空想に曰く
文章の練習に投稿させていただきました。
初回は「鞄」をテーマに。お楽しみいただければ幸いです。
空想に曰く
注文したコーヒーがいつまでたってもこない。
久々に亜紀さんが口を開いたのは、そんな退屈のふとした切れ間だった。
「鞄」
「はい?」
「鞄が置いてあったでしょ。さっきの駅」
彼女の言葉が唐突なのはいつものことで、僕は気にせず店のカウンターに目をやった。ケーキが評判の喫茶店は昼下がりということもあってそこそこ盛況だったが、それにしても遅い。一度確認すべきだろうか。
隣のテーブルでウェイトレスが空いた皿を下げている。声をかけようとしたその時、被せるように不機嫌そうな声が飛んできた。
「それで、鞄なんだけど」
「コーヒーきてからじゃ駄目ですか、それ」
「駄目よ。貴方、すぐにはぐらかすもの」
そんなつもりは、まあ、全くないとも言い切れない。
「分かりましたよ。で、鞄がなんですか?」
やけくそ気味に応じると、亜紀さんは得意げに微笑んだ。華やかな表情だが、見とれる気分にはなれない。
嫌な予感がする。亜紀さんの『悪癖』が顔を出すような。
グラスの水で唇を湿らせると、亜紀さんは楽しそうに頬杖を突いた。
「駅のベンチに鞄が置いてあったでしょう?」
「ありましたっけ」
「あったのよ。周りに持ち主らしい人もいなくて、忘れ物みたいな感じで」
「はあ。それで?」
「あれね。私、爆弾じゃないかって思うの」
始まった。こみ上げてくるため息を飲み込むように、僕も水のグラスを傾ける。
駅からこの喫茶店まで妙に口数が少ないと思ったら、やはりいつものように突拍子もないことを考えていたらしい。
亜紀さんには、空想癖がある。僕はそれを、あえて『悪癖』と呼んでいる。頭の中で完結する想像なら、僕もそこまでは言わない。しかし、彼女のそれは人を巻き込むのだ。
「爆弾ですか」
いっそ馬鹿馬鹿しいその言葉を、口の中で繰り返す。亜紀さんは大真面目に頷いた。
「そう。一体、どこの誰が仕掛けたのかしらね」
「さあ。僕には何とも」
「一緒に考えてみましょう」
抵抗しても無駄なのはよく知っている。僕は渋々頷いた。よろしい、と満足げに笑って、亜紀さんは一本指を立てる。
「まずは目的ね。どうして、爆弾を仕掛けたのか」
「そうですね。やっぱり、駅みたいに人が集まる場所ならテロとか」
「そうかしら? それならもっと人が集まる駅の、人が集まる時間に仕掛けると思うわ。目立ってなんぼ、みたいなものだもの。通勤ラッシュのオフィス街とかいいんじゃないかしら。朝のニュースですぐ速報になるし」
「……じゃあ、あの駅を使う誰かを爆殺するためというのは?」
「それもなしね。確実に殺すためには相手の位置を正確に知らないといけないから、尾行か待ち伏せすることになる。だったら、ナイフでも使った方が手っ取り早いわ」
早くコーヒーはこないだろうか。切実にそう思う。
もちろん、亜紀さんだって本気で爆弾なんて言っているわけではない、と思う。要は思考実験みたいなものだ。もし何々だったら、を延々と積み重ねていくゲーム。遊びに過ぎない。
だが、遊びだからこそ、亜紀さんはつまらないことを言っても満足しない。
「こういうのはどうですか。その爆弾の本当の目的は爆発させることじゃない」
亜紀さんは満足げに一つ頷いた。どうやら、好みの返事をできたらしい。
「いいわね、それ。じゃあ、本当の目的って?」
「あーと、たとえば電車を止めること、とか」
「電車、か」
亜紀さんは考え込むように、頬に手を添えた。それから、ふと思いついたように鞄に手を伸ばす。そして、愛用の手帳を取り出した。
開いて僕に見せてくれたページには、都内の路線図が印刷されていた。
「ここが、さっきの駅」
ほっそりした指先が、小さな文字を指さす。そして、ゆっくりと線路をたどって、数駅離れたオフィス街に到着する。
「この駅は、夕方になると帰宅ラッシュになる。さっきの駅はベッドタウン方面の途中駅だから、この路線が止まると、かなりの人が電車で帰れなくなるわ」
「そう、ですね。この辺りは路線が一本だから、振り替え輸送もできませんし」
「そうなった場合、あなたならどうする?」
「そりゃ、別の交通機関でなんとか帰ろうとしますよ」
「つまり、誰が得をする?」
「……バス会社、とか?」
惜しい、と亜紀さんは首を振った。
「もちろん、バスを利用する人も多いでしょうけど、当然、交通網が乱れれば渋滞が起きる。そうなったら、客単価が上がらないバスでは大した儲けが出ないわ。バス停の混雑やクレーム処理の人員も考えたら、割には合わないでしょうね」
そこまでを口早に述べてから、亜紀さんは一度言葉を切った。そして、もったいぶるような間を置いて、静かに続ける。
「つまり、この爆破で得をするのは、時間でメーターの上がるタクシー。不況の煽りを受けたタクシー会社が、なんとか利益を上げるために打った苦肉の策ということよ」
「……えー」
ツッコミどころが満載だった。風呂敷を広げすぎて、無理矢理畳んだ感がある。しかし、亜紀さんは満足げだった。
これもよくあることで、途中まではそれらしい推測を重ねていても、結局は突飛な方向に収まる。むしろ近頃は、どれだけそれっぽい理屈で突飛な結論に至れるかを楽しんでいる節さえあった。
所詮遊びに過ぎないのだけれど。けれど、しかし。
釈然としない感覚に僕が嘆息すると、その時、ようやく注文の品がきた。お待たせしました、とウェイトレスはコーヒーとケーキセットを配膳して、すぐに去っていく。好物のモンブランをつつく亜紀さんは、一仕事終えた、という顔でにこにこしていた。
……まあ、いいか。そう思う。
亜紀さんの嬉しそうな顔を眺めながら、僕はそっとコーヒーをすすった。
「ところで、やけに注文くるまで時間がかかったわね。何故かしら?」
「混んでたからですよ。それ以外考えられませんって。ね、ほら、食べましょ?」
「んー、そうかしら……ねえ」
一緒に、考えてみましょうか、と。そこから先は、割愛させていただく。
結論だけ述べると、どうやら僕らは悪の犯罪組織に記憶を奪われた挙げ句、サイボーグ化されたヒットマンに命を狙われているらしい。亜紀さん曰く。