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カフカに倣いて(七) 狼疾の人中島敦とカフカ

Comment entrer dans l’œuvre de Kafka ? C’est un rhizome, un terrier.

(カフカの作品の中にいかに入り込むか?それはひとつのリゾームであり、ひとつの巣穴である)

G. Deleuze=F. Guattari 『Kafka: Pour une littérature mineure』


 G. ドゥルーズ=F. ガタリの有名なフランツ・カフカ論「カフカ マイナー文学のために」の冒頭である。自身の哲学のキーワードにして現代思想のバズワード、中心や序列に基づくツリー状の固定的なシステムを否定し、自由に接続・変化し続ける流動的なネットワーク「リゾーム」(根茎)のイメージを、カフカ最晩年の短編小説「巣穴」(Der Bau)に重ねている。どの穴からでも自由に入り込め、中では縦横無尽、迷宮のような地下通路が掘られ続け、それらは際限なく生成していく。なるほどカフカの描く巣穴の世界はリゾーム的である。

 その「巣穴」であるがどのような小説かというと、カフカの多くの作品がそうであるように掴みどころがない上に、プロットらしいプロットもなく、なかなか説明しづらい。


 今彼の読んでいるのは、フランツ・カフカという男の「窖」という小説である。小説とはいったが、しかし、何という奇妙な小説であろう。その主人公の俺というのが、鼠か鼬か、とにかくそういう類のものには違いないが、それが結局最後まで明らかにされてはいない。その俺が地下に、ありったけの智能を絞って自己の棲処――窖を営む。想像され得る限りのあらゆる敵や災害に対して細心周到な注意が払われ安全が計られるのだが、しかもなお常に小心翼々として防備の不完全を惧れていなければならない。殊に俺を取囲む大きな「未知」の恐ろしさと、その前に立つ時の俺自身の無力さとが、俺を絶えざる脅迫観念に陥らせる。……ほとんど宿命論的な恐怖に俺は追込まれている。熱病患者を襲う夢魔のようなものが、この窖に棲む小動物の恐怖不安を通してもやもやと漂よっている。この作者はいつもこんな奇体な小説ばかり書く。読んで行くうちに、夢の中で正体の分らないもののために脅されているような気持がどうしても附纏ってくるのである。(中島敦『狼疾記』)


 中島敦(1909~42年)が的確かつ要領よくまとめているので引用する。この「窖」という「奇妙な小説」が「巣穴」のことであり、「狼疾記」が書かれたのが1936年とされているので、世界的にみてもかなり早い時期のカフカ紹介である。翻訳などまだなく、中島敦は英訳でカフカを読んでいたという。

 「狼疾記」は横浜の高等女学校の教師を主人公に、自身の体験をもとにした私小説風の短編小説で、「かめれおん日記」と同系列の作品である。日常の些事を後景として、過剰な自意識による内面の葛藤を描いている。最初に読んだ時は、構成や展開に難があり、中島敦の作品中では第一級とは言い難いという感想で、何故唐突にカフカに言及しているのかも理解できなかった。

私に教養が足りなかったのである。


養其一指、而失其肩背、而不知也、則為狼疾人也。

(其の一指を養い、其の肩背を失いて知らざれば、すなわち狼疾の人と為さん) 『孟子』


 「狼疾記」のエピグラフとして引用されている孟子の言葉で、「指一本に気を取られるあまりに、肩や背までをも失ってしまうような病的な倒錯、それを狼疾の人という」ほどの意味であろう。この〈狼疾〉という言葉を、作家理解のための重要語に位置づけるのは、古く武田泰淳(1912~76年)に遡るようだ。


指一本とは中島の自我であり、その自我にこだわる文学的状態である。肩や背とは生活体としての中島の全存在であり……  (武田泰淳『中島敦の狼疾について』)


 文学と生活の相克、そして文学に蚕食される生活。「狼疾記」について、武田泰淳は「椎名麟三的暗さはここですでに梶井基次郎的繊細さで、豊富に、しかも美しくたくわえられている」とまで評している。ちなみに「戦前の作家」中島敦と「戦後の作家」武田泰淳、意外にもたった三歳違いの同世代人である。


 決定版ともいえる中島敦の詳細な評伝、川村湊著の「狼疾正伝 中島敦の文学と生涯」も、そのタイトルが示すように、〈狼疾〉という言葉を中島敦の通奏低音的な生存感覚として広く捉え、主題を変奏するように作家論、作品論を展開している。刺激的な論考である。私なりに換言すれば以下のようになろうか。生きていることの無根拠性・無目的性への実存的不安のスパイラル、存在意義への過剰な懐疑により疎外される生活の生々しい実感、形而下的なリアルが形而上的な内省に食い尽くされる生の構造——。


 そう、〈狼疾〉は明らかに「巣穴」のテーマでもあり、もっといえば、この言葉はカフカ的世界の核心を照射しているとまで拡大解釈できないか。


Ich habe den Bau eingerichtet und er scheint wohlgelungen. Von außen ist eigentlich nur ein großes Loch sichtbar, dieses führt aber in Wirklichkeit nirgends hin, schon nach ein paar Schritten stößt man auf natürliches festes Gestein.

(俺は巣穴をこしらえたが、そいつは上出来のようだ。外からはただ大きな穴が空いているように見えるが、実際のところその穴はどこにも通じていない。二、三歩も進めば、自然の頑丈な岩にぶち当たるときている) (Franz Kafka『Der Bau』)


 出だしらしからぬ出だしで始まる物語だが、いきなり行き当たりである。読み進めていくうちに、どこから読んでも始まりのような感じもしてくる。“謎の小動物”である一人称の主人公は、敵から身を守るためにひたすら穴を掘り続けるが、心配の種が尽きることはない。主人公が執拗に反復する安全性を巡る内省は、彼が作る巣穴の異様な広がりと相同的で互いの写し鏡のようである。そして主人公の不安を増幅させるシュッという謎の音。

 「……耳を澄ませたが、しかし、少しも変わりはなかったし、それに」。物語は唐突に終わる、というより例によって未完なのだが、それが逆に意図したかのように、穴掘りも“俺=ich”の独白も永遠に続くのではないかという悪夢的な余韻となっている。暗い巣穴と暗い自我の無限ループ——。


 前掲の著作でドゥルーズとガタリは、カフカに則して、「マイナー文学」という概念を打ち出している。その特徴は次の三つに集約されるだろう。

 1、支配的な大言語の中での少数言語使用。すなわち、標準ドイツ語に対するプラハのユダヤ人コミュニティ内の人工的ドイツ語の使用。2、 個人的なものの即時的な政治化。すなわち家族内の葛藤がそのまま官僚制や権力など政治的な問題に直結していること。3、集団的発話の装置。すなわち文学が個人の独白ではなく、抑圧された民族や集団の声を代弁していること——。

 カフカ文学=「機械」とする中心的テーマは正直、私には理解が及ばないところもあり、たいして興味もないのだが、このマイナー文学の定義は、半世紀も前の著作であることを考えると、大変な先見の明だと思う。ことに近年のノーベル文学賞の受賞作の傾向をみると、マイナーどころかメインストリームとなっているといえよう。


 はるかに雑で有用性にも欠けるが、私にも私なりのマイナー文学の定義がある。本質的に短編作家であること、著作集を編集すると1巻からせいぜい3巻程度で収まること、それはすなわち成熟を待たずに若くして亡くなったであろうということ、にもかかわらず一つの完結性を感じさせること等々。小説家であっても「マイナー・ポエット」という言葉を使えるようだが、私の念頭にはわが国文学史上の二大マイナー・ポエット、梶井基次郎(1901~32年)と中島敦があるのだろう。世界文学に目を向ければ、真っ先にかの「紅い花」のロシアの鬼才ガルシン(1855~88年)が頭に浮かぶ。

 中島敦は死を前に、草稿を信頼している妹に焼かせたという。カフカが親友マックス・ブロートに遺された原稿類の焼却を依頼していたというよく知られたエピソードを連想させる。自作の完成度に対する並々ならぬ厳しさと、それと裏腹の自己の禀質に対する強い自負が共通しているといえようか。

 「今まで書いたすべての本のうち、残してかまわないのは『判決』、『火夫』、『変身』、『流刑地にて』、『田舎医者』、そして物語『断食芸人』。……それ以外に僕の書いたものはすべて(雑誌に掲載されたもの、原稿のかたちのもの、それに手紙類も)ひとつの例外もなく、手のおよぶ限り……全部焼却されねばならない」。このカフカの実質的な遺言は、カフカ以上にカフカ文学の可能性を信じていたマックス・ブロートによって“裏切られた”が、もし彼が友の遺志を忠実に実行していたとしたら、カフカは私のいうマイナー作家ということになっていただろう。汲めども尽きぬ魅力をもった三大未完長編(「失踪者」、「審判」、「城」)、それ自体が一つの迷宮小説のような書簡類、哲学的アフォリズム集の趣のある日記類が仮になかったとしても、カフカは文学史上に独自の名誉ある地位を得ていたであろう。20世紀文学のチャンピオンということにはならなかったとしても。

 抜群に優秀ながら女学校教師としてくすぶり続けていた作家志望の青年は、遠い異国の不遇を託ったサラリーマン作家に特別な親近感を抱いていた、先に引用した箇所からはそう読み取れるように思う。〈狼疾の人〉としての資質の近さのようなものを。没後、自身が教科書に載り、アニメの主人公としてまで活躍する国民的人気作家になることや、当時まだ全貌の知られていなかった、「奇体な小説ばかり書く」同じ穴の狢のような男が、将来、現代文学を代表する大作家として祭り上げられることを、一抹の夢としてでも抱いていたか、それはないと思うが、とにかく夢の微塵らしきものは成就した——マイナー文学万歳!


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