その2
国道一九九号線沿いに洒落れた造りのレストランがある。イタリア料理を主とした店で、従業員数約二十、テーブル席の他に五・六人用の部屋四つ、二十人用の部屋一つを持つドライブインとしては大きな店である。もっとも当初はドライプインとして建てられたものではなかった。国道が側を通るようになった結果、そういう外見を持つに至ったのである。諦三の父母が出資者を集めて創めたものだった。
諦三には姉がいた。諦三が関西で学生生活を送っている間に姉は結婚したが、家を出ず、 義兄が家に入った形で店の仕事を続けた。大学を卒業した諦三は、大学院の人試を受けて失敗した。 一年浪人するつもりだったが単調な受験勉強の毎日に嫌気がさし、両親の帰郷の催促もあって、大学を卒業した年の夏帰郷した。
帰郷した諦三は姉夫婦と共に店の仕事をするようになったのだが、家業にあまり関心のない諦三は、店の仕事の傍ら、大学に聴講生として通い、教員免許状を取得した。そして公立学校の教員採用試験を二回受けたが合格しなかった。他にも就職先を物色したが適当なものがなく 、いつの間にか自立するまでの腰かけのつもりだった店の仕事にはまりこんでしまった。店では半ば引退した親に代って姉夫婦が経営の主体になってきており、諦三はその補佐のような役割を果すようになっていた。諦三にとっては自己を発揮できない鬱屈した生活だったが、それに甘んじている限り平隠な日々だった。
そんな状態で諦三は理加子と結婚した。妻を迎え、世帯を持った諦三は、それなりの責任感から、好き嫌いを離れて店の仕事に本腰を人れようとした。しかしそれは姉夫婦との対立を招くことになった。姉とは毎日のように口論し、義兄とも一度殴り合いのケンカになりかけたことがあった。結局、誰が店の経営の主導権を取るのかという争いだった。店の仕事の掌握という点では諦三と姉夫婦との差は歴然としていた。しかし諦三には長男としての自負があった。親は子供達の争いに傍観の態度だった。
争いは結着のつかないまま長びき、諦三 夫婦と姉夫婦の間は令え冷えとしたものになった。毎日店で姉夫婦と顔を合すのは苦痛だった。こんな日々を続けていても自分がだめになるだけだと諦三は思った。もともと好きな仕事ではなく、後を継ぐ気もなかったのだ。店は姉夫婦に譲ってもいいじゃないかと諦三は考えた。
一年前から諦三は私立の女子高校に非常勤講師として勤めていた。店の仕事を考えて非常勤という条件で人ったのだが、いっそ専任の教師になって、店 を出て自立し ようと諦三の考えは変った。 そして、諦三なりの働きかけをした結果、今年の四月から専任の教諭になれそうな状況になったのだ。
十時と聞いてゆっくりしすぎたようだ。いつも停める校内の駐車場はいっばいで、指示を受けて二百メートルほど離れた第二駐車場に車を置いて戻ってくると、きっかり十時になっていた。急いで職員室に人ると、皆、式場に行った後らしく人影がない。慌てて式場の体育館に向っ た。
体育館の校舎側の入口の近くに「警備」という黄色い腕章を付けた禿頭のP教諭が居た。諦三は頭を掻くしぐさをして、「人れますか」と聞いた。Pは「ああ、入りにくくなったな」と言った。今ごろ来て、という表情だ った。
「今始まったと こ ろだよ」
「そうですか」
諦三は答えて下を向いた。入れないなら入らないでいいか、と思った。しかし来た以上は顔を出さなければ、と思った。この学校の卒業式を見ておきたくもあった。
「後ろからだったら人目につかないだろう」
Pは当惑した諦三の様子を見てそう言った。諦三は頷いてP に一礼すると、体育館の正面人口へ向った。ガラス戸を押してフロアに人ると、そこにも腕章をした教師が二,三人居た。諦三はバツの悪い礼をし て、そそくさと階段へ向った。二階の観覧席から式場を見て、 職員の居る位置を確かめ、そこに一番近い扉から会場内に入るつもりだった。階段脇の受付けに座 っている生徒が、通りすぎる諦三に、おめでとう ございます、と言い、リボンを渡そうとした。 いや、違う、 先生だ、 と小声で言っ て、諦三は階段を上 っていった。一年と三年の一クラスずつしか教えていないので、諦三 を教師と知らない生徒は多かった。
観覧席には父兄達が座っていた。 その背後からそっと諦三は会場を見おろした。壇上の正面には大きな日章旗が掲げられ、演壇には校長が立っている。職員は会場の右端に前後二列になって座っていた。諦三はそれを確かめると、フロアへ降り、右端の扉から中に人った。
腰を屈めて職員達が座っている椅子に近づく。英語科のMがこちらを向いた。諦三と目が合うと、素知らぬ顏で向うをむいた。前列はMから空席が七つほど続き、一番端に非常勤講師のTが遠慮深げに座っていた。諦三は彼女の隣にたどりつくようにして腰をおろした。後ろの列は全部埋っ ていて、 女教師が多かった。
会場の前半分に卒業する三年生が座り、二メートルほど間隔を空けてこれを送る二年生が座っている。諦三の前には二年生の最前列がきていた。日頃は姦しい彼女達も今日は神妙な顔つきを して静かに座っている。
演壇では校長の式辞が続いている。 諦三は校長がこち らを向くたびに見つめられているような気がした。実は昨夜ゆっくり眠れなかったのは校長に関する気がかりがあったからだ。