無くした思い出を
「りんご食べる?」
青果店のビニール袋を携えて、翌日も阿須野さんはやって来た。
「いただきます」
彼女は俺が使用しているベッドのそばにあった白い椅子に腰掛け、肩に掛けていたスクールバッグから果物ナイフを取り出して、りんごの皮を鼻歌交じりに剥き始めた。器用なものだ。
「もうすぐ夏休みだねー」
「夏休み……」
夏休みという言葉を聞いて、夏休みらしいものをイメージする。
しかし頭の中に浮かぶのは妙な違和感だけだった。
「ん?」
「どうかした?」
市民プール。ラジオ体操。かき氷。
そういった夏に関するキーワードは覚えているものの、そこには友達の姿も、俺自身の姿も見当たらなかった。
事故に遭った時にそれ以前の記憶も一緒に失ってしまったのだろうか?
それとも単純に、俺に友達がいないだけなのだろうか?
後者の可能性が事実なら否定したいところなのだが。
いや、その両方ということもあるだろう。
そう考えると余計切なくなりそうなので、その違和感を包み隠さず彼女に打ち明けることにした。
「思い出を忘れた……?」
不思議そうな顔をして、考え込むそぶりをして黙ってしまった。その間も、りんごの皮を剥く手は止まっていない。
皮を剥き終えた彼女はそれを切り分けて皿に盛り、フォークを添えて「はい」と俺に差し出した。「ありがとう」と受け取った。
手前に並んでいたりんごにフォークを突き刺し、口の前まで持っていったところで、彼女は何かを思い付いたように「あ」と短く発した。
「……なんの解決にもならないかもだけど、それならさ」
俺の目をジッと見据え、彼女は言う。
「作ろうよ、思い出。私と」
俺の中で、なにかが揺れた気がした。
その時の自分がどういう顔をしていたのかは定かではない。
喜んでいるのか、驚いているのか。
ただ今は、暑かった。とても。
この暑さはおそらく、うっとうしいぐらいにムシムシしている今の季節だけが原因しているわけではないだろう。
胸の奥底から溢れ出る、この熱さは。
「だめかな、私とじゃ」
申し訳なさそうに眉をひそめて笑う彼女。から元気とも取れる『えへへ』という笑い方だった。
「だめじゃないよ!」
思いがけず大きくなってしまった声に驚いたのか、阿須野さんはビクッと身体を揺らした。
「あ…… ごめん」
んんっ、と咳払いをする。今度は声量に気を付けよう。
「むしろ、うれしいよ。こちらこそよろしくお願いします」
理由は知らないけれど、阿須野さんはこんなにも俺のことを気にかけてくれている。そんな彼女に対する俺の気持ちはひとつだった。
「うん。思い出いっぱい作ろう、真田くん」
手に持ちっぱなしだったりんごを一気に頬張る。切り分けてもらったりんごの甘味とほんの少しの酸味が口に広がるのを感じた。




