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『BLUE TAILS』  作者: むぎ
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第3楽章

強請って買って貰ったサイクロン式の掃除機を止めて、だだっ広いリビングを見渡した。これで今日の掃除は完了である。

掃除機を物置戸棚にしまって、キッチンに向かい電気ケトルをオンにする。湧いたお湯でミルクたっぷりのカフェオレを作ってリビングに戻り、ゆったりとしたオフホワイトのソファにもたれるようにラグの上に座る。

カフェオレをコクリと飲みながら、ちらりとソファの背もたれに視線を送る。そこには暖かそうな男性用の黒のハーフコートがかけられている。藍のコートだ。掃除の間、ずっと気になっていたものだ。

視線を転じてちらりと壁掛け時計を見上げる。2人は今日、事務所から直接羽田に向かい札幌行きの飛行機に乗る。明日ある札幌市内であるファンイベントの為だ。

まだ4月とはいえ、肌寒い日もある。北海道なら尚更だろう。迷って置いていったのだろうか。絶対持って行ったほうがいいと思うんだけど。ああ、でももう13時20分。14時台のフライトだったはず。やっぱり掃除前に届ければよかった。もう搭乗手続きしちゃってるかな。でも空港はファンいっぱいだろうしな。

結子さんの忠告が足枷になり、行動を躊躇させ、結局は間に合わない時間になってしまった。


ふう、とため息を吐き、マグカップをローテーブルに置くと、もぞもぞとだらしなくもソファに乗り上げてコートに手を伸ばした。置きっぱなしには出来ない。藍の部屋のクローゼットへ戻さなくては。

そう手に取ったとたん、藍の香りと、着けているグリーンノートの香水の香りがした。ずいぶんと懐かしいと感じてしまうのは、それだけ側から離れている期間が長くなっているからだろう。

ここのソファに2人が座って、あーだこーだ言いながら曲作りをしている時、2人の間に座り込んでそれをBGMにしていたのがついこの間だったような気がするのに。

あれだけ2人の活動を応援しようと思っているのに、いざ離れてしまうとさみしく感じてしまう。一緒にいて欲しいと考えてしまうなんて、なんてわがままだろう。自分から離れたのに。

ソファの背にもたれながら藍のコートを胸までかけると、小さな自分はすっぽりと包まれてしまう。

「───ちょっとだけ、」

いいだろうか。

2人は北海道だ。社長も2人がいないのにここにはこないだろう。誰も咎めない。

───ちょっとだけ、許して欲しい。

この関係が壊れるのが怖いから、ずっと隠している自分の気持ちを解放させて。

───ちょっとだけ、想わせて。

「‥‥‥あーちゃん」

思わず零れた名前。ふふ。あーちゃん、だなんて。


中学生の頃。友達との街に行った時に、大学生の蒼太と藍が彼女を連れてデートしているのを目撃した。彼女と腕組んで。ベタベタしちゃって。デレデレしちゃって(特に兄)。ニヤニヤしちゃって(特に兄)。

ふけつ! フケツ! 不潔!

自慢の兄への信頼も砕け散ったが、気付いたあーちゃんへの恋心も気付いた瞬間砕け散った。


ふと固まって凝視している私に気付いた兄達からプイッ顔をそらし、友達に断りもなしに一目散で家に帰った。そして思春期の特権&特有の潔癖さをフル活用した。2人と2週間口をきかなかった。一緒に食事もしなかった。

3週間目。やっと口をきいた私に、2人は安堵したと同時に、それまで呼んでた「そーちゃん」と「あーちゃん」が、「バカ兄」「アホ兄」「そーた兄」と「あお兄」に変わったことに嘆いた。

だって兄妹なら2人に彼女が出来ても私の居場所はあると思い込んだ。


そして今日、コンビニで見たゴシップ雑誌。表紙にでかでかと「ブルー」「一橋藍(あ・お・い、とルビ付き)」「熱愛」の文字が躍る。一時的にどちらの一橋藍さん? と脳が現実逃避した。

僅かに震える手で雑誌を取り、ページを捲ってみれば、私の知っているあお兄さんでした。しかも相手は美人マネージャーの結子さんでした。ちんちくりんの私は論外ですね。前に見掛けた彼女も超美人さんだったし。


同じ人に、二度も失恋かぁ。

そうだよね、いい加減もう昔のままでなんていられないよね。そんなこと、兄妹でも無理だってわかるのに。とっくに分かっているのに目を反らしてしていた。そろそろ向き合って、ケリを付けないとね。

───だけど。もうちょっとだけ、帰るまでの時間まで想わせて。ここのドアを閉めたら諦めるから。

「‥‥‥あーちゃん」

もう一度呟いて。大好きな人の香りに優しく包まれて、瞼を閉じた。



うむう?

気がつくと大きな手が、私の頭をやわらかく撫でている。おでこから長い指を梳き入れて。長い髪の毛をはらりはらりとソファに落とす。目を閉じていてもわかる。ああ。この手は。

(あーちゃん‥‥)

一瞬止まった手が、また動き出す。

ふふふ。嬉しいな。昔、褒めて貰うときによくやってくれたけど、今は全然ないし。そういえばあお兄と呼び出した頃からかな。それにしても。ああ、気持ちいいな。

(良い夢だな。覚めないといいのに)

(夢だとおもうの?)

私は頷く。

(だって2人は北海道だもの)

(そっか。そうだね)

(うーん。あーちゃんの声、いいなぁ)

(ありがと。これで食ってるからね)

(ふ。そだね)

なんだか以前のようなやり取り。

(あーちゃん)

(ん)

(あーちゃん)

(なに、瑠璃?)

呼んだらちゃんと答えてくれる。良い夢だ。でも良い夢ってすぐ覚めちゃうんだよね。私はちょっと焦る。

(ねぇ、あーちゃん)

(うん)

(わたしね‥‥‥)

(うん)

ああ、現実の藍みたいにじっくり話を聞いてくれるんだな。

(寂しいよ)

(‥‥‥瑠璃?)

手を伸ばして、髪を撫でていた藍の右手を探し当て、それを掴み頬にあてる。

(寂しい‥‥)

2人が有名になって、中々会えなくなった事とか。3人で音で遊べなくなった事とか。藍に恋人がいることだとか。それで私から離れていっちゃう気がするだとか。夢うつつの中で必死に訴える。ひとつつぶやく度に頷きながら(大丈夫だよ)と藍がゆっくり囁いて、流した涙を親指でぬぐってくれた。ピックを持つ部分がちょっとだけ厚い。

(本当に良い夢だなぁ)

(うんうん)

(あーちゃん)

(ん)

(あーちゃん)

(うん。何? いいよ、何でも言って)

(あーちゃん、あのね)

(うん)

(‥‥‥大好き)

ずっと言えなかった言葉。夢だから言える言葉。

(ずっと、好きだったの)

満足してほう、と息を吐くと、私の額にやわらかい感触がした。次に頬。そして瞼。

なんだろうこれ、気持ちいいな。と思っていると、涙をぬぐっていた藍の親指が私の唇をなでた。

うー、しょっぱい。口に涙の味が広がる。ん? しょっぱい? 夢でも味がわかるんだ? 眉をひそめていると、やわらかい感触が唇にも落ちた。

(ごめん、瑠璃。僕は‥‥僕も‥‥‥)

(んん? あーちゃん?)

あーちゃんの声が何だか苦しそう。それになんか変な音がする。

(僕も‥‥瑠璃のことが‥‥」

(うん?)

ごめん、あーちゃん。なんだかさっきから音がして良くきこえないんだけど。しかも段々大きくなってきてるし。なんだろこの音。


ドンドンドンドンドンドンッ!

ピンポンピンポンピンポーン!!


夢の中にも聞こえてきた音は、8ビートと16ビートのセッションでした。

私ははっと目を覚ました。

「なぅ!?」

変な声を出しましたが、目の前にここにいるはずのない人物がいたから仕方がないでしょう。

「あー、あ、あ、あおあおあお兄!? なんでここに!? 北海道は!?」

無表情だった藍が、はぁーーーと息を吐き、私を囲うようにソファに着いていた手をどかす。そして立ち上がってインターフォンの画面を操作する。

「なに」

『何じゃないわよ、いつまで待たせるの! コートは見つかったの!?』

液晶画面に結子さんのドアップが映る。ああ、そっか。やっぱりコートを取りに帰ってきたのか。

「ごめん、見つかった。もう出るから」

そう言って通話修了のボタンを押すと、藍は振り返って片手を挙げた。

「ん」

「え? あ、ああ、ごめん。コート、コートね。ごめんごめん。あお兄のコート、お昼寝毛布にしちゃってた」

私は慌てて立ち上がり、藍にコートを手渡した。

「北海道、まだ寒いもんね。風邪引かないようにねっ!」

何か言いかけた藍を遮る形で、私は早口でまくし立てた。

返事を待っていると、藍は俯いてた私の頭を「ああ」とポンポンと叩いた。

「‥‥‥瑠璃のにおいがする」

「ばっ! ばかあお兄!!」

「ははは」

コートを着た瞬間、恥ずかしい発言をした藍の腕をバシバシ叩く。

「商売道具を壊さないで」

「だいじょうぶ! 加減してるから!!」

ごまかすようにじゃれながらリビングを抜け、玄関で靴を履く藍を見送る。俯く藍をこっそり見つめる。暫く会わないうちに、またかっこよくなったな。いつの間にか仲の良い”お兄ちゃん”じゃなくて、もう”男の人”だね。

「‥‥‥いってらっしゃい」

でも、もうケリ着けるって決めたんだ。諦めなくちゃ。ばいばい。私の恋。私の好きな人。私だけのあーちゃん。

これで終わりにするから。大好きな藍をとびっきりの笑顔で見送ろう。

「瑠璃?」

私をみて、藍が怪訝な顔してる。

「ん?」

あ。やりすぎたかな。この消さなきゃ行けない気持ちは気付かれちゃだめだ。私は普段の顔に戻って首を傾げる。

「いや‥‥‥あの、さ‥‥‥」

藍が言いかけたところでまた8ビートと16ビートのセッション。

藍はドアを振り返り、ため息をついた。

「あー。帰ってから話す、な」

「? うん‥‥‥」

結子さんとの事かな? と考えてた私の頬に、藍の手がするりとかかった。

「え」

そっと顔を持ち上げられ、頬に覚えのある柔らかい感触がした。思わず額に手を当てて、視線で藍を問いただすと、彼は優しい視線を私にあわせて「いってきます」と囁いて、ひらりと身体を翻して、ドアから出て行った。今、何が起きた!?

あーちゃん!? なに今の! なに今の! なに今の! 説明! 説明してって!!


「ちょっと!!」

閉まる直前、ガッ! とドアがまた開く。

「え」

入ってきたのは藍ではなく、結子さんだった。藍と一緒だったんだ。瞬く間に藍のグリーンノートの残り香が、きついローズの香りにかき消される。

「やっぱりあなたがいたのね」

背の小さい私は結子さんに見下ろされる。

「最近全然合わないから言えなかったけど良い機会だわ。今度から藍の部屋の掃除は私がしますから」

呆然としている私の前で、結子さんはバッグから鍵を取り出す。え。その鍵って。

「ここの鍵よ。見たでしょ? 週刊誌」

ピンクと紫のキラキラビーズがじゃらじゃらついたキーホルダーを私の目の前で振る。

「あ‥‥‥」

噂の週刊誌を見たと確信した結子さんはふふん、と笑った。

「恋人が彼氏の部屋を掃除するのはあたりまえでしょう?」

当たり前なのかどうなのかわからないが、そういうこともありえるよね。そっか。ここには4人の他に例外はないはずだけど、仕事だけでなくプライベートでもパートナーであればそういうことになるのかも。

「あ、わかり、ました‥‥」

「それと!」

え、まだ何かあるの。

「その髪!!」

髪?

「私と髪型がかぶっているのよ!」

私はよろよろと片腕をあげ、頭を押さえる。2人とも背中の中程まであるストレート。

「それ、藍の好きな髪型なの。やめてくれない? お揃いなんて鬱陶しいのよ! それとも私の藍にモーションかける気なの」

私はゆるゆると首を振る。

「ちが‥‥これは昔から‥‥」

「っ!」

あっという間だった。私が呆然となっていたからそう感じただけかもだけど。気がついたら結子さんは何故か手にハサミを持っていて、私の頭の右側がやけに軽くなっていて、足元に長い髪の毛が落ちていた。

「あ‥‥‥」

呟いたのはどちらだったか。もしかしたら2人ともかもしれない。

バンッ! とどこか遠くで音がして、私はしばらく玄関に立ち尽くしていた。


あー。

やっぱり。

ばかあお兄。

勘違いしかけたじゃん。

さっきの藍の行動は。

大人の男性の余裕で。

冗談の延長で。

私をからかっただけ、だったんだ、ね?

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