第6話 忍び寄る影
前回のあらすじ
千尋がお弁当を作ってくれることに、単純に喜ぶ樹。
千尋は初めて「居場所」ができたように思えて穏やかな気持ちだった。
昼休み、教室の窓から差し込む光はどこか眩しく、張り詰めた空気をやわらげてくれる。
俺は机に置いた弁当箱の蓋を開け、手早く箸を動かした。
今朝、自分で詰めた初めての弁当。味こそ悪くなかったが、片寄ったおかずが視界にちらついて、内心少し気恥ずかしい。
(弁当って、もっとぎゅっと詰めないとダメなんだな……)
次はもう少し丁寧に詰めよう。そう思いながら最後のひと口を飲み込み、急いで理科室へと向かう。
今日は体育祭実行委員の集まりがあるのだ。
廊下を曲がり、理科室のドアを開けた瞬間──。
「きゃっ!」
ふわりと風が巻くように、誰かとぶつかった。
「おっと……」
とっさに伸ばした腕が、相手の細い腕をつかむ。
軽やかな香りが一瞬、鼻をかすめた。
制服のリボンが揺れ、視線の先には見慣れない女子生徒。上履きには一年生の青いカラーが入っている。
「あ、ごめん。考えごとしてて……大丈夫だった?」
「大丈夫です……私の方こそ、よそ見してて……」
彼女は小さく頭を下げ、痛そうに片足をかばうような仕草を見せた。
「捻った? 無理しないで、保健室……」
「だ、大丈夫です! もう会議始まりますよね? 座りましょう!」
彼女は慌てて笑顔を作り、少し足を気にしながら席に着く。その背中を見送りながら、俺も席に着いた。
理科室に集まったのは20人ほどの生徒たち。
空気には少しの緊張と、イベント特有のわくわくした期待感が入り混じっていた。
簡単な自己紹介の後、役割分担が行われる。
俺とさっきぶつかった彼女は、偶然にも同じチームになった。
「1年2組、白木萌可です。初めての体育祭、ワクワクしてます! よろしくお願いします!」
彼女はそう言って、やや大げさなほど明るく微笑んだ。
(白木さんか……)
名前を確認しながら、俺は隣の椅子に腰を下ろす。
会議はスムーズに進み、予定よりも早く終わった。
教室を出ようとしたとき、俺は白木に声をかけた。
「白木さん、お疲れ様。足、大丈夫?」
「ちょっと痛いけど、大丈夫です!」
彼女は弾けるような笑顔でそう言い、立ち上がった。が──。
「あっ、痛っ……」
小さく声を漏らし、再び足を押さえる。
「ダメじゃん……無理しちゃ駄目だって」
俺は思わず駆け寄った。
「肩貸すよ、保健室……」
「でも……次の授業でスライド発表があるんです。保健室に行ったら間に合わなくて……」
困ったように眉を下げる萌可。俺は少し考え、ひらめいた。
「それなら、俺が保健室行って氷嚢借りてくる。白木さんは教室に戻って」
「……そんな、悪いです」
「ぶつかったのは俺だし。すぐ戻るから」
俺は足早に理科室を出た。保健室までの廊下を、小走りで駆ける。
***
借りてきた氷嚢を手に一年生の教室へ向かうと、俺の姿を見つけた生徒たちがざわめいた。
「白木さんいる?」
「はい、います!」
よろよろと近づいてくる彼女に、俺は氷嚢を差し出した。
「これ、足冷やして。あ、でも冷やしすぎないようにね」
「ありがとうございます、先輩……」
そう言いながら、彼女は口元にふわりと笑みを浮かべる。
「先輩って……先生みたいに面倒見がいいですね」
「いや、気にしないで。ぶつかったの、俺だから」
「ふふっ……ありがとうございます。おかげで、スライド発表も頑張れそうです」
その笑顔は、どこまでも無邪気に見えた。
***
萌可視点Ver. 「将を射んと欲すれば、まず馬を射よ」
――将を射んと欲すれば、まず馬を射よ。
今回の作戦に、これほどぴったりな言葉ってある?
高校に入学してすぐ、耳にしたんだ。
「二年生に八名井樹っていう、めっちゃかっこいい先輩がいるけど、女嫌いで女子とは話してくれない」って噂。
……それ聞いた瞬間、私の中で何かが弾けた。
女子とは話してくれない?
ふーん。なら、直接じゃなくて――周りから攻めればいいだけ。
孤高の彼を彼氏にできたら、どうなると思う?
周りはきっと、悔しがって、羨んで、話題にして……
ああ、考えただけで笑っちゃう。
まずは情報収集。
学校裏サイトを漁って、彼の交友関係や趣味、行動パターンまでチェック。
どうやら、彼には一人だけ心を許してる “親友” がいるらしい。
――白楊千尋。
成績は中の上。
真面目でお人よし。誰にでも優しくて、たまに先生の手伝いもしてる。
そんな彼が、八名井樹の唯一の “特別”
なるほど。この千尋先輩を落とせば、樹先輩に近づく足がかりになる。
さっそく動いた。
まずは職員室で「体育祭実行委員」の名簿をチェック。
……ビンゴ。名前、あった。
白楊千尋。体育祭実行委員。やっぱり。
そういう責任あるポジション、きっと断れないタイプなんだよね。
ふふ、ありがたい。
今日の実行委員会、タイミングを見計らって “偶然” の出会いを演出する。
もちろん完璧な演技も準備済み。
入り口に隠れて、彼が来る瞬間にぶつかる。
そして――足首を痛めた “ふり”。
まさに自然な出会い。狙い通り。
それにしても、保健室に氷嚢を借りに行ってくれるなんて……ちょっと感動しちゃった。
でも、勘違いしないでくださいね、千尋先輩。
私がほしいのは、あなたじゃない。
千尋先輩は、“あの人”までの――ただの踏み台なんで。
お読みいただきありがとうございました。