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双天の共鳴者  作者: 月山
第一章「共鳴者覚醒」
14/126

白銀の槍使い


「……迂闊でした。まさかバーガーショップがこれほど遠いとは……」


 後悔の念を呟いたのはエリーネだ。

 彼女は今、紙袋を抱えたまま、森林公園を目指し、歩道を歩いている。


 森林公園では軽々しく買ってくると言ったものの、バーガーショップの場所までは失念していた。――件の店は森林公園の近くにはなく、少し離れた地区にあったのだ。


 そして、エリーネは律義で真面目で融通が利かない性格のため、一度ハンバーガーを買うと言った以上は、それを撤回する気などなかった。無論、バーガーショップが世から消え去ったとしたら話は別だが。


 彼女はあれからしばらく歩き、ようやくお目当ての物を入手し、今ようやく帰路についたのだ。


(大神くん、ちゃんと待っているでしょうか。遅過ぎて、どこかに食べに行っている可能性も……)


 内心少しだけ心配なエリーネだったが、すぐにその弱音を振り払った。

 なぜなら、彼女は知っているからだ。

 ――彼は絶対に、自分を置いてなど行かない、と。


(初めて会った時から、そうですもんね……)


 昔――半年と少し前を振り返り、エリーネは薄く微笑んでいた。思わず腕に力がこもってしまったため、胸に抱えた紙袋が、クシャリ、とひしゃげる。


 と、その時。

 ゾワリ、と背筋に悪寒が走った。


「!! 今のはっ!?」


 何かが纏わり付くような感覚。とにかく不快な感覚がエリーネを襲った。

 彼女は周囲を警戒する。

 だが、道行く人々、すれ違う人々は何も感じていないようだ。

 つまりは――


(魔術的な何か? それに、人々に影響がないということはどこか遠くで……まさかっ)


 茶髪頭の少年の顔が脳裏に浮かんだ。もしかしたら、彼の身に何かあったのでは?

 ポケットから端末を取り出し、コール――だが、通じない。


《――お掛けになった電話は、現在電波の届かないところに――》


「っ!」


 居ても立ってもいられなくなったエリーネは、わき目も振らず走りだした。



 数分走り続け、バーガーショップへの行きにかかった時間よりも大幅に早く森林公園に辿り着いた彼女を待っていたものは――


「……なんなんですか、これ……」


 まるで毒のように膿み、蠢動している結界が、森林公園全体を覆っていた。そのせいで内部の様子を覗き見ることも、魔力を感知することもできない。

 周囲では異変に気付いた野次馬たちがしきりに騒いでいる。


「結界……さっきの不快感の原因はこれですか。……でも、これほどのものを展開し続けるなんて……」


 並の業ではない。少なくとも、一流の腕を持つ魔術師の仕業だろう。だが、これはいったい何の目的で? なぜ森林公園などに結界を?

 そもそも、街に駐留している治安維持部隊は何をやっているのだろうか? これほどの異常事態、放っておいていいはずがないのに。


 答えはわからない。否、それよりも優先すべき事がある。


「……大神くんは、きっとこの中にいる」


 ならば、助けなければならない。彼はきっと一人で戦っている。攻撃魔術を使えない彼では魔術師にまともに対処することはできないはずなのに、戦っているはず。

 本当は臆病なのにも関わらず、一人で立ち向かっているはず。

 だから、行かなければならない。

 だって――


「……私とあなたは、――パートナーですから」


 彼を放ってはおけない。

 彼が、何かもどかしい想いに囚われているのは知っている。彼の過去に何かがあったということは、時折彼が見せる空虚な表情から察している。


 でも、そこへ踏み込む勇気が持てなかった。今の、危ういながらも存続している泥船のような関係を壊したくはなかったから。

 この国へ来て、始めてできた……友人。そんな彼を失いたくなどなかった。


 だから、今ここで敏也を見捨てることなど、エリーネにはできないのだ。そのような選択肢など、彼女の頭の中には始めから存在しない。


 荷物を投げ捨て、決意を胸に、両手を前方へ翳す。

 ――目標は結界。毒のように汚らしく、おぞましく蠢く壁。

 彼女は息を吸い、目を瞑る。


「これより、結界への介入を開始。――その後、主導権を奪取します」


 工程を確認するように口にし、魔力を練り上げ、手のひらへと集中させる。

 すると、彼女の手のひらが淡く発光したかと思うと、その光が、くすんだ色の結界へと波紋状に送り込まれ始めた。


(――敵の魔力の波長を分析――敵魔力に干渉しないほど放出魔力を先鋭化――結界の構造を解析――そして、私の魔力で少しずつ改変を加えていく――)


「っう……!」


 バチッ、と魔力が散り、彼女の身体を打ち付ける。

 エリーネは身体に走った痛みに顔を顰めた。


 強引に結界構造へ介入しているため、そして送り込んでいる魔力のコントロールが甘かったため、結界に通っている敵の魔力と自分の魔力が反発したのだ。


「……っ……手順を見直して……再アクセスを敢行……」


 もう一度、魔力を送り込み始める。

 すると、今度は少しずつ彼女の手のひらの周りの結界の色が変わり始め、淀んだドブのような色をしていた結界が、徐々に光の色へと変換されていく。


 今のところ、結界の構造上にトラップや妨害用の術式は検出できない。

 どうやら結界の術者は、エリーネという介入者に構っている余裕がないようだ。先ほどから大胆に構造にアクセスしているというのに、何の妨害も起こらない。


 ――ただ単に、一介の魔術師では理解不能なほど、この結界が複雑な魔術構造をしているだけ。ならば可能。抗うことも、打ち勝つこともできるはず。


(……いける!)



「どうした、動きが鈍くなっているぞ。――もう限界か?」


「うっせえよ! 黙れ!」


 槍が雨のように突き出される。

 敏也はその攻撃を、ある時はその尖端を剣の腹で弾き飛ばし、ある時は盾の表面に滑らせることで軌道を逸らし、ギリギリで躱している。

 ――だが、少しずつではあるものの、敏也は押され始めていた。


(速すぎる……)


 敏也は続けざまに振るわれる槍の刺突を後退しつつ、弾き、受け、躱しながら戦慄していた。

 予想していたよりも圧倒的に白兵戦に特化している男。しかも、この男はまだ遠距離の術式を使っていないのだ。あくまで近距離の戦いのみで、敏也を圧倒している。


 頭部を狙ってきた一撃が、毛先を掠めていく。


 そもそも反撃する隙がまったくない。

 いや、反撃をさせないように、微弱な緩急をつけながら刺突のタイミングと場所をずらし、敵に攻撃パターンを読ませ辛くしているのだ。

 これは、学園の戦闘訓練ではとても身に付かない技術。


(……明らかに実戦の経験者だなっ)


 これで遠距離からの攻撃まで加わったのなら、目も当てられない。


(――時間もそうない……っ)


 一瞬だけ、横目で数メートル離れた位置にあるベンチを伺う。

 未だ荒い息をついているシュンとレンの姿を捉える。早くここから脱出しなければ彼らの命が――


「――余所見とは余裕だな、大神敏也?」


 だが、男はその一瞬の隙でさえ見逃してはくれなかった。驚愕に歪む敏也へと、槍による神速の刺突が放たれる。


「っ……このっ!」


 咄嗟にその先端を左手に持った盾の端でカチ上げ、なんとか避ける。だが、男の右足によるミドルキックが続けて放たれ、避けきれずに吹き飛ばされた。


「があっ……ぐ! ……っ……」


 横腹にクリーンヒット。強化された身体が軋む。

 そのまま、両腕から装備を跳ね飛ばしつつ、地面を数回バウンドしながら樹木へと激突し、敏也の滑走は終わった。

 そのままぐったりと倒れ伏し、ピクリとも動かない。


 それを一瞥した男は、相も変わらず冷たい眼差しで彼を見つめ、ひどく失望した声色で言う。


「……期待外れだな。最初の気迫は十分だったが、――そのあと、何かがお前の心を止め、実力を阻害している」


 槍の石突で、苛立たしげに地面を穿つ。


「なぜ斬撃の瞬間に躊躇う? なぜわたしの一撃一撃に必要以上に怯える? 脳の処理が肉体強化一辺倒の貴様ならば、この程度の攻防を恐れる必要などないはずだ」


「……」


「何故そうなるのかはわからんが……それを何とかしない限り、お前は戦場では戦えない。――何も守れない」


「……うるせえって……言ってんだろ……この……変質者がっ。……偉……そうに……説教すんじゃ……ねえよ……」


 敏也が痛みに呻きながらも、倒れ伏したままの状態で顔を男に向けた。

 だが、男はそれでも呆れた口調を変えなかった。


「大人の忠告は素直に受け止めるべきだぞ、大神敏也。それができないのは子どもである証拠。つまり、貴様はまだまだ半人前の魔術師だということだ」


「……はっ、ご忠告……どうも。ありがたいこって。――でもな」


 敏也はよろよろと身体を起こし、立ち上がると男を睨みつけた。


「大人なんて信用できるかよ。自分に都合の悪いことには蓋をして、自分を偽って! 泣いている子どもがいるのに見て見ぬふりをする大人なんて……――――信用できるわけないだろうがッ!!」


 突如、敏也が怒りを露わにした。――いや、これはもう憤怒といった方がいいかもしれない。歯は噛み締められ、目尻はかつてないほどに釣り上がり、表情全てが怒りを体現している。


 それほどまでの激情と、覆面の男が無意識に一歩下がるほどの魔力を彼は吐き出しているのだ。


 男は目を見張り、品定めするように敏也を見た後、


「ふむ? 蓋……隠蔽工作のことか? それに確か資料には、こいつは孤児だったと……――なるほど」


 視線を伏せながら考えを整理するように小さく呟いた後、男は再び敏也を見据え、


「得心がいった。貴様――あの事件の生き残りだな? ならば、貴様がそれほどまでに大人を毛嫌いする理由もわかる。あれは、事件に関わった者たちが誰一人として納得できない幕切れだったからな」


 そう言いつつ、槍を構え、


「――では、その怒りをわたしにぶつけてみろ。貴様の怒りが、研いできた力が、貴様の毛嫌いする大人にどれほど通用するか――試してみるといい」


「……言われなくてもっ、やってやるよ……ッ! ――ズタズタにしてやるッ!!」


 言いつつ、右手に再び刀を生成していた。

 それを右肩後方へと腕を振りかぶり、いつでも振り下ろせる体制を取っている。

 しかし、


「む?」


 男が呻いた。その目線は上方――結界へと向けられている。


「――介入か。それも恐ろしく手際の良い……まさかっ――例の少女か。……想定よりも到着が早いぞ」


 苦々しげに呟きつつ、男の脳裏をある下種な考えが巡った。


「……この介入速度では、結界は持って十分ほどか……戦いながら妨害の術式を組むわけにもいかん……なら、良い餌になるかもしれん。彼女をチラつかせれば、こいつのタガが外れる可能性が……」


「何をボソボソと――」

「聴け、大神敏也」


 敏也の怒声を、男の冷徹な声が遮った。そして、


「どうやら、外には銀髪の少女がいるようだ」


「な、に?」


「わたしは心底うんざりしている。本来、わたしは貴様のような腰抜けに構っているほど暇ではないのだ。で、あるのに、わたしが貴重な時間を割いてやっているというのに、貴様はいつまでたっても本気を出そうとしない。よって――」


「っ! ……何が言いたいッ!!」


「――その少女を殺そう」


「……っ」


 その言葉の意味と、それがもたらす結果に怯んだ敏也を見据えている男が、覆面の下からでもわかるほど下卑た笑みを浮かべる。


「皮膚を斬り裂き、抉り、四肢をバラバラにして――貴様の前に突き出してやる。そうすれば、いくら腑抜けの貴様でも本気にならざるをえんだろう? ――そうだ、ついでにさっきの子どもたちも縊り殺してやる。お前はさぞや満足してくれるだろうな」


 敏也は固まっていた。今にも泣き出しそうなほど悲痛に表情を歪めて。

 恐らく、男の言ったことを、その惨劇の情景を頭の中で反芻し考えているのだろう。


 ――だが、それは数瞬の間だけだった。


「……っははっ、はははっははははは」


「気でも振れたか?」


「ははははは、は、……はぁ――限界だわ。もー、無理っ!」


 敏也は首をゆらりと男に向ける。その表情は虚ろで、目は曇り、それでも口元はニンマリと不気味な笑みを作り、その何もかもが狂気を孕んでいた。


「もうさぁ、死ぬのが怖いとか、殺すのが怖いとか、――言ってる場合じゃないよな」


 途中から声色に滲んでいた狂気が消え、その顔からは表情が消え、能面のように変わり映えのしないものになっていた。

 それを見た槍の男は、壊れたのか、と落胆した。


 だが、敏也は壊れたわけではなかった。ただ、怒りで恐怖を塗りつぶし、一々強張ってしまう身体を無理矢理動かそうとしているだけなのだ。

 彼の脳裏では理性の警鐘とともに、過去の火の情景がチラついている。心はやめろと叫んでいる。このままでは死んでしまう、逃げろと懇願している。


 死ぬのは怖い。殺すのも怖い。だが、止められない、止めたくない。それに――


(許したくない)


 こいつはエリーネとあの子たちの敵。罪のない命を奪おうとする卑劣な存在。


 ならば、容赦など必要ない。遠慮など不要。情けなど無用。

 恐怖を噛み締め、噛み砕き、今だけは、この怯えを取り去ろう。

 念じ、念じ……己の弱い心を補強する。


 そして――握りしめていた刀の柄に、罅が入った。いつのまにか、それだけの力で握りしめていた。気にせず表情を取り戻し、ギラついた目で敵を見据える。


「――散々舐めた口ききやがって。あいつらを殺す? ――いい度胸だよ、お前。そんなに死にたいんならさ、早く言ってくれればよかったのに」


「……なにを言っている?」


「あれ? 違うのか? さっきからやたらと挑発してきてるじゃん。てっきり死にたいのかと思ったよ」


 敏也はヘラヘラと笑っている。それがどうしようもなく不気味な様を演出している。

 そしてその在り様が、槍の男に違和感と得体の知れない気持ちの悪さを抱かせた。

 それは、仲間を殺すと言われて笑っていられる人間など、壊れているモノ以外にそうはいないからだ。


「……お前はなんだ? それは自信か? それとも、錯乱しているだけか? 生憎、わたしはカウンセラーではないのでな。診療はできんぞ」


「……あー、いいよ。気にしなくて。嫌なこと思い出して、ちょっとハイになってるだけだから。悪いな、迷惑掛けて。…………だから、お詫びにさ……」


 その時、敏也の妖しげな光を灯した瞳が、男を捉えた。

 飢えた獣がようやく獲物を見つけたかのような、仇を前にした被害者がいきり立つかのような、黒々とした殺意と衝動に満ちた目。


 それを見た男は反射的に身構え、槍でいつでも迎撃できる態勢を取った。

 直後――


「――斬り刻んでっ、殺してやるよォ!!」


 敏也が男へ向けて真っ直ぐ地面を駆け出した。

 普段の彼よりも格段に速いスピードでの突進。何の躊躇もない疾走。

 だが、それでは、直線的な動きではカウンターの餌食だ。


「……やはり錯乱していたか。愚かだな」


 槍を、敏也の進行方向へ合わせるように構え、突き出す。

 男の強化された身体能力と合わさっての超絶的な速度での刺突。周囲に満ちている大気が烈風と化すほどの威力。さながらそれは弾丸。

 ――躱せるはずがない。万人がそう思うほどの突き。

 しかし、


「なめんなァァァ!!」


 敏也が吼える。

 それとともに、加速中の身を強引に捻り、軌道を僅かに修正する。強化しているはずの全身の筋肉がミチミチと音を鳴らしながら今にも断裂しそうになる。

 ――それでも構わない。たとえ、殺意と衝動に呑み込まれようとも、構わない。


(みんなを殺されるよりはマシだッ!!)


 歯を食いしばりながら、過負荷に悲鳴を上げ続ける身体を叱咤し、痛みに耐える。

 そのまま彼は駆け続け――肩口を槍が掠めた。


「なんだと!?」


 男が予想外の事態に驚く。

 身体の中心へ直撃だったはず――なのに、彼はあのほんの一瞬の内で槍の軌道を見切り、それを躱すために身を捩ったのだ。

 先ほどまでは、肝心な時に身を竦ませていたというのに。


(こいつっ! 本当にタガが外れたかっ!)


 覆面から覗く男の双眸が驚愕に染まった。

 まさか、たったあれだけの脅しで、敏也がここまで豹変するとは男も思わなかったのだろう。それだけ敏也はエリーネのことを本心では大切に思い、あの子どもたちのことを好いていたのだ。


 戦いが始まってからようやく、男の余裕の鉄面皮を崩せた。

 だが、敵に驚いている暇など与えない。いや、絶対に与えはしない。

 敏也は肩口から迸る血流と痛みを無視し、そのまま接近。そして、すれ違いざまに男の胴目掛けて、裂迫の咆哮とともに容赦なく刀を振り抜いた。


「――くたばれぇぇぇぇッ!!」

「――甘いッ!」


 直撃かと思われた、が、男は咄嗟に槍から離した右手に新たに剣を――マンゴーシュと呼ばれる防御に特化した短剣を生成し、敏也の刀を防いでいた。

 男の右腕は、敏也の渾身の一撃を片手で受け止めたことによる高負荷で軋んではいるものの、それでも、今もなお刀と短剣で競り合っている。


 そのまま男は左手に残していた白銀の槍を、近距離でも突き刺せるように持ち直しつつ、その目で「残念だったな」とでも言いたげに敏也を見た。

 今すぐその顔に負傷など気にせず掴みかかってやりたい。だが、まだだ。


(……魔力を両足に集中)


 男が左手に持つ槍が、近距離から敏也の顔面目掛けて突き込まれる。

 今に突き刺されるのでは――となる瞬間、敏也は押さえこまれていた刀から手を離し、大地を力の限り蹴り、左方向へと飛び出した。

 槍は何もない場所を素通りし、地面に突き刺さる。


「……っ、しま――」


 男が己の失策に呻く。

 敏也が肉体強化に秀でていることは事前にわかっていたはず――なのに、迂闊にも隙を晒してしまった。すぐさま、槍を引き抜きにかかる。


 槍を抜くまでの僅かな時間に、敏也は男の後方へと回り込んだ。両腕を虚空に翳しながら、その背に接近する。


「……生成、バスターソード」


 重量感のある武器が生み出され、両腕で抱え、そのまま振りかぶる。

 男もそれに反応し、強化された力に任せ、振り返りざまに大地から引き抜いた槍の穂先を横薙ぎに振るう。


「大神ぃ!」

「……」


 バキャン、と何かが砕ける音が響き、槍の穂先が粉砕された――それに加え、バスターソードの刀身までもが、粉々に砕け散っていた。


 重量と強度で勝っているはずのバスターソードが、いったいなぜ。


(……魔槍か)


 能力を解放していなかったようだが、この白銀の槍は魔槍だったようだ。

 ただの武器よりも、魔を付加された武器のほうが強度は圧倒的に上。男が能力を解放しなかった理由は気になるが、今はそれよりも優先する事項がある。


 敵は今、左手に持った自壊中の槍と、右手に残っているマンゴーシュしか武装が無い。攻めるには、殺すには絶好の機会。


 前へ。身体を前へ。足を踏み出す。恐怖を踏み越え、前へ。


 砕け散った大剣と崩壊を始めた白銀の槍、その二つの魔力の残滓が雪のように舞う中、敏也は突き進んだ。

 一メートルもない距離――だが、それ以上に長い距離に思えた。


「……っ、素手で……!」


 ――なにができる!

 男の、まるで自分を、戦いを愚弄されたことに怒るような批難の声が届いた。

 だが、


「……関係ない」


 この男を倒すことには雀の涙ほども関係ない。戦いの矜持など、知った事か。


 男が、荒々しくマンゴーシュを突き出してきた。

 それに対し敏也は身を屈め、その体制のまま地面を滑りつつ攻撃を躱し――両手を地面に着け、マンゴーシュを持っている男の腕を蹴り上げた。

 強烈な衝撃によってマンゴーシュが男の手を離れ、空中を舞う。


「……くっ」


 それを見た男が、忌々しげに唇を引き結んだ。

 その時――


「……終わりだとでも思ってんのか?」


「な……ぐぅっ!?」


 凶悪な笑み。そして言葉と共に敏也が、僅かな間ながらも注意を逸らしていた男の顔を右手で掴み、指で万力のように絞め上げながらその長身の体躯を持ち上げた。


「――これで……一発ッ!!」


 即座に、反撃をされる前に、怒りと気迫が込められた声と共に、男の身体を地面へと容赦なく叩き付けた。殺す結果になっても構わない――そう念じつつ、渾身の力を込めた一撃。


 ズズンッ、と地響きが鳴り、衝撃を伴って地面に亀裂が入った。周りの樹木が振動によってさざめき、地中に張っていた根がパキリと割れる。

 幾筋ものひび割れが生まれ、大地が陥没。

 それほどの圧力で叩きつけられた男が、耐えきれず痛みに呻く。いくら肉体強化ができようとも、これほどの威力は殺しきれない。


「ぐはっ……ぐ……っ!」


 だが、男は激痛に苛まれながらも、打撃の直後の一瞬の隙をつき、敏也の手から逃れた。

 そのまま後方へと数回跳躍を繰り返し、彼と五メートル近くの距離を取ると、土に汚れた格好のまま苛立たしげに彼を睨んだ。


 ボロボロの覆面に覆われた頭から顎へと、一筋の血が流れ――


「大神……敏也ッ!!」


「はっ、なんだよ。人間らしい表情できるんじゃねえか。てっきり、感情が無い人形かと思ったぞ。……顔は見えねえけど」


 陥没した地面を満足げに踏みしめながら、ニヒルな笑みを浮かべる。そして新たに武器を――刀を創り上げ、それを構えると敏也は男を挑発した。


 肩の傷が痛む。脳を支配していたアドレナリンが抜けてきているのだろうか。

 恐怖を懸命に抑制していた心が、今にも決壊しそうだ。

 息が少しずつあがって、目の前が霞み始める。


(まだ、もうちょっとだけ……)


 自らに訴えかけ、折れかけている心を叱咤する。


 男は深呼吸一つで怒りを鎮めると、再び敏也を冷淡な眼差しで見た。


「――なるほど、今のが貴様の本性か。だがまさか、たったあれだけの挑発で激昂するとは。どうやら貴様の実力を阻んでいるのは純粋な死への恐怖らしいな。……まったく、わかりやすいがゆえに取り除き辛い問題だ」


 そう言いつつ、ほとんどが白に染まりつつある周囲の結界を眺めた後、瞳に再び恨みを滲ませながら敏也を見た。


「……どうやら時間切れのようだ。残念だが、ここで引かせてもらおう。――だがな、これがわたしの実力だとは努々思わないことだ。わたしは――」


「――遠距離の術式を使わなかった、だろ? お決まりだよな。勝てなかった言い訳をして去るっていう敗者のパターンとしてはさ」


「……なに?」


 敏也の馬鹿にしたかのような口調に、男は眉根を寄せながら彼を見た。


「どんな理由があったにせよ、お前は俺を屈服させられなかった。――つまり『倒せなかった』んだ。そのこと、忘れんなよ?」


「……減らず口をッ!」


 男は苛立たしげに地面を踏みしめると、声に憎悪と愉快さを込めながら、


「フッ。――いつか、お前を殺してやる」


「じゃあ今ここで、――殺される前にお前を殺してやるよ、下種野郎」


 互いに怒りと憎しみを込め、睨みあう。それは数秒間のことだった。


 ――そして、ついに結界の全てが白に染まった。

 直後、ガラスが割れるように結界が砕け散り、内部の、呪言によって淀んでいた空気が薄まり、正常さを取り戻していく。


「! 待てっ!」


 覆面の男は結界の破片に紛れ、忽然と姿を消していた。



 その後現場に訪れた、主に魔術師と魔動機パイロットによって構成される治安維持部隊と、公的機関の救急隊員によって被害者たちの救助が行われた。


 幸い、全員が極度の衰弱を起こしていたものの、命に別状はないとのことだ。そして、生存確認が行われた彼らは順次病院へと運ばれていった。


 覆面の男の行方は結局わからなかった。

 奴は、痕跡一つも現場に残してはいなかった。それに加え、近隣住民などに聞きこみ調査を行ったそうなのだが、目撃証言は何一つとして得られなかったそうだ。「捜査は難航するだろう」というのが、聞きこみ調査をしてきた治安維持部隊の中間管理職の人物と警察官の意見だった。


「……大神くん、肩の具合はどうですか?」


「ああ、大丈夫。ちゃんと回復魔術が効いてるみたいだ。これくらいの傷なら、もうじき塞がるって、救急隊員の人が言ってたよ」


 まもなく、午後三時を回る頃合い。


 治安維持部隊と警察は、合同で現場検証に当たっている。周囲に山のように殺到していた野次馬たちは警察が遠くへと追いやって押さえこんでいるため、森林公園の周囲は比較的静かである。


 敏也とエリーネは、森林公園の近くに停車している救急車の後部に並んで座り込んでいた。二人は軽傷、もしくは無傷であったため、先ほどまで治安維持部隊や警察に、個別に事情聴取を受けていたのだ。


 彼の肩の傷の上では、回復魔術の術式が発光し続けている。今、この下では術式によって活性化された細胞が傷口を塞ごうと奮闘しているのだ。


 回復魔術は、魔術師ならば容易に扱える部類の魔術である上、傷を早く塞ぐことができる便利なものだ。ただ、傷の大きさや深さによっては被術者の体力を著しく消耗してしまうという難点もある。


 エリーネは不可解そうな顔をし、


「――覆面の男。……何者でしょうか?」


「……さあ、何なんだろうな。やけにこっちの事情を知ってたみたいだけど」


「……事情を知っていて、結界を張った上で戦闘を行う……。教官の可能性は?」


「それはもう治安維持のおっさんに言っといたよ。――でも、『結界を張った』って事実がわかった時点で、その可能性は思い付いたらしくてな。全員のとこに部下飛ばして内密に調査して、結局アリバイがあったんだってさ」


 それに、と敏也は続ける。その双眸を細め、


「あの目は……絶対に教官じゃない。あんな冷たい目をした人は、教官たちの中にはいなかった」


「……では手詰まりですね。捜査の進展を待つしかない、ということですか」


「……ああ」


 敏也はそう返事をして、空を見上げた。そのまま一向に顔を降ろそうとしない。

 そんな彼の様子を訝しんだエリーネは、彼の横顔を心配そうに覗き込みながら、


「大神くん? どうしたんですか?」

「……」


 呼びかけに応えようとしない彼の肩は、少しだけ震えている。


「……もしかして、傷が痛むんですか?」


「…………違う」


 短く、ぶっきらぼうな返答。なにか変だ。


「じゃあ何が――」

「ごめん、エリーネ」


 敏也は彼女の言葉を遮りながら謝罪すると、エリーネの右肩へと顔を埋めた。


「……え?」


 トンッ、と肩に敏也の頭が乗り、心地よい重さが感じられる。でもどこか、それは弱々しくて、儚い重さに思えて。

 彼のその行動はまるで、今の自分の顔を誰にも見られたくないかのようだった。


 自分の身に何が起きたのか理解できず、一瞬呆気に取られたエリーネではあったが、すぐに顔を羞恥に染めた。


「え、お、大神くん? 何してるんですかっ? 離れ――」


「――俺っ……何もできなかった……っ」


「……!」


 その声は、湿っていた。後悔と、自らへの失望によって。


「あの子たちを助けることも……あいつを倒すことも……」


「……」


「エリーネが結界を壊してくれなかったら、きっと……みんな死んでた。――何も出来なかったんだ! 俺は……っ!!」


「大神くん……」


 エリーネの左手が、少しだけ戸惑いながらも伸ばされ、敏也の頭を優しく撫でつけ始めた。戦い疲れ、後悔と禍根によって傷付いた彼を労わるように。その未熟な存在を愛しむように。


「俺っ、俺……っ!」


「――自分を責めないでください」


「っ!」


「あなたは必死に戦った。そのおかげで敵の注意を逸らすことができて、私は結界への介入に集中できたんです。……どちらが欠けても駄目でした。私たち二人が頑張ったからこそ、最悪の結果を回避できたんです」


 彼女の優しげな声が、言葉が、心に沁み入ってくる。

 そう、彼女はいつだって優しいのだ。

 わかっていた、そんなことは。始めからわかっていたのだ。

 ただ――


(……俺が……この子に嫉妬してただけで……)


 自分と同じ『半端者』。なのに、彼女は自分と違っていつだって頑張っていて、成績も良くて、他のことでも自分なんかじゃ及びもつかなくて。

 たったそれだけで、それだけのことで、素直になれなかった。

 こんなにも彼女は優しく、自分の傍にいてくれたというのに。


「……エリー……ネ……っ」


「――でも……辛いなら、悔しいなら、泣いても構いませんよ。……今だけは、私の肩を貸してあげますから」


「……ぐっ……うぅぅぅぅ……っ!」


 情けなかった。意地と虚勢を張ることしかできなかった自分が。

 悔しかった。いつまでたっても変われないことが。

 必死に押し殺そうとしても、堅く噛み締めた歯の隙間から漏れ出る嗚咽。

 そして、道路を走るパトカーと救急車のけたたましく鳴り響くサイレンの音が、御陰市の空で響いていた。




〈胸の――心の虚で、何かが疼いている〉




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