カフカに倣いて(六) 視覚的人間
フランツ・カフカの最初の長編小説「アメリカ」(「失踪者」)を初めて読んだ時、カフカは「チャップリンの移民」を観たに違いないと思った。いや、逆で、「チャップリンの移民」を観た時に、「アメリカ」の冒頭部分を想起し、カフカはチャップリンの映画を観たに違いないと思ったのだったかもしれない。それくらい、船がニューヨーク港に近づき、自由の女神が目に入ってくる様子の描写は映像的で、精彩に富んでいる。
……in dem schon langsam gewordenen Schiff in den Hafen von New York einfuhr, erblickte er die schon längst beobachtete Statue der Freiheitsgöttin wie in einem plötzlich stärker gewordenen Sonnenlicht. Ihr Arm mit dem Schwert ragte wie neuerdings empor, und um ihre Gestalt wehten die freien Lüfte.›So hoch!‹ sagte er sich…… (Der Verschollene)
すでに速度を落としはじめていた船がニューヨーク港に入っていくと、かなり前から視界には入っていた自由の女神が、不意に強くなった陽光につつまれたかのように目に飛び込んだ。剣を持った腕が、ぐんぐんと目の前にそびえ立ち、像の周りには自由の風が吹いていた。「ずいぶん高いんだな!」と彼は呟いた。
実際にはそれは単なる私の思い込みで、「アメリカ」の執筆時期は1911年から1914年にかけて、「チャップリンの移民」の公開は1917年である。生涯のほとんどをプラハで送ったカフカはもちろんアメリカへ行ったことなどなく、もっぱら同時代の旅行記や絵葉書をたよりにこの小説を書いたという。自由の女神がなぜか剣を手にしているのはご愛敬であろう。
カフカは当時の新しいメディアである映画が大好きで、足繫く映画館に通っていたことはよく知られている。「アメリカ」の執筆中断時に書かれた代表作「変身」について以前取り上げた際、「ある朝目覚めると巨大な虫に変身していた」グレゴール・ザムザのカメラ・アイ、主観ショットのような視点での自身の身体や周囲の描写、カフカに特徴的といわれる一人称的な三人称の文体、映画的表現との親和性の強さについて触れたと思う。そもそもカフカは「変身」執筆の二か月ほど前に、「奇妙な昆虫」なる記録映画を観ていたようで、「変身」の発想の源泉を探るうえで、見過ごせない事実に思える。
それは単純に映画が小説家に影響を与えた云々という線的で静的なものではなく、新しいメディアと人々の感受性の相互的でダイナミックな関わり合い、今風の言葉を使えば「共進化」の幕開け、「視覚的人間」=Der sichtbare Menschの登場という文明史的な出来事を、カフカが体現していたということだろう。
ハンガリーの映画理論家で作家でもあるベラ・バラ―ジュの「視覚的人間」は、昔々、私が学生の頃に熱心に学んだ本だが、人間の精神や魂を表情や身振りを通して可視化するという映画芸術の特性、言葉中心の文化から視覚文化への移行、映画を通じて人間は再び“見る存在”となるという宣揚などは、今でも十分に刺激的だと思う。バラ―ジュはカフカより一歳年下の1984年生まれで、この歴史的名著が刊行されたのはカフカの没年の1924年、つまり二人はまったくの同時代人であるということは、何事かを含意しているように思えてならない。
「17歳のカール・ロスマンは貧しい両親にアメリカへ送られた。メイドが彼を誘惑して、彼女に子どもができてしまったからだ」といういかにもカフカ的なそっけない書き出しで「アメリカ」は始まる。ニューヨーク港に到着したカールは、裕福な伯父に引き取られ、一時は安定した生活を送るも、些細な行き違いから伯父の庇護を失い流浪の身となる。ホテルでエレベーターボーイの職を得るも、周囲の人々に翻弄され、しばしば理不尽な仕打ちを受け、次第に社会の底辺へと追いやられていく。異郷での放浪の果て、「オクラホマ劇場」という巡業団の募集広告を見つけ、希望を抱いて入団を決意する。カールは新たな人生の可能性を夢見るが……物語は未完のまま途切れる。
「アメリカ」という作品タイトルは生前のカフカと親友で編者のマックス・ブロートとの符牒のようなもので、1927年この書名で出版されたが、後年、カフカが「失踪者」(Der Verschollene)の標題でこの作品を呼んでいたことが日記から分かり、今では一般に「失踪者」が使われている。私は最初に読んだのが旧題だったことや、先述の船上からの自由の女神の描写の印象の鮮烈さから、「アメリカ」の方に親しみを感じるが、紆余曲折の末に物語が文字通り「失踪」してしまう様は、やはり作者の意図通り、「失踪者」がふさわしいのかもしれない。
「失踪者」、「審判」、「城」のカフカの三つの長編小説はすべて未完で終わっているが、それは単にカフカが嫌になって投げ出したとか、カフカは本質的には短編作家だったとかいう以上に、それぞれ未完になった「意味」があるように思える。
「失踪者」の場合はどうであろうか。主人公の内面的成長、自己形成を描く「教養小説」(Bildungsroman)の不可能性という解釈が、私には一番しっくりくるように思われる。ヴァルター・ベンヤミンは、1934年という早い段階のものながら今なお示唆に富むカフカ論の中で、カール・ロスマンの「無性格」について言及し、古代中国の賢者まで引き合いに出しているが、なるほど理想化された聖賢に、自己相克による人格の発展という概念は適さないであろう。19世紀的な教養小説の伝統の終焉を広い視野で論じた独文学者池田浩士の「教養小説の崩壊」から引用する。
女中に誘惑されてかの女を身ごもらせたために、家から追われてアメリカへ厄介払いされた少年カール・ロスマンは、新大陸アメリカの大都会のなかで、さまざまな人物と出会い、体験をかさねる。あやうく教養小説のかたちをとりそうになるこの小説は、しかし、これらの出会いと体験をあたかもかすみ網のように通し、そのまま去らせてしまう主人公の透明性のために、かれを自己形成へと押しやることがない。体験と成長という概念は、カール・ロスマンの外見上の歩みとはもっとも遠いものでしかない。カフカの作品のうちで最もかろやかに歩むかにみえるこの人物もまた、本質的には、途上でありつづけ、そして途上で立ちつくす人物なのだ。 (池田浩士「教養小説の崩壊」)
この作品が最後、カール・ロスマンの劇場の座員としての門出で中絶しているのも、ヴィルヘルム・マイスター以来の「伝統の終焉」を象徴しているようで興味深い。
感覚優位の「視覚的人間」の台頭と、内省的な「自己形成的人間」の退潮。それは20世紀初頭、第一次世界大戦前後から両大戦間にかけての哲学や文学、芸術にみられる「人間観」の大きな揺らぎ、転換の一つの側面だろうが、そうした潮流は長く20世紀を通じて尾を引いており、カフカ文学の過渡期的性格はそれらを鮮やかに照射していないか――私らしくもなく、話が大きくなってしまったので、私らしく、小さな話でまとめたい。
カフカが書簡の中で、チャップリンの「キッド」(1921年)に触れていることを、H・ツィシュラーの「カフカ、映画へ行く」という大変面白い本で知った。ちなみに筆者のツィシュラーは文筆家としてのみならず、俳優としてもよく知られており、ヴィム・ヴェンダースのロードムービー「さすらい」(1976年)で、主演のリュディガー・フォーグラーとともにサイドカーに乗って旅をした男といえば、ピンとくる方も多いかもしれない。1924年1月、死の約半年前の手紙である。「……ベルリンはずっと以前から貧しい街です。いまになってやっと、『キッド』を買い入れることができたのですから。もうずっと何カ月も、それは上映されています……」。
前年7月、カフカは保養地でドーラ・ディアマントという若い女性と出会う。時にカフカ40歳、年齢差は19歳、カフカの「最後の恋人」である。9月にはベルリンで同棲生活を始める。第一次世界大戦後の混乱のベルリンで、二人はひっそりと身を寄せ合うように暮らした。天文学的なインフレの中、安い灯油を求めて町中を歩いたりもした。友人が訪れるとカフカは夢を語った。二人でパレスチナに移住し、小さなレストランを開く、ドーラが料理を作り、自分が給仕する、店はきっとはやるだろう、なんたってドーラは料理の名人だから。少年のように目を輝かせながら話したことだろう。そんな中、咽頭結核の病状はみるみる悪化し、食べることも話すこともままならなくなる。
「失踪者」は不思議な作品である。カフカは主人公カール・ロスマンにすこぶる優しい。同じイニシャルKの「審判」のヨーゼフ・K、「城」の測量士K、あるいは「変身」のグレゴール・ザムザにきわまる登場人物たちへの「あまりな扱い」と比べればその差は歴然であろう。実際にはカール・ロスマンにも悲惨な最期を予定してようなのだが、そうするのが忍びなくなったのが執筆中止の一因ではないかとすら考えたくなる。傷つきやすく危うい、無垢な少年を慈しむ父性愛のようなもの、考えてみればカール・ロスマンも父親である――死を前にしたカフカは若い頃、あれだけ逡巡し続けた結婚を願っていた、幸福な家庭生活、パレスチナの小さなレストラン、現実逃避のような夢、あるいはその中に父親になることも含まれていなかったか――放浪者と捨て子との疑似的な父性愛の物語、カフカの胸を衝くものがなかったか。カフカがベルリンでロングラン上映されていたというこの名作を確かに観たとは断言できないけれど、無理にでもそう思い込みたい気がする。




