第1話 秘密の昼食
女子が苦手な高校2年の八名井 樹は、新学期のカラオケで人気者・白楊 千尋と出会う。
ふたりきりでお昼を食べたり、一緒に料理したり。ちょっとずつ距離が近づいていくけど……
そこに現れたのは、あざとかわいい1年生・白木 萌可。
「千尋を守るために萌可と付き合う?」
それとも――「好きだ」って気持ちを伝える?
選んだ未来で結末が変わる!
最終話分岐型ストーリーです。
春の匂いが漂う四月。
高校二年に進級したばかりの僕――八名井 樹は、教室の窓際でぼんやりと空を眺めていた。
新しいクラス、新しい担任、ざわめく空気。
それらすべてが煩わしくて仕方がない。
僕はただ静かに過ごしたいだけなのに、女子たちは遠巻きに騒ぎ立て、男子はどこか距離を置く。
顔がいいってだけで、勝手に期待されて、勝手に幻滅される。
……やってられない。
そんな中、昼休みに友人の翔太が興奮気味に話しかけてきた。
「なぁ頼むって!今日のカラオケ、お前も来てくれよ!」
「パス。面倒だし」
「おいおい……イケメンのお前が来ないと女子が集まらないから頼む!!」
全力の土下座しそうな勢いの翔太に、ため息が漏れた。
そのテンションに負けて、しぶしぶ参加を決めた僕は放課後、駅前のカラオケ店へ向かった。
こもった空気の室内。
マイクを握って騒ぐクラスメイトたちの姿を横目に、僕は壁際のソファに沈み込んでいた。
早く帰りたい、と時計ばかり見ていた。
――やっぱり、こういうの苦手だ。
そのとき、ふと視界の端に一人の男子が映った。
彼はジュースをこぼした女子にりげなくおしぼりを渡し、
誰かが歌えばタイミング良く手を叩き、盛り上げている。
まるで場の空気を調整するように、あちこちで気を配っていた。
「典型的ないい人、か」
気づけば、僕は彼の動きを目で追っていた。
そのとき、ポケットのスマホが震えた。
画面に表示されたのは、近所の人の名前。
「……もしもし?」
電話の向こうから告げられたのは、祖母が転んで怪我をしたという知らせだった。
血の気が引いた。
僕の両親は仕事の関係でアメリカに住んでいて、日本での生活は祖母と二人きり。
慌てて廊下に出て、電話を終えた僕は、立ち尽くしていた。
「どうかした? なんかすごい顔してるぞ」
柔らかな声が耳に届く。
顔を上げると、さっきの “いい人” の男子がそこにいた。
心配そうな顔で、僕を覗き込んでいる。
「あ、いや……祖母が怪我をして……帰ろうと思う」
事情を話すと、彼は迷いなく言った。
「おばあさん、心配だな。ここはもういいから早く帰ってあげな。」
その一言に背中を押された気がした。
「……ありがとう」
僕は一礼して、駆け出した。
***
祖母は幸い肩を軽く痛めただけで、大事には至らなかった。
けれど念のため、大きな病院で検査を受けることになった。
両親には連絡を入れたが、すぐに戻れる距離ではない。
その代わり、父方の叔母が来てくれることになり、ようやく少し落ち着いた。
そして翌朝。ふと、あることを思い出す。
(あれ……カラオケ代、払ってない)
教室で幹事だった翔太に声をかけると、あっさり返された。
「お前の分、千尋が払ってくれたよ」
千尋――
あの “いい人” の名前を、初めて知った。
僕はすぐに千尋のクラスを訪ねたが、彼は先生の手伝いでどこかへ行っていた。
昼休みにも、放課後にも、姿は見えない。
何度か足を運ぶうち、千尋のクラスの男子がぽつりと言った。
「千尋の連絡先、教えてやろうか?」
だが、僕は首を横に振った。
知らない相手に自分の連絡先が伝る気持ち悪さを、僕は知っているから。
***
翌朝。
僕は下駄箱の前で、千尋が来るのを待っていた。
しばらくして、バケツと雑巾を手にした彼が現れる。
掃除当番か、誰かの代わりか。いつもの “いい人モード” 全開って感じだ。
「おはよう」
呼び止めると、彼は笑顔で振り返った。
「お、昨日の……どう?おばあさん、大丈夫だった?」
「検査になったけど、大したことなかった。ありがとう」
そう言って、ポケットから財布を取り出す。
「カラオケ代払ってくれたんだろ。いくらだった?」
「んー……もう忘れちゃったな」
「それでは済まない。ちゃんと受け取ってくれ」
真顔で詰め寄ると、千尋はいたずらっぽく笑った。
「じゃあさ、今日の昼、購買でパンでも買ってくれたら、それでチャラでいいよ」
***
昼休み。
千尋を探すと、やっぱり誰かの手伝いをしていた。
「行くぞ」
そう言って彼の腕を引っ張り、購買へ向かう。
しかし、僕の姿を見つけた女子たちがざわつき始めた。
ざわざわ、キャーキャー、視線と声が集中する。
「……こりゃ教室に戻るのは無理だな」
女子の熱気に千尋が苦笑して、ポケットから小さな鍵を取り出した。
「いい場所があるんだ。ついてきて」
案内されたのは、美術準備室。
石膏像が並び、静けさと絵の具の匂いが漂う、誰もいない空間。
どうやら、普段の手伝いの見返りで、美術教師から鍵を預かっているらしい。
「すごかったな〜いつもあんな感じで女子が群がってくるの?」
笑いながら尋ねる千尋に、僕は無言でジト目を向けた。
「……そんな睨むなって!あ、そういえば名前聞いてなかったな」
「八名井 樹」
「じゃあ、樹って呼ぶな。俺のことは千尋でいいよ」
「千尋、昨日は本当にありがとう……っていうか、パン買っちゃったけど、今日お弁当じゃなかったのか?」
「え? いや、俺いつも買い弁だから。家に弁当作ってくれる人、いないんだよね」
「あ、そうなんだ……なんかごめん」
「いいっていいって……それよりおばあさん、大変だったな」
「そうなんだよ。今朝も弁当作るって言い出してさ、止めるのに苦労した。肩が治るまで無理すんなって言ってんのに」
「弁当……そっか」
千尋の顔が、一瞬だけ陰る。
すぐに笑顔に戻ったけれど、その一瞬の影を僕は見逃さなかった。
「そういえば千尋って、いつも誰かの世話してるのか?」
「ん? まあ……そんな感じかな」
曖昧に笑う千尋が、ふと僕の手元を見て目を丸くする。
「樹、それ……どうしたの?」
見ると、指先に貼った絆創膏から、赤い血がにじんでいた。
「ああ、これ? 昨日、包丁で切った。料理しようとしてさ」
「マジ? 料理中に?」
「うん。でも、結局ちゃんと作れなかった。ばーちゃんが心配するから、途中でやめて惣菜買ってきた」
「そっか……大変だったな」
「ばーちゃん、入院するかもって落ち込んでたからさ。何か美味しいもん作ってやりたかったんだけど……俺には無理だった。情けないよな」
すると、千尋がぽつりと呟いた。
「……樹、おせっかいでなければ、俺が料理、教えてやろうか?」
「え? 千尋、料理できんの?」
「意外? 結構得意なんだよ?」
僕は思わず前のめりになる。
「教えてほしい!」
千尋はおどけたように笑った。
「みんなの憧れの樹に料理教えるなんて、女子がうらやましがるだろうな〜。俺でいいの?」
「そういうの、いいから! 僕は千尋に教えてほしいんだけど!」
「はは、ごめんごめん。じゃあ、俺でよければ」
そう言って千尋はまた、あの人懐っこい笑顔を浮かべた。
でもその笑顔の奥に、ほんの少しだけ影を感じたのは――たぶん気のせいじゃない。
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