第1楽章
交差点の前で立ち止まり、ライトアップされた建物を見上げる。
そこから僅かにリズムを刻む音と歓声が低く聞こえてくる。
もうライブはとっくに始まっていた。
2000人規模のホールでライブ行っているのは、2人のギタリストから成るロックデュオ、『BLUE TAILs』。
リードギター担当、東雲 蒼太は、私・瑠璃の5歳年上、28歳の兄。
そしてサイドギターの一橋 藍は、同く28歳で蒼太と保育園からの親友だ。
小さいながらも楽器屋とライブハウス、貸しスタジオを営んでいた父の影響で、中学生になった兄・蒼太はギターを始めた。そのまた影響で親友の藍も。そしてついでに私も。客のいない時間、空きのスタジオで兄達と遊び半分で練習してたら、音楽の虜になった。それこそ「好きこそ物の上手なれ」という言葉を地でいって、3人はどんどん上手くなっていった。お互いがライバルだったから相乗効果で益々虜になっていった。
うちのライブハウスでライブイベントがあると、私達はお互いの都合があえば、即席ユニットを組んで飛び入り参加をしてた。
あのころの自分たちは最強だった。息が合ってる3人で、そうやってずっと音楽を楽しんでいられると思っていた。
それは兄達の大学卒業間近のことだった。しょっちゅう父の所に遊びに来ているチャラい感じのおじさんがデビューを勧めてきた。
実はこのチャラいおじさん、有名芸能事務所の社長さんだった。それを知ったときはめちゃくちゃ驚いた。前々から私達に目を付けていたらしい。
兄達は内定が決まっていた会社をあっさり蹴り、社長の事務所と契約した。でも、まだ高校生だった私は流石に父に反対され、一緒のデビューは認められなかった。音楽には多大な興味はあるけれど、芸能界にはこれっぽっちも興味はなかった私だから、ユニットに参加出来なくて良かったんだけど、社長さんはかなり残念がってた。
私を除いて2人は大学卒業後すぐに、デビューした。これが『BLUE TAILs』だ。
もともと3人で組んでた即席ユニットの名前が『BLUE TAILS』。
Sが小文字なのは、私が欠けてるからだって兄が言った。ロマンチストでブラコンな兄はとことん私に甘い。
この事を聞いたとき、なんか嬉しいような恥ずかしいような泣きたいような。よく藍も事務所も許可したと思う。
曲の完成度と演奏技術は勿論のこと、柴犬系の人なつっこいハンサムの兄と、ドーベルマン系の孤高の美形の藍は、そのビジュアルの相乗効果もあって『BLUE TAILs』はデビュー後、あっという間に有名になった。そしてたった5年でこんな大きなホールでライブが出来るような有名なアーティストになってしまった。
彼らが好きな音楽を仕事に出来て、また有名になったのはすごく嬉しかった。でも反対に、忙しい2人となかなか会えなくなって。なんだか2人が遠い存在になってしまったのは悲しかった。
信号が青になった。とぼとぼと交差点を渡る。
東京から始まったツアーは日本全国16カ所まわって、本日が最終日。東京で凱旋ライブだ。
入り口前の広場に着いた所でワンショルダーバッグのポケットからライブのチケットを取り出す。
一ヶ月前に兄がわざわざ荷物追跡システム付きの宅配便で送ってきたものだ。
一度、送ったはずのチケットが家に届かなかった事があってからこうなった。
席番の印字を見てため息を吐く。
シスコンの兄は、ステージ真ん前、最前列のド真ん中というファンにとっては超特等席を私のために毎回用意して送ってくる。出来ればもう少し後ろの席の方が良い音を感じられて嬉しいんだけど、とお願いしたのにも係わらずその席。
以前、どうしてか聞いてみたら「お前がきて、そこにいることで、やっと『BLUE TAILS』が完成するんだ」なんてキザな事を言われてしまった。
2人がでデビューして5年後。私は大学を卒業すると、『BLUE TAILs』を『BLUE TAILS』にしようと誘う兄と藍を無視して家業を継いだ。だって『BLUE TAILs』は2人が頑張って大きくしたものでしょ。今更私が入ることなんてできっこないし。
それに私が継がなかったら誰が家業を継ぐのよ? 兄にはそのまま自由に音楽をやっていて欲しかったし、私も継ぐことを見越してかなり頑張って、色々な楽器の調節・調律も出来るようになったし。それに私が持っている絶対音感も無駄にならずに活かせる仕事だしね。
でも兄はそのことに罪悪感を感じているらしい。何で父の反対を押し切って3人でデビューしなかったかと後悔もしてるらしい。だからこの特等席は償いのつもりなのかもしれない。
自分では天職に就いたと思っているから、そんな罪悪感なんて感じなくてもいいのに。
今夜のチケットが送られてきてすぐ、私は欠席を伝えるために兄の携帯に電話をかけた。
─── 今の私には、あの席に座れない理由があるんだ。
デビュー当時から、ライブ会場が近場だった場合「絶対見に来いよ」と兄達からチケットを貰っていた。妹の贔屓目を抜きにしても2人が作り出す音楽はとても魅力的で、大好きだったから喜び勇んで見に行っていた。
けどデビューして1年半経って、ずっと断っていたTVの音楽番組に出始めてから一気にファンが増えた頃、彼らのマネージャーの結子さんが私をこっそり呼んだ。そして彼女はこう仰った。
「いい加減、兄離れしたら? 藍とだっていつまでも昔のままじゃいられないのよ」
私は黙って頷いた。段々周りのファンも毎回超特等席に座っている私の存在が気になり始めたところだったから。
兄のファンなら、私が妹だって分かれば納得するかもしれない。まぁそれは超シスコン・ブラコンの兄妹でもどこまで通用するかわからないけれど。
でも藍のファンにはそれは通用しない。藍と私はただの幼なじみだ。何の気兼ねもなく側にいられる私は彼女らにとってそれはそれは気にくわない存在だろう。
ライブ会場での周りが向けてくるあからさまな敵意の視線が居たたまれなくて、音楽を楽しみたくても楽しめない。
「余計な事で2人足をひっぱらないで。変なトラブル起こされても困るのよ」
私はまた黙って頷いた。ライブを見に行けなくなるのは悲しいが、彼らを応援するファンとトラブルを起こしたくない私は、最初は行っても会場の端っこで見たりしてたけど、そのうち何か用事を作っては兄のお誘いを断るようになり、結果、段々ライブから遠ざかっていった。
今回も断ったら、案の定、嫌がった。28歳の成人男性が22歳の妹に盛大に駄々を捏ねた。
「開演前に楽屋に来て欲しい」「俺と藍のギターのチューニングをしろ」という。
「専門スタッフがいるでしょ」と言えば「瑠璃じゃないと嫌だ」という。
「仕事があるから無理」と断った。嘘じゃないもん。家業を継いだばかりで一杯一杯なのは本当だし。
シスコンな兄にここまで言えば引き下がってくれるだろうと思ったけれど、なんだか今回はいつもと違った。やけに食い下がる。
「瑠璃の神チューニング、プリーズ!」に始まり、続いて「絶対来て」「美味しいもん食べさせてやるから」ときた。最後には「お前の誕生日も祝えないなんてぇ~。来てくれないならこの仕事やめる、やる気でねぇ」とまで言い出した。
社会人として責任のある仕事をしている人が、そんな冗談言うなと一応叱りながらも内心動揺した。
いくら冗談だとしても兄がこんな事まで言い出すなんて、何かあったのかな。だって兄から音楽を取り上げたら死んじゃうよ。その位、音楽が好きなんじゃないの。それに本当に音楽止めたら相方の藍もこの兄妹の我が儘に巻き込んでしまう。藍も音楽が足りなくなったら死んじゃうタイプだ。
兄はとどめに「だって最近全然顔見てないじゃん。瑠璃と会えなくて寂しいんだってぇ~。お願いぃぃ、るーちゃぁぁぁん!!」と泣き落としという方法を選んできた。
ああ、これは最近わざと避けていることに気がついているなぁ。まぁ、あからさまだもんな。藍と一緒に住んでいるマンションに掃除に行く時も、留守の時を狙っていってるしな。
やだなぁ、今回は特に来たくなかったのにな。避けている【本当の理由】は知っているのかわからないけれど。ん~、知ってるかもな。
私はハァとため息を吐いた。私だって超ブラコンだ。兄の「お願い」には弱かった。
「分かったから。分かったから、落ち着いて。開演には間に合わないけど、必ず行くから」
そう言うと渋々妥協してくれたのだった。
「仕事」があったのは本当。でも「間に合わない」ほどじゃなかった。だけど結子さんの忠告が、自然と私の足を重くさせた。
交差点を渡りきって、とぼとぼと会場入り口へ向かう。
今から入場しようとする人は私くらいなもので、入り口はスタッフらしき人が数人立っているだけだった。遅れてきて良かった。ファン達はもう2人の繰り出す音楽に夢中になっている頃だろう。私なんて気にしている場合じゃなくなってるはず。
開演5分前まで「いつ頃つくんだ」とひっきりなしに兄からメールが来ていたが全部無視した。もうすぐ始まるって言うのに何やっているんだか。
作戦は成功したようだ。因みに帰りはアンコール前の暗転でこっそり抜ける予定だ。
入り口から蒼太と藍の歌声が微かに聞こえてきた。事前に教えて貰っていたセットリストと照らし合わせて見ると、4曲目が始まった所の様だ。
入り口にいたスタッフが私に気がついた。相手は不審そうにこちらを伺っている。
そりゃそうだ、今の私は自信過剰かとは思うもののキャップを深く被っている上に伊達眼鏡を着けていて、それに仕事着のダークグレーのスタジャン(所々に機械油のシミ付き)、そしてジーンズを履いていた。とてもライブに来るような格好じゃなかった。
いつの間にか握りしめていたチケットのシワを慌てて伸ばして、男性スタッフに手渡す。チケットも不審そうにじろじろ見られ、紙面を擦られ、仕舞いには照明に透かしてみたりされた。
ああ、見るからに不審者が良い席のチケットを持って来たのだもの。偽物かと考えちゃうよねぇ。段々悲しくなってきた。兄には悪いが、もう帰ろう。
「あ、あの。時間に間に合わなかったのでいいです。帰ります。それ、返して貰えませんか」
チケットに手を伸ばした。今まで兄から貰ったチケットは、半券も、無駄になったものも全部記念に取ってある。
だが、返して貰えなかった。横にいたもう一人のスタッフに小声で何かを話し、厳しい顔をしながらレシーバーでどこかに連絡している。
「悪いけど、ちょっと待っててくれるかな」
チケットを持っている男性が不機嫌にそう言う向こう側で、もう一人が「チケットの席が」とか「不審な」とか言ってるのを聞いて青ざめた。そのうち通路の向こうから警備員が2人、小走りにこちらへと向かっている。なんだか大事になってしまったようだ。こんな状況は望んでいない。あの2人に迷惑なんてかけられない。
「まてっ!!」
とっさに後ろを向いて駆けだした所で手首を掴まれる。ぎゃあ、逃走失敗です。警備員にも囲まれて、ロビー脇にある通路へと導かれる。
ああ、なんでこんな時にちゃんとした判断が出来ないんだろう。不審者が逃げ出したら、余計に怪しまれるものなのに。大きなため息を吐き、連れて行かれる途中に駄目元で言ってみる。
「あ、あの‥‥‥私、蒼太の妹です」
スタッフさんと警備員2人の胡乱な眼差しが痛い。う、そうですよね、嘘付いているって思いますよね。ライブ中の2人を携帯で呼び出す訳にもいかないし。どうしよう。
「じゃ、じゃあ、結子さんを呼んで下さい。篠原結子マネージャーを」
結子さんは苦手だけど、背に腹は代えられない。お説教は甘んじて受けよう。
「‥‥‥話はこの後ゆっくり聞かせてもらう」
ですよねー。ファンならマネージャーの名前も知ってますよねー。今の時間忙しいだろうしねー。
他に知り合いいたっけなぁ。ドラムの伊都部さんも、ベースのむっちゃんもライブ中だしな。ファンなら彼らの名前しってるから身内だっていっても今の状況じゃ証明出来ないだろうし。あ、運転免許証───もだめか。今日持ってない。保険証は持ってたかなぁ? どちらにしろ、余り実家の住所を晒すのも問題あるだろうし。はうー。トラブルを起こさないよう忠告を受けていたのに、何でこんなことになっちゃうんだろう。
「おう、ちょっとまった!!」
丁度、促された部屋に入ろうとしたときだった。覚えのある声が聞こえた。
項垂れていた顔を上げて振り返って見ると、警備員の向こう側に知った顔を見つけ、安堵と疲れで情けない声を出してしまった。
「うわぁぁぁぁぁん、しゃちょぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」






