いりな』もまた俺と同じ高校の生徒であり、小学校からの友達である。いりなは金髪の様な明るい髪をしているせいで、たまに不良と間違われたりすることもあるが、中身は凄く優しくて明るい性格である。小柄な体格の割に運動神経が良く、大人しそうな外見とは裏腹に陸上部の部長だったりする。
「ねぇねぇ祐晴君」
隣から俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ん? どうした、いりな」
「お腹空いた」
いりなは自分のお腹を押さえている。確かにまだ昼食べてなかった。
「なんか食って帰るか」
そう言うと、待ってましたと言わんばかりの笑顔を見せるいりな。
「稲荷寿司たべたいっ‼」
「却下」
「なーんーでーっ‼」
俺がいりなの提案を即却下したせいで早くも目に涙を浮かべている。いやほら、俺だってそんな上から叩き潰す様に言いたくはないですよ! でもこれに関してはこうしないといけない理由があってですね…
「祐晴君のいじわるぅ」
鼻水をすすりながらこちらを見てくるいりな。
「じゃあ、今日の朝飯何食べた?」
「稲荷寿司!」
即答するいりな。
「じゃあ、昨日の晩飯は?」
「稲荷寿司‼」
またしても即答。
「……ここ一週間何食べて――」
「稲荷寿司ィィッ‼」
「やっぱり稲荷寿司しか食ってねぇじゃねぇかよっ!」
「まぁね」
そこドヤるとこじゃないからっ!
もう理解してくれただろうが、この子、稲荷寿司しか食べないんですよ。唯一これだけは理解できないでいる。きっとこれからも理解できる日は来ないだろうが。
とりあえず飯は置いといて他の話題に切り替える。
「そう言えばいりなは夏休みどう過ごすのか決めてるのか?」
「んー、特に決めてないけど、毎年行ってる夏祭りは今年も行きたいかも」
「夏祭りか。今年はよさこいのイベントがあるって、隣のクラスの松原と吉田が言ってたな」
「それ私も知ってる! ともちゃんとまゆちゃんが入ってるよさこいのチームなんだって! もう見に行くしかないでしょこれはっ!」
お祭りは三日後だというのにテンション上がりまくりのいりな。
俺たちが言う夏祭りとは、栄町の稲荷神社で毎年行われている祭りの事だ。この町の人はみんなお祭りが好きで、町内総出で行われる大イベントでもある。
「一緒に行くか?」
そう俺が訊くと、いりなは大きく頷いて見せた。
「うんっ‼」
嬉しそうなその表情に少し鼓動が早くなる。俺はさっと、目をそらしながら話を続ける。
「そ、それじゃあ、祭りの日、夕方鳥居の前で待ち合わせな」
「りょーかいっ‼」
元気のいい返事にこっちまで笑みがこぼれる。
そして気が付けば俺たちの住んでいるマンションまで来ていた。
「それじゃあ、三日後、鳥居の前で」
「うん!」
上の階に住んでるいりなをエレベーターのところで見送る。夏祭りかぁ、そう考えながらエレベーターの前でぼーっとしていると後ろから声をかけられた。
「あらあら、青春してるじゃない、うふふ」
びっくりして、振り返るとそこにはこのマンションの管理人である谷口さんが立っていた。
「驚かさないでくださいよ。ただいりなと夏祭りに行くだけですから。そんなんじゃないですよ」
「そう…、夏祭りに行くだけねぇ…、うふふ」
「な、なんですか?」
「さぁ、なんでしょうねぇ… うふふ。 それじゃあ、これで」
谷口さんはそう言うとこの場を後にした。一体あの人は何なのだろうか? 不思議な方だ。謎に包まれた谷口さん。
俺はこの日、谷口さんの事を考えるあまり、一睡もできずに次の日を迎えるのであった。
―――・・・・・―――
夏祭り当日、私は身支度を済ませると踊り弾む心のままに家を飛び出した。一年の中でこの日が一番好きと言えるくらい楽しみにしていたこの日! 祐晴君が待ってるから早く行かないと……。
ビルの鏡張りに移る自分の姿。秋の紅葉を思わせる浴衣、短めの髪は二つに結んで少し幼く見える。踊るように家を出てここまで来たせいで、所々乱れている。軽く治して綺麗にすると、その場で一回回ってみた。祐晴君、どんな顔するかな。喜んでくれるかな?
「よっし‼」
今度は乱れないようにゆっくり歩こう。夏祭りの会場である神社が見えてきた所で、鳥居の傍に一人、祐晴君が待っているのが見えた。暗めの紺色の浴衣を着ている。
「ごめん、祐晴君待った?」
「そんなことないよ。今さっき来たとこ」
「そっか、じゃあ早速行きましょう!」
「……」
反応が返ってこない。祐晴君の方を見ると頬が少し赤く染まっていた。
「そ、そのさぁ、あ、あれだな、いりな。浴衣、似合ってんな」
「え?」
思考が追い付かない。
「ほ、ほらっ! 早く来ないとおいて行くぞ!」
「えっ、ちょっと待ってよっ‼」
まだ半分も理解してない私をよそに足早に鳥居をくぐって階段を上って行く祐晴君。
私もその後を追って鳥居をくぐる。心の中はなんだか温かさでいっぱいになっていた。
第二幕 未知の思い
いりなを置いて先に階段を登り切った俺は、目の前に広がる光景に圧倒されていた。
「なんじゃこりゃ……」
一人で佇んでいるといりなも階段を上がってきたようだ。
「どうしたの、祐晴君。そんな驚いた顔して……、って、なにこれっ⁉」
そう、いりなが驚くのも仕方ない。そこには溢れんばかりの人々がこれでもかとひしめきあっていたのだから‼
何人いるんだ? これまでこの祭りでこんなに人がいたことがあっただろうか?
「去年みたいに一人ではしゃいでると、流石に俺でも見つけきれるか分からないからあんまり離れるなよ?」
にしてもこれは多すぎだろ。よさこいがあるからこんなに集まって来てるのか? それによく見たら人だけが多いんじゃない。出店の数も例年の倍以上はある。 ただ歩くだけでも一苦労だなこれは。
「いりな、悪いが今年はあんまりゆっくり楽しめないかもしれないな。この人の数じゃ仕方ないんだ。おい、いりな聞いてんのか?」
さっきから返事もしないいりなの方を振り返る。
しかし、そこにはもう既にいりなの姿は無かった! あいつまた勝手に一人で行きやがって‼
人込みの方を見渡すと、稲荷寿司の屋台に食らいついている姿が見えた。
「おいっ! いりな、逸れると危ないからそこ動くなよっ‼」
だがしかし、彼女の目にはもう屋台の事しか入っていないようで…。
流石陸上部の部長さんだけあって、どんどん人ごみの中へ進んでいく。男の俺では体が大きくてまともに進めない。
「いりなっ! 戻ってこいっ‼ いりな――」
『ドンドンドン、ドンドドンドンドン』
祭りの始まりを告げる太鼓。
俺の全力の声さえも、太鼓の音に難なくかき消されてしまった。それだけじゃない、今まで屋台を回っていた人の波が太鼓のなる方へ一斉に流れ始めた。
この人の波はやばいっ! いりなは運動神経こそいいがこんな人の波に襲われたらそもそも身長の高くないいりなではなす術もない事は明らかだ。
急いで見つけないと。いりなが危ないっ‼
―――・・・・・―――
屋台に夢中になっていた私は突然鳴り響いた太鼓の音で、近くに祐晴君が見当たらない事に気づいた。
「祐晴君ッ‼」
私のこんな声じゃ太鼓の音にかき消されちゃう。それに、何だか人の流れが強くなってる気がする。
早くここから抜け出さないと‼
「……えっ?」
体が動かない? 前に行きたいのに何かに縛りつかられているように全然体が前に進まない。
「えっ、どうして⁉」
後ろの方を見ると今日身に着けていた肩掛けのバックが人ごみの中に挟まっているのが見えた。
「すいませんっ! 誰か私のバックを取って下さい‼ 誰かっ‼」
そんな叫びも誰の耳にも届かない。肩掛けの紐のせいで息がしにくくなってきた。
「誰か……、たす…、けて…」
意識が朦朧とする。
「ゆう…、せい…、く……、ん」
ほんと、私ってバカだな。祐晴君に心配ばかりかけて… 一回くらいは祐晴君の言う通り稲荷寿司以外も食べてみればよかったのかな…って、何こんな時に考えてるんだろ。
いりなの頬には涙が流れていた。
もっと、祐晴君と一緒にいたい! もっといろんな事話したい! もっとお祭りに行きたい! もっと! もっと! 祐晴君に会いたいっ‼
「いいぃぃぃぃりぃぃぃなぁぁぁぁああっっ‼」
私は薄れゆく意識の中、後ろから聞こえた声に、ハッと目を開らいた。
声のした方を見ると祐晴君が必死に人の海をかき分けてこっちに手を伸ばしているのが見えた。
「祐晴君ッ‼」
無我夢中で叫びながら私も手を伸ばした。
「もう少しっ!」
「後ちょっとっ!」
もう少しで届くのに、残り少しがとてつもなく遠い。それでもっ! 私は祐晴君の所に帰りたいっ! あの人の隣にっ! だからお願い、届いてっ!
その時、二人の指先が触れ合った。
ガシッ‼
「捕まえたっ! いりなっ!」
気が付けば、私は彼の腕の中にいた。頭の中が真っ白になって、何も考えられない。
私を抱きしめている当人は、怒ったり心配したり泣きそうになったりと忙しそうだ。
そうか、祐晴君にまた救われたのか。
「おい、聞いてるのか! いりな!」
「……うん、聞こえてるよ」
「それならいいけど…」
ちゃんと聞こえてるよ。太鼓みたいに強く鼓動する二人の音を。こんなに幸せな気持ちになっていいのかな?
いや、もう答えは出てる。この気持ちは祐晴君に伝えちゃいけないんだって。私はこの気持ちを胸にしまわなきゃいけないんだって。
いりながその気持ちを胸に押し込むほどに、瞳は潤み儚い雫が止めど無くいりなを抱きしめている彼の腕へ流れ落ちるのであった。
―――・・・・・―――
急にポロポロと泣き出したいりな。声を出して泣きじゃくるわけでも無く、ただひたすら苦しんでいるように見えた。
あんまり、強く引っ張りすぎたかな? でもああしないといりなを助けれなかったし、助けるのに必死でそん時の事はあんま覚えてない。でもこのままだと、いりなを本当の意味で救えてないんじゃないのか?
「そう言えばさ! 前にもこんな事あったよな」
いりなの涙は止まらないが俺は話し続ける。
「いりなが小学校に転校してきてさ、あの時はみんないりなの髪の色をみて不良女とか言ってさ、いじめられてたよな。それで、いつだったかこの神社で一人でいりなが泣いてたっけ」
いりなの表情は後ろからで見えない。でも、俺にはあとこれくらいしか出来ない。腕の中にいる少女が崩れてしまわないように、しっかりと優しく抱きしめる。
俺が神社で泣いている女の子を見つけたのは学校から下校していた夕暮れ時だった。
神社の階段で、一人の女の子が手をギュッと握りしめて何かに耐えているように静かに泣いていた。その子が学校で虐められている女の子という事は直ぐにわかった。
みんなは不良女だとか言ってるが、僕にはそうは見えなかった。俺は彼女が座っている場所まで一段ずつ階段を上って行きながら、去年見た綺麗な小麦色の毛並みを思い出していた。
「俺はいいと思うよ、その髪、綺麗な小麦色じゃないか。サラサラで…、ってまあ触ったことないから分かんないけど。そんな泣くなよ」
目の前にいきなりやってきた男の子にきょとんとしている女の子。
「それじゃ」
そう言って階段を降りようとすると、後ろから声が聞こえた。
「…りな」
足を止めて聞き直す。
「なんか言った?」
「わたし……、なまえ、……いりな」
下を向いてて顔ははっきり見えないが、一生懸命伝えようとしていることは分かった。
「俺の名前はゆうせい。これからよろしく、いりな」
「――うんっ!」
これが俺たちが初めて言葉を交わした瞬間だった。
「辛いことがあるなら、あの時みたいに一人で泣いて抱え込むんじゃなくて、俺を頼ってくれていいんだ。そうしないと俺はいりなの為に何もしてやれねぇ」
より一層強く抱きしめる。次いりなに何かあったら、俺の前からいなくなってしまいそうで、そんなのは絶対に嫌で悲しくなる。
「祐晴君」
しばらく黙っていたいりなが口を開いた。
「その、ありがと。助けてくれて… もう落ち着いたから大丈夫だよ」
その言葉を聞いて胸を撫でおろす。少しは彼女の為に何か力になれただろうか。
「祐晴君…、あのぅ」
「ん? どうした?」
いりなは少しだけ顔を横に向けた。少し頬が朱色に染まっている。
「嬉しいけど、もう大丈夫だから……。これはちょっと恥ずかしいかな」
恥ずかしい? 何をいってるのか直ぐには理解できなかったが、この状況を冷静に考えると俺の顔もゆでだこの様に恥ずかしさで赤くなっていった。
若い男女が二人抱き合っているのだから。
「ああっ‼ すまんっ‼」
急いで巻いていた腕をどける。俺の腕から解放されて振り返ったいりなの頬にはもう涙は流れていなかった。
「祐晴君はいっつも優しいね。ほら、まだまだお祭り楽しんでないよ! もう一人で勝手に進まないから……、行こ?」
その時のいりなの笑顔は純粋に素敵だった。
それから二人で屋台を回り、逸れる前にいりなが寄っていた稲荷寿司の屋台で大量の稲荷寿司を買うと神社の横にあるベンチに座った。
隣には、両手に稲荷寿司を持ち、口いっぱいに頬張るいりな。いつもいつも本当にそれしか食べていないくせに……。その表情はまるで、御馳走を目の前に心が弾む子供の様だ。
「ぷはぁっ! お腹いっぱい」
いりなは大量にあった稲荷寿司をペロリと食べ終わると、お腹をすりすりしながら食後の余韻に浸っている。
「美味しかったか?」
俺は満足げににやにやしているいりなに訊くと、即座に頭を縦に振るいりな。
「うん! 美味しかったよ! いつも食べてるのと違って少ししょっぱかったけどね」
「それは良かった」
「ご馳走様でした‼」
食べ終わった後の皿に手を合わせるいりな。それにならって俺も手を合わせる。
「そう言えば……」
いりなは合わせていた手をベンチにつきながら、ふと思い立った様に俺に質問してきた・
「そう言えばあの時なんで私の髪褒めてくれたの?」
「あの時って、小学校の頃、神社で泣いてた時か?」
「そうだよ。みんなからは嫌われてたのに、どうして?」
それを聞いた俺は、いりなを助けるよりも前の、もうあんまり覚えていない記憶を目を閉じて思い出しながら、こう言うのであった。
「似てたんだ…… あの毛並みに。いりなの髪の色によく似た、夕焼けに反射して優しく光る綺麗な小麦色の毛並みに……」
今ではもう遠い記憶となってしまったが、あの時の感動にも似た心の波は思い出すたびに俺の心を未だ揺らし続ける。今この瞬間もまだ俺の中には確かに残っている。
その気持ちを噛みしめてゆっくりと目を開けると、驚いた表情をみせるいりながいた。
いりなは、俺と目が合ったのに気づくと、さっと下を向く。
「……それって、いつ頃の話なの?」
下を向いたまま訊いてくるいりな。
「そうだな、小学校に入る前だから6歳の頃とかだと思うけど」
「…………」
何も喋らず、ただじっと下を向いている。表情ははっきりと見えない。
「いりな?」
名前を呼ぶと、いりなはゆっくり呼吸をすると、うつむいていた顔を上げた。
「祐晴だったんだね…… やっと会えた…」
その時のいりなに、俺は喉まで出かかった言葉を声にする事が出来なかった。
それは多分、稲荷寿司を食べている時よりもずっと嬉しそうな、でも何か覚悟を決めたような表情だったからかもしれない。
それでも喉まで迫ってきたこの言葉を、簡単に音にしたら駄目だという事は分かった。
いりなの全てを受け止めるのが、今の俺がしなくてはならない事だと。
第三幕 真実と願い
それからしばらくの間、俺といりなは何も話さずにただベンチに座っていた。そろそろ祭り会場のメインステージではよさこいが始まるらしいアナウンスが聞こえてくる。
俺はなんとなく気まずい雰囲気なこの状況を打破するべく口を開けた。
「そ、そう言えば、もうすぐよさこいのステージが――」
「あのね」
俺の話を途中で遮ったのはアナウンスの声では無かった。いりなの方を向く。
「ちょっとこっち…… 来て」
それだけ言うと、俺の手を掴んで、神社の裏の方へ歩いていく。
男子諸君、この状況をどう思うだろうか?
……やはり、そういう事なのだろうか?
つないでいる手から少しだけ速くなった鼓動がばれないか心配していると、前を歩いていたいりなが足を止めた。
周りは人の気配がなく、夏の割には涼しい風が頬を掠めていく。
「ーーー、ふぅーー」
いりなは俺に背を向けたまま深呼吸すると、こちらを振り返った。
ただでさえ街灯もないのに、月明かりも雲で隠れていりなの姿がほとんど見えない。
「祐晴君、驚かないでね。」
「……え?」
いりなはそれだけ言うと、もう一度深呼吸をして、俺から数歩遠ざかる。
俺から離れたいりなは少し上を向いて目をつぶっていた。……あれ? 真っ暗で殆ど見えなかったはずなのにえりなの顔が見える。月明かりも出ていないのに……
困惑する俺をよそに、いりなは両手を広げ胸の前まで持ってくる。
そこまできて、俺はようやくいりなが見えている理由が分かった。
いりなは照らされているんじゃない。いりな自身が光を放っているんだと。
そしていりなから放たれている光はゆっくりとその光力を増していき、いりなの体が青白い光に包まれていく。
「いりなっ!」
俺は何だかいりながこのまま目の前からいなくなってしまいそうな気がして、咄嗟に名前を呼びながらいりなの方へ手を伸ばしたが、光がまぶしすぎて目を開けていられない。
そんな祐晴をよそにその光は完全にいりなの体を包んだかと思うと、弾ける様に拡散して消えていった。
あまりの眩しさにしばらく目が開けられなかったが、やがて光が落ち着いてくるといりなが立っていた場所にはイリナはいなくなっており、かわりに一匹の狐が青白い優しい光を纏っていた。
困惑して声を出せずにいると、どこからかいりなの声が聞こえてきた。
「騙すような事をしてごめんなさい。これが私の本当の姿です。祐晴が小さい頃に助けた動物は私なの」
いりなの本当の姿という意味が目の前の狐だということ、幼い頃に手当てした小動物は狐でありいりな自身であったこと。
つまり、俺はいりなが転校してくる前から出会ってたんだ。さっきまで困惑していたのに、イリナの声が聞こえてから何だか落ち着いている。むしろ嬉しさだってある。
いりなは話を続けた。
「祐晴君に助けられてから人間の住む世界に行きたいと思うようになって、気付けばもう十年、人間として暮らしていました」
「そうだったんだね」
俺は静かに言った。
「そして、もう一つ、祐晴に伝えたい事があるの」
そう言うと、再びいりなの体は青白い光に覆われた。俺が目を開けると人間の姿へと戻っているいりな。しかし、今度は耳と尻尾、そして首についている鈴は狐の時ままのようだ。
そしてそこには幸せに満ち溢れた、でももう二度と見られなくなってしまいそうな笑みをうかべるいりながいた。俺はただいりなのその真っ直ぐで潤んだ目を片時も離さずに見つめる。
それから、こみ上げる思いがいりなの目から一滴の光となって頬を流れると、一つ一つ、言葉を風に乗せる様にいりなは口を開いた。
あなたが好きです。
この先もずっと。
月を遮っていた雲を晴らす様にその言葉の一つ一つが俺の心に染みわたっていった。
月の光に照らされるいりなの綺麗な小麦色の髪が風になびくと、俺はようやく伝えられるこの思いを、音に変えて目の前にいる彼女に伝える。
「ありがとう。凄く嬉しいよ。でも、俺にはずっと前から好きな人がいるんだ。出会った頃から忘れられない人が。だから、いりなとは付き合えない」
そう言って、もう一度いりなの首に掛かっている鈴を見る。
昔助けたときに見た鈴と同じだ。あの時は読めなかったけど、今なら分かるよ。
俺はそう言って、目の前にいる大好きな女の子に言うのであった。
あなたの事がずっと好きでした。
居石……、千里さん。
これからもずっと、傍にいてください。
――・・・・・――
瞬間、涙が溢れだすのが分かった。今の私の顔、すっごく酷い顔してるんだろうな。でも自分じゃ抑えられないよ。
「私と一緒にいて幸せなの?」
声が震ええる。
「うん」
「普通の人間じゃない私でいいの?」
「うん」
「もっといい人は沢山いるのに私なんか――」
「千里じゃなきゃダメなんだよ」
ずっと、頷いていた祐晴君は、そう言うと、私を強く抱きしめてくれた。
だんだん、心が落ち着いてくる。しばらくして、祐晴君が離れると、涙はもう流れていなかった。
「これからよろしくお願いします」
祐晴君はいつもの様に笑顔を見せながら言った。
「こちらこそよろしくお願いします」
私も祐晴君を真似て挨拶をする。
きっと……、きっとこれから大変な事もあると思う。それでも後悔はしない。二人で乗り越えていこう。そう交わした風にも思えた。
そしてそれを待っていたかのように、ステージではよさこいが始まったようだ。
「お祭り、最後まで楽しもうよ」
「うん!」
そう言って手を差し伸べてくる祐晴君。
私はその手を優しく握ると二人で歩き出すのであった
これは、一匹の狐と、ある少年の、物語。
〈コン〉




