紡いでいく未来
それから俺たちは園内をひと回りして、閉園の時間に差し掛かった。
阿須野さんが「最後に、あそこ」と指差したのは観覧車だった。その箱に乗り込んだ彼女は外を眺めて「綺麗だね」とぽつりと呟いて、黙ってしまった。俺も、狭い空間に二人きりというシチュエーションに緊張してしまい、口をつぐんで窓の外に目を落とした。
「なんとなく分かってるかもしれないけどさ」
彼女が重々しく口を開いたのは観覧車が頂上に達するより少し前だった。
「私、真田くんのことが好きなんだ」
向かいに座る阿須野さんからその言葉を受け取ると、全身に電流が走った気がした。それは今までに感じたことがないものだった。
「ありがとう」
色々と思うことはあったが、今の気持ちはその一言に集約された。阿須野さんと出会ってから今まで、感謝することばかりだ。
「えへへ…… 恥ずかしいや」
耳を赤くした阿須野さんが再び外に目を遣った。観覧車はもう頂上に差し掛かっている。
「俺も…… 阿須野さんのことが好きだ」
彼女が初めて病室を訪れたあの日から今日に至るまで。
阿須野さんが、阿須野さんだけが、俺の空っぽの記憶を埋めてくれた。
「……ありがとう」
彼女は俯いて、そう呟いた。
「そっち、座っていいかな」
「……うん」
俺が立ち上がると観覧車内は少し揺れた。しかし俺はぐらつくことなく彼女の元へ歩む。彼女の隣に座ると肩と肩が触れ合った。
短い沈黙。
彼女を横目で窺うと目が合った。恥ずかしくなって目を逸らすと、彼女も同じ動作を行った。
もう一度、彼女の方を向く。
彼女も俺の方を向いている。今度は、目を閉じて。俺も同様に目を閉じる。
徐々に近付く距離。顔にかかる吐息。速くなる鼓動。この世のものとは思えない、柔らかそうな唇___
「……!」
俺の唇は彼女の頬に着地した。彼女の唇は俺なんかが触れてはいけない、聖なるもののような気がしたからだ。
「だ……」
唇をゆっくり離す。
俺は、怖気付いてしまった。
「だめだな…… 俺」
情けない、非常に。非常に情けない。
彼女は感触を確かめるように、頬を手で触っている。
「ごめん、緊張しちゃって……」
頭を掻いて誤魔化す。
その時だった。
彼女の唇が、俺の頬に飛び込んで来たのは。
「……」
時間が止まる。
彼女は俺の手を握っていた。唇を離した彼女はそっと微笑んで言った。
「少しずつ、色んなことしよ。夏休みはまだまだこれからだよ」
観覧車は一周し、扉が開く。
心地良い夜風が身を包んだ。
○
「ん……」
電車の中でしばらく眠っていたようだ。隣に座る阿須野さんは俺の肩に寄り掛かってすーすーと寝息を立てている。
作ろうよ、思い出。私と___
阿須野さんが言ってくれた、あの言葉を思い出す。
幸せだ、とても。俺は幸せ者だ。
もうこのまま死んでしまっても悔いはない。でも、この時間に未来永劫包まれていたいと思ってしまう辺り俺は優柔不断だな、とも思う。
そんなことを考えていたら阿須野さんが目を覚まし、俺の顔を見て「おはよう」と呟いた。
「おはよ」
「もう、着いちゃうね……」
電車は速度を落とし停車した。
「行こっか」
「うん」
○
駅から自宅へ、今日のことや次の予定のことや他愛ないことを喋りながら帰った。どちらからともなく、手も繋いだ。そこからはあっという間で、彼女の家の前に到着した。胸がちくりと痛む。
「着いちゃったね」
「うん」
自宅への門扉をくぐろうとした彼女を、俺は呼び止めていた。
「あっ、阿須野さん!」
「うん?」
「あ、いや……」
俺は大袈裟にかぶりを振った。
「ごめん、やっぱ何でもない」
「へんなの」
くすくすと笑う阿須野さん。
そんな彼女の笑顔からは、一抹の寂寥感が感じられた気がした。
「じゃあ、また」
「またね」
今度こそ彼女は門扉をくぐって行く。それを見届けながら、彼女が観覧車内で言った台詞を思い浮かべる。
『夏休みはまだまだこれからだよ』___
……そうか、そうだよな。
何を焦っているのだ、俺は。まだまだこれからじゃないか。
今はただ、胸に広がる心地良さを噛み締めていよう。
「さてと…… 帰るか」
俺は歩き出す。
これから続くであろう、彼女と紡いでいく未来を思い浮かべながら。




